PR|記事内に広告が含まれています。

なぜアメリカでは多くの人々がマスク着用に反対するのか? ― Anti-Maskers:マスクが象徴するアメリカ社会の対立構造

mask 話題のネタ
Articles
広告

マスク着用義務をめぐり混乱するアメリカ

 新型コロナウイルス対策としてのマスク着用をめぐり、アメリカでは今も激しい議論と混乱が続いている。マスクの義務化を進める州が増える一方で、それに反発する市民との対立が各地で表面化しており、問題は収束の兆しを見せていない。

 2020年7月時点で、全米50州のうち18州が公共の場でのマスク着用を義務化しており、その多くが民主党知事の州である。こうした対応は、感染拡大が深刻化する中で、州単位で感染抑制に向けた対策を講じる必要性から出てきたものである。

 そもそも、パンデミック初期の2月〜3月頃まで、欧米諸国では「マスクに感染防止の効果はない」「着用は不要」という認識が一般的だった。しかし、4月以降、感染が急拡大する中で科学的見解も変化し、マスクの有効性が次第に認められるようになった。これを受けて、6月以降はヨーロッパ各国が公共の場でのマスク着用を次々と義務化。アメリカもその流れに追随する形で、州単位での義務化が進められてきた。

 だが、マスク義務化には根強い反発もある。マスク着用を「自由への侵害」とみなす一部の人々は、命令に従うことを拒否し、店員や他の客と口論になるケースも後を絶たない。マスクをめぐる対立は、単なる感染対策の是非を超えて、「個人の自由」と「公共の安全」というアメリカ社会の根本的な価値観の衝突を映し出している。

 実際、マスク着用を拒否して店舗に入店しようとする市民と、それを制止する従業員との間で、暴力沙汰にまで発展する事例も報告されており、マスクは今や公衆衛生の問題だけでなく、政治的・文化的な対立の象徴となっている。

信念としての反発

 なぜ、ここまでマスク着用に激しく反対するのか?———

 そう疑問に思っている人も多だろう。
 そのような中、ある動画がSNSで話題になっている。それはフロリダ州パームビーチ郡で行われた郡政委員会の公聴会の様子を収めたものだ。地元住民がマスク着用義務化について意見を述べており、反対派がどのような考えに基づいて行動しているのかを知る上で、非常に興味深い内容だ。

 実際に反対派の住民が述べた主な意見は、以下のようなもの。

  • 「呼吸することは神から与えられた権利であり、マスクはそれを妨げる行為である」という宗教的信念
  • 「憲法により保障された自由を侵害する行為だ」とする個人の権利意識
  • 「自分の身体は自分で守る」という自己責任論
  • 「アメリカは自由な国であって、共産主義国家でも独裁国家でもない」という国家観

 これらの主張から見えてくるのは、マスクに対する反発が単なる衛生対策への反対ではなく、宗教・政治・文化的な価値観に深く根ざした「信念の問題」であるということだ。

 このような背景を持つ人々に対しては、たとえマスクの有効性についてどれだけ科学的なデータを示したとしても、それだけでは納得させるのが難しいだろう。理屈よりも「自由を奪われている」という信念・信仰が先に立つため、議論がかみ合わないことも多い。

 もちろん、このような意見は全米の中でも特に保守的な地域——例えば、共和党支持の強い内陸部の州などで顕著だとされている。

 ただし、このような発言が極端に思える一方で、公の場で市民が直接意見を述べる機会が与えられているという点は、アメリカの民主主義の強さを物語っているとも言える

 なお、公聴会でひときわ注目を集めた赤いTシャツを着た女性は、宗教的信念に基づいた過激な発言により複数のメディアで取り上げられ、象徴的な存在となった。彼女の主張には賛否が分かれるものの、市民の声が法制化の過程に影響を与えうるという事実自体は、アメリカの優れた点だろう。

アメリカにおけるマスク反対の根底にあるもの

 アメリカでマスク着用に対する反発が根強い背景には、感染予防として機能しているのか、という疑い以前に、宗教・文化・歴史に根ざした「マスクへの印象」が大きく影響している。

 もともとアメリカには、マスクを日常的に着用する習慣がなかった。そのため、マスクに対するイメージは、感染対策というよりも以下のような否定的なものが多い。

  • マスクは病人が着けるものであり、健康な人が着けるものではない。
  • 顔を隠す行為は、犯罪者や何か後ろめたい事情のある人のものと見なされやすい。
  • 表情が見えないと、相手と意思疎通ができないと感じ、不信感が生まれる。
  • 宗教的・文化的に顔を覆う習慣を持つ集団に対する偏見が根深く存在する。

 実際、あるテレビインタビューでは、アメリカ人の女性が「マスクをしている人は何か犯罪を企んでいそうで怖い。一人では近づけない」と語っていた。これは、マスクが単なる衛生用品ではなく、社会的・心理的な壁として機能してしまっている現実を象徴している。

 また、アメリカでは表情を重視したコミュニケーションが重視されるため、マスクで顔が見えないこと自体が「対話の拒絶」と受け取られることもある。日本人のように、表情を抑えた対話が標準的な文化とは、この点で大きな隔たりがある。

 その結果、マスク着用の是非について冷静な議論が行われる前に、政治的信条、宗教的信念、文化的価値観に基づいた「感情的な反発」が先行してしまう。科学的根拠や公衆衛生上の合理性が置き去りにされてしまっているのが、アメリカにおけるマスク論争の根本的な問題だ。

マスクは「科学」ではなく「政治」の問題に

 現時点で、マスク着用の議論はすでに感染拡大防止という医学的観点から離れ、「どの政党を支持するか」「どの価値観に共感するか」といった政治的・文化的アイデンティティの争いへと変質している。

 マスク着用に反対する人が多ければ、感染対策の観点から法制化せざるを得ない。しかし、法制化が進めば進むほど「自由を奪われた」という反発が強まり、さらなる対立が生まれる。このようにして、アメリカでは「マスク義務化」と「自由の侵害」の相克が、堂々巡りの悪循環を形成している。

 本来であれば、感染症対策として必要な措置をスムーズに実施するためには、できるだけ法制化を避け、市民一人ひとりが自発的にマスクを着用することが望ましい。ヨーロッパ諸国のように義務化が進む前に、自主的な行動を社会的に広げていくべきだった。

・政治闘争化するマスク着用問題

「義務化」よりも「自発性」を

 マスクの着用を一律に法制化することには、当然ながら弊害もある。人々はそれぞれ、身体的・経済的・医療的な事情を抱えており、一律の強制はその多様性を無視する結果になりかねない。

 だからこそ、本来求められるのは「法的な義務化を回避するための自発的な行動」である。マスクの必要性を理解し、それぞれの判断で着用することが、最も健全なかたちの感染対策なのではないか。

 幸い、日本ではマスク着用の法制化は現時点では議論されておらず、国民の多くが自主的に対応しているように見える。ただし、それは「自発性」というよりも、「同調圧力」の強い社会的構造による側面が大きいのかもしれない。実際、「自粛警察」や「マスク警察」と呼ばれる行動が見られるなど、日本の社会もまた別のかたちで問題を抱えている

・SNS上では、マスクをめぐるトラブルが日々大量に投稿されている。

 ……しかし、スゴイ迫力だ。なにか鬼気迫るものを感じる。。。

 皆さん、マスクしましょう😷

コメント

タイトルとURLをコピーしました