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音の風景が失われた国——Soundscapeから見た日本の都市空間

環境
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サウンドスケープ(Soundscape)とは何か

 サウンドスケープ(Soundscape)とは、「音の風景」を意味する概念であり、人間の周囲に存在するあらゆる音を、ひとつの環境として捉える考え方である。カナダの作曲家・音響生態学者であるマリー・シェーファー(R. Murray Schafer)が1970年代に提唱したもので、「ランドスケープ(風景)」の聴覚的な対応概念にあたる。

 たとえば、森で聞こえる鳥の声、木々のざわめき、都市の雑踏や駅のアナウンスといった音のすべては、その場所の特徴を示す「音の風景」を構成している。こうした音を単なる背景音ではなく、環境の一部として捉え、評価しようとするのがサウンドスケープの基本的な発想である。

 サウンドスケープという概念は、当初は自然や文化の中にある「聴覚的な美」を再発見しようとする運動として始まったが、現在では都市計画、環境保全、健康、教育といった多様な分野に広がりつつある。騒音問題の解決のみならず、音を通してその地域や社会のあり方を見つめ直す手がかりともなりうる。

 音を「騒音」や「情報」としてだけでなく、文化・環境・生活の質に関わる重要な要素として捉え直すこと。これこそがサウンドスケープの核心であり、より豊かで持続可能な社会環境を考える上で欠かせない視点となっている。

 では、いま、私たちを取り巻く「音」の環境はどのようなものになっているのか———

 「いま、ここ」の日本の姿を考えて見たい。

騒音の大国 —— 音の風景をめぐって

 私たちの身の回りには、さまざまな生活音があふれている。たとえば、近隣住民の生活音、公園や学校から聞こえてくる子どもたちの声、道路を行き交う車の走行音、工事現場から響く作業音などである。
 これらは、日常生活のなかである程度は避けられない音であり、私たちは互いに折り合いをつけながら、共に暮らしている。

 しかし、日本の都市環境には、こうした社会生活上やむを得ない音とは別に、さまざまな人工的な音が過剰に存在している。

 たとえば———

 家にいて聞こえてくるさまざまな音。

 ただ名前を繰り返すだけの選挙カー、ゆっくりと住宅街を巡回する廃品回収車、灯油販売や焼き芋などの移動販売、拡声器を使って通りを流す行政の広報車、そして街宣活動を行う政治団体の車両など——日常生活の中で、私たちは多くの“外からの音”に囲まれている。

 街を歩けばさらにその傾向は顕著になる。

 店頭で拡声器を使って呼び込みをするスタッフ、絶え間なく宣伝用の音楽を流し続ける商店街、大型ビジョンから発せられる映像と音声、広告を目的として市街地を走行するサウンドトラック付きのトレーラー、公共施設で流れ続ける案内放送や注意喚起のアナウンス——こうした音の洪水は、私たちの都市空間に深く根付いている。

 このような日常的な音環境を振り返ったとき、ふと疑問を抱くことがある。

 なぜ、これほどまでに都市空間における「音」が無造作に溢れているのだろうか。
 そしてなぜ、私たちはそのことにあまり違和感を覚えないのだろうか。

音の風景=Soundscapeという視点

 「音」もまた、視覚的な景観と同様に、私たちの生活環境を形づくる重要な要素の一つである。
このような視点を持って都市の音環境を捉えようとする考え方は、「音風景(Soundscape)」という概念に結びつく。

 Soundscapeは、当初は美しい風景を「聴覚」も含めて評価しようとする運動から始まった。しかし現在では、音が人間の住環境や地域の生態系に及ぼす影響にまで関心を広げた、より包括的な概念へと進化している。

 都市における音は、単なる騒がしさやノイズという問題だけにとどまらず、その社会や文化の感性をも映し出している。つまり、Soundscapeをどう扱うかは、その社会が「どのような暮らしを理想とするのか」を問うことでもあるのだ。

 そのような観点から見て、日本の都市空間で、音環境に対する配慮が十分になされていると言えるだろうか。日常にあふれる無目的な音、過剰な情報発信、音量への無頓着さは、生活空間における「静けさ」や「間(ま)」といった感覚を損なっているようにも感じられる。

 私たちが日々接している音の環境について、少し立ち止まって考えてみる必要があるのではないだろうか。
 音もまた、風景の一部であり、私たちの心と身体に確かな影響を与える存在なのだから。

日本における「音」環境

 では、現代日本の都市や生活空間を、「Soundscape(音の風景)」という視点から見直してみると、どのように映るだろうか。

 私的空間と公共空間の境界を問わず、さまざまな場所で音があふれている。宣伝用の音楽、拡声器による呼びかけ、注意喚起のアナウンスなどが、日常的に流されているのが現状である。とりわけ東京都心における音の密度の高さは、もはや日常的な範囲を超えていると感じられることも少なくない。

 もちろん、大都市の喧騒は世界共通の現象だという見方もあるだろう。確かに、繁華街が騒がしいのは東京に限ったことではない。しかし、現在の日本では、問題は「繁華街の騒がしさ」だけにとどまらない。

 静けさが求められるはずの住宅地にまで、拡声機付きの車が走り回り、生活音とは別の「外部からの音」が絶え間なく入り込んでくる。こうした状況のなかで、落ち着いた住環境を維持することが、かえって困難になっている地域も少なくない。

 実際に、日本を訪れた外国人がまず驚くのは、この音環境の独特さである。日本の都市住宅地は「ウサギ小屋」と揶揄されるような密集型の構造で知られているが、その狭い住宅の隙間を縫うように、拡声機を備えた車両がゆっくりと巡回している光景は、海外から見るとかなり特異に映るようだ。こうした「音と空間のあり方」は、文化的な違いを超えて、ある種の違和感を抱かせるものかもしれない。

音という環境への理解に向けて

 Soundscapeとは、音を単なるノイズや情報伝達の手段としてではなく、自然や都市、そして人間の生活空間全体と相互に関係しあう一つの「環境」として捉えようとする考え方である。音を取り巻く生態系全体を俯瞰し、より持続可能で快適な音環境を目指すという点で、きわめて先進的な視座を提供している。

 しかし、残念ながら日本では、「音」もまた景観や生活環境の一部であるという認識が、社会全体でまだ十分に共有されているとは言い難い。視覚的な景観に対する配慮が乏しいとされる日本の都市空間では、それと同様に、音の扱いにも無頓着な傾向が見られる。

 その背景には、地域社会における公共性への意識の希薄さ、都市設計や政策における生活環境への配慮の不足といった、より構造的な問題があると考えられる。都市の騒音問題は、単に「うるさいかどうか」という感覚的な問題ではなく、私たちがどのような空間で、どのような人間関係とともに暮らしたいのかという社会的な価値観の表れでもある。

 いま私たちに求められているのは、音という身近な環境に対してもう一度目を向け、耳を澄ませることだろう。生活空間における静けさや聴覚的快適さへの感度を取り戻すことは、より豊かで調和的な社会を築くための第一歩になるはずだ。

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