世論操作するアメリカ – 堤未果『アメリカから<自由>が消える』(2010)

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堤未果『アメリカから<自由>が消える』(2010)

世論を誘導する政治

 2010年刊行。
 9.11のテロから10年以上が経過した今でも、テロの影に怯え、国民への監視を強化していくアメリカの姿が描かれている。

 アメリカの歴史を振り返ると、歴史的に重要な局面において、世論が政治を動かすのではなく、政府が世論を誘導するということがたびたび起きている。
 著者は、そのいくつかの事例を挙げている。それを拾い上げてみると。。。

・アラモの戦い
 1853年、「アラモの砦」で有名なメキシコからの独立運動は、強いアメリカ国民の支持の下に成し遂げられた。
 だが、この際、合衆国政府は、国民世論を味方につけるために独立派の義勇軍を見殺しにしたと一部でいわれている。
 義勇軍がメキシコ軍によって壊滅され、反メキシコの世論を作り出したあとに、合衆国政府はメキシコへ宣戦布告、テキサス、ニューメキシコ、カリフォルニアの取得に成功している。

・真珠湾攻撃
 1941年の真珠湾攻撃に関して、当時のルーズベルト大統領は、事前に日本軍の計画を把握していたことが現在では明らかになっている。
 ルーズベルトは、日本の先制攻撃が成功するようにさまざまな手を打っている。日本軍の侵攻を察知した司令官を更迭、レーダーを不能にし、さらに日本軍が攻撃しやすいよう海門を開け、老朽化した駆逐艦を一直線に配備するよう指示した。
 ルーズベルトは、日本軍に真珠湾を攻撃させることによって、反戦の世論を一気に開戦へと導くことに成功した。

・トンキン湾事件
 ベトナム戦争拡大のきっかけとなった1964年のトンキン湾事件に関しても事実ではなく、捏造であったことが今では暴露されている。
 1991年の湾岸戦争の際もある少女による偽証がプロパガンダとして利用された。この少女はアメリカ政府が準備した証言者でクウェート大使の娘であったことが後に発覚した。

・イラク戦争
 2003年のイラク戦争を正当化するために喧伝された大量破壊兵器も本当に存在したのか、結局今でも不明のままだ。開戦を正当化するための捏造であることを疑われても仕方のない状況になっている。

 世論を誘導する政治というのは、アメリカで現実に起きていることだ。国民の団結が政治的にも軍事的にも、最も大きな力を生むことをアメリカの為政者は、非常によく理解しているのだろう。

9.11後の世界

 言論の自由は、だからこそ絶対に守られなくてはならない。このような為政者による世論誘導に対抗するためには、自由な言論の場は不可欠だ。世論誘導が横行する政治で、言論の自由が制限されれば、国民はただ政府の意向に従うほかなくなる。言論の自由が奪われるということが、アメリカ社会において最も恐れるべき事態だろう。
 だが、アメリカでは、この言論の自由が少しずつではあるが確実に制限されてゆく事態が現実のものとなっている。

 本書では、まず空港での過剰なまでの警備と安全対策が紹介されている。ミリ派スキャナーと呼ばれる全身レントゲン撮影や空気噴射による爆発物追跡装置など、さまざまな設備が導入されている。
 街頭や公共施設の監視カメラ設置は、今や当然となった。
 9.11以降、このような警備に多額の予算がつけられるようになり、関連企業のロビー活動が活性化した。2003年時点で国土安全保障省にロビイスト登録した警備関連企業は569社、利益は年間1150億ドルを超えている。同省から関連企業への天下りも報道されている。

 だが、警備の強化それ自体は国民の多くが受け入れていることだ。効果の期待できない過剰な警備が問題であることは分かるが、警備強化それ自体を問題視することはかえって政府に都合の良い論法を与えてしまう。警備の強化は多くの国民が認めることだからだ。国民の支持がある限り、このような政府批判はほとんど効力を持たないだろう。
 警備強化を名目に政府は国民の言論や政治活動の監視を正当化しているのだから、本来、国民の多くが望む警備の強化は、国民の監視を正当化するものではないという点を主張しなければならないのだ。安全保障と国民への監視は別のものとして論点を分ける必要がある。
 人権や憲法で保障された自由を制限する国民への(非合法な活動も含めた)監視が本当の問題であって、警備や安全保障が問題なわけではない。この点が未分離なまま政府批判を展開しても、政府は警備強化を名目に国民の監視をいっそう強化していくだろう。

 このようにさまざまな論点が整理されずに、議論不十分なまま、愛国者法をはじめとした、国民の言論の自由や政治活動を制限し、国民監視を正当化していくような法律が性急に成立しているのがアメリカの現状なのだ。

 愛国者法はもともと時限立法として成立したものだった。だが、盗聴と個人情報入手に関する第2条項以外は、すべて現在では恒久化されている。その第2条項も2009年オバマ大統領によって延長が要請された。
 この法律で個人の思想信条を調査することが可能となり、政府に批判的な人間はリスト化されていく。そしてテロ容疑をかけられれば、即、政府に拘束される。テロ容疑で拘束された場合、無期限で拘束が認められ、人身保護法やジュネーブ条約による保護からも除外される(敵性戦闘員として分類されるため)。
 そして米政府は、容疑者をキューバのグアンタナモをはじめとした国外の収容所に移送している。そこでは米政府に雇われた代理人によって拷問が行われていることが明らかになっている。いわば拷問のアウトソーシングだ。
 このような不当な捜査に対する告訴も国家機密情報に関わるとして却下されている。
 2006年には特別軍事法廷法が制定され、非公開の軍事法廷の開催が可能になった。

 このような一連の法律によって、政府による監視が強化され、容疑者の拘束が容易になった。そして容疑者には異議申し立てや告訴が認められず、政府による恣意的な捜査、拘束に歯止めがかけられなくなりつつある。これは、一度容疑者として嫌疑をかけられると人権が剥奪されるということを意味している。

 政府のこのような姿勢は、人々の間に萎縮効果を与える。国民は政府に反対する言論や行動を控えるようになる。
 言論の自由はこのようにして気付かないうちに制限されていく。そして、気付いたときには誰も政府への批判が出来なくなっている。

 本書は、著者の他のルポに比べると、内容に拙速さを感じる。反対派の声を拾い上げているだけで(それもそのほとんどが新聞報道から得たもの)、監視を実行している政府機関への取材などは一切ない。丹念な取材に基づいたルポというよりも、アメリカ国内の報道をまとめただけという印象が強い。
 しかし、監視国家へと変貌していくアメリカの怖さは、本書から十分伝わってくる。それと同時に自由と人権を保障するために活動する人々の姿も多く紹介されている。
 拷問が実際に行われているアメリカよりも報道の自由がないと評価されている日本こそが、このような現実をもっと知るべきなのだと思う。