市場は信頼できるのか? – レーガノミクスの失敗

市場ははたして信頼に足るものなのか?

 市場への信頼性という観点から振り返る経済政策の歴史 第4回

 第1回 第2回 第3回

レーガノミクスの失敗

ケインズ政策への批判

 第二次世界大戦後、先進諸国における自由経済はすべて混合経済へと移行した。だが、70年代からこの修正資本主義の中心政策となったケインズ主義は、市場の合理性を歪めるものとして批判されるようになる。ケインズ政策に対する批判は、主に以下の三点に集約された。

 第一に、ケインズ政策による財政政策は、民主主義制度の下では政策転換が行われにくいということ。好況不況に関わらず、絶えず景気刺激策として利用され、その結果、財政赤字が恒常化しやすい。
 その上、財政政策による公共事業は、市場経済に政府部門が侵食することで、経済合理性を欠いた事業が蔓延する。さらに、それは政治家にとっては集票の道具となり、利権の温床となる。政府部門の肥大化は、金権政治や利権誘導政治をもたらし、政策の合理性すら歪める結果となっている。

 第二に、70年代後半に先進諸国を襲ったスタグフレーションは、ケインズ政策では全く対処不可能な事態だった、という点。60年代から影響力を持ち始めた新自由主義のフリードマンは、スタグフレーションの原因をケインズ政策による市場の撹乱に求めた。ケインズ政策が恒常的に景気刺激策を行うことでインフレを進行させる。だが、インフレによっては失業率の改善を図ることはできないと、彼は主張した。ケインズ政策は結局、失業を解消できず、かえって政府の総需要対策が、スタグフレーションを招くと批判した。

 第三に、1971年の変動相場制への移行により、自由な資本の移動という金融の国際化が進んで、国内の独自の経済政策に限界が生じたこと。グローバリズムの進展は、ケインズ政策の効果を極めて不確定にしてしまった。国内の経済政策において、他国の金融政策や海外投資家の動向が大きな影響をもたらすようになった。70年代から80年代にかけての経済の自由化はケインズの国民経済という観念に決定的に打撃を与えたのである。

レーガノミクスの奇妙な帰結

 ケインズ主義と福祉国家の到来によって先進諸国では、かつてのように恐慌に怯える必要はなくなった。だが、その経済保護的な政策が、80年代以降、資本主義国家の経済倫理を徐々に蝕んでいた。ケインズ政策は、均衡財政と失業の恐怖という経済倫理を保つ歯止めを一挙に取り外してしまった。労働者は大衆化して勤労倫理が低下し、政府は役割が肥大化して利益誘導政治に終始するようになる。ケインズ経済学を批判して登場してきた新自由主義は、この経済倫理の再構築を目標とした。
 ケインズ的な左派的経済政策から自由主義的な保守派の経済政策へと、世界的に政策の転換が80年代の初頭から始まるのである。

 まず、アメリカで共和党のレーガン政権下で、経済再建策が採られる。大綱が81年に発表され、彼の経済政策はレーガノミクスと呼ばれた。金融政策を通じて総需要の抑制に確固たる姿勢を示し、供給力重視の立場から、インフレーションの抑制を図った。

 レーガンは、供給力増強のために、減税を重要政策と位置付けた。税負担が重すぎることが国民の勤労意欲を阻害しているとの考えだった。初期のレーガノミクスが依拠した理論は、ラッファー曲線と呼ばれるもので、それによれば、税率の引き下げにより、生産と経済活動の拡大が見込まれていた。さらに、経済の様々な領域で大幅な規制緩和を行った。減税と規制緩和による総供給の増加で、経済活動の活性化が図られた。これにより、政府の税収は減税分以上に増大することが見込まれていたのである。

 しかし、実際にはこのような事態は起こらなかった。減税と並行して行わなくてはならないはずの財政支出の削減は、増大する軍事費や社会保障費のため実現ができなかった。供給量重視のレーガノミクスも総需要対策のケインズ政策と同じ過ちに陥っていた。すなわち、減税は政治的に実行しやすいのに対し、財政支出の削減はきわめて困難であるという大衆民主主義の罠である。レーガノミクスは財政再建に失敗し、巨額の赤字を抱えることになったのである。

 ここでレーガノミクスは、さらなる失敗を重ねる。財政支出の削減を回避し、巨額の財政赤字を放置しておけば、総需要は常に過剰気味になる。もし総需要が過剰で、それに対する供給量を確保できなければ、インフレだけが進行し、いずれ経済は停滞する。だが、80年代のアメリカは、国内生産だけでは不足がちな総供給量を輸入で穴埋めした。その結果、貿易収支は赤字になる。それをファイナンスするために海外から巨額の借り入れを続けたため、80年代にアメリカは世界最大の対外債務国になった。国内の過剰な総需要を輸入によって補ったのである。そのため見かけ上の好景気だけは演出できた。レーガノミクスは、政治的に最も安易な道に陥っていった。
 財政赤字を放置したことで、総需要は常に過剰気味となり、それが輸入超過を招いて、貿易赤字を積み重ねる結果となった。「双子の赤字」と呼ばれた財政赤字と貿易赤字の同時進行は、同じ一連の政策が招いた事態だったのである。

 レーガノミクスが非常に奇妙なのは、その政策が標榜していることと実際に実行していることが全く正反対であり、なおかつ、見かけ上にはその政策が効果を発揮しているかのように見えていることである。
 供給側重視の経済政策を標榜し、財政支出を削減するはずが、共和党政権下で軍事支出が増大し、総需要政策と変わらない効果を持った。その結果、過熱気味な景気に対して、金利が上昇し、民間投資が抑えられたため、インフレは徐々に収束へと向かった。82年には政策金利を徐々に低下させ、83年には、減税によって民間消費が盛り上がり、景気は回復傾向に入る。
 奇妙なことに結果だけ見れば、レーガノミクスは、インフレ抑制と景気回復には一定の効果を収めたのである。

マクロバランスの崩壊

 レーガノミクス下のアメリカ経済において残された問題は、双子の赤字であり、特に貿易赤字は、国際的な貿易摩擦へと発展していった。80年代半ばから、日米貿易摩擦が深刻化していく。この時アメリカは、自国の巨額な貿易赤字の問題を輸出国側の問題へと転嫁した。アメリカの輸出が伸びないのは、自国の輸出産業が国際競争力を持たないためではなく、他国の市場が閉鎖的なためであるとした。全く道理の立たない責任転嫁以外の何物でもなかった。

 アメリカの圧力を受け、1986年に日本銀行総裁前川春雄を座長にした有識者会議が開かれ、日本の貿易黒字を抑制するための日本の公式方針が発表された。いわゆる前川リポートである。アメリカの貿易赤字を削減するために、日本の内需拡大と市場開放を行うことが公約された。アメリカの暴論に全く屈した形であった。
 そもそも、当時、約500億ドルの日本の貿易黒字を日本国内の内需拡大と市場開放で削減することは、現実的に無理なことは始めからはっきりしていた。そのため、この発表には具体的な数値目標が示されなかった。日本の内需拡大と市場開放は、抽象論に終始した。
 貿易摩擦の要因が、日本の市場や社会の在り方にあったわけではない。その根本的な原因としては、日本の経済構造より、アメリカの財政構造の方がはるかに問題だった。

 需要と供給は、同じ売買行為を買い手と売り手の側からそれぞれ見た行為であり、その量は必ず一致する。一国の経済においても、総供給は総需要と一致する。したがって、

 総需要(買いの総額)=総供給(売りの総額)

 の恒等式が成立する。

 総供給の内実は、国内総生産(GDP)と輸入(IM)である。そして総需要の内実は、消費(C)、投資(I)、政府支出(G)と輸出(EX)である。

 国内総生産をYとして最初の恒等式の両辺にこれを代入し、移項する。

 Y-(C+I+G)=EX-IM

 この式から貿易収支(EX-IM)の大きさは国内の貯蓄に等しいことが分かる。

 貿易収支が赤字であれば右辺はマイナスであり、その時には必ず左辺ではプラスになる。つまり、内需(C+I+G)がGDP(Y)よりも大きくなる。内需が国内総生産を上回るということは、国内で生産したもの以上を国内で買うということで、内需の不足分を輸入で補っている状態である。アメリカは、国家全体で収入以上の支出をしていることになる。
 レーガン政権では、減税を行ったのにもかかわらず、財政支出は続けられ、需要喚起が行われ続けた。そのため、国内生産分は、内需を充たすのに足りなくなり、輸出に回す分も圧迫するので、貿易収支の赤字に拍車がかかることになる。これは、貿易赤字によって、国内の好景気を維持している状態を意味している。レーガノミックスでは、投資と消費が増加し、総需要は拡大したが、供給不足分を輸入に頼ったため、GDPに大きな変化はなく、マクロバランスが大きく崩れることになった。

 マクロの経済活動は、総需要と総供給の関係によって左右される。その均衡が崩れ、需要や供給の一方だけが最大限に稼働した局面では、市場はその調整機能を失う。
 ケインズ経済学は、1930年代の総需要不足を政府支出の増加によって解消しようとした。一方、新自由主義者たちの供給側の経済学は、減税と規制緩和により総供給を増やすことで70年代のスタグフレーションを解消しようと試みた。
 だが、減税と規制緩和により経済刺激を与えれば、国内総生産が拡大するという供給側の経済学の想定は、すぐに裏切られる結果となった。生産したものが全て消費されるというセイの法則は現実には成立しない。また、地に足の着いた製造業を軽視し、大衆社会化した経済倫理の下では、減税と規制緩和は勤労意欲を刺激するよりも、旺盛な消費だけを掻き立てた。
 結果として、消費だけが刺激され、表面的な好景気が演出されたが、残されたのは、巨額の財政赤字と貿易赤字である。保守派の新自由主義と供給側の経済学に依拠したレーガノミクスは、こうして破綻したのである。

市場は信頼できるのか?

 スタグフレーションの発生、社会主義の崩壊という70年代から80年代の新たな経済状況の変化を通じて、市場に今一度経済活動の自由を任せようという新自由主義の考え方が台頭してきた。この「市場主義」の考え方は、ケインズ政策や社会民主主義さえも市場の阻害要因として批判されている。

 日米貿易摩擦以降、日本の経済政策は、アメリカの圧力に屈し、アメリカ主導の下、80年代90年代を通じて市場開放と構造改革を進めてきた。この間、日本の経済政策に関する議論は常に「市場主義」に彩られてきたと言える。

 市場主義は、世界を一つの市場として見ることにより、国際主義的性格を色濃く持っている。一面では反国家主義とも結びつき、国家による介入の要素を極力排除し、社会の全面的な市場化を主張している。従来、国家の役割として考えられた社会保障や治安維持も市場原理に任せるべきというリバタリアニズムも登場している。
 しかし、経済学の発展の歴史を振り返ってみると、市場が機能しない事態に直面し、それをいかに対処すべきか課題と共に進展してきている。果たして、経済学は、市場の適切さを証明できているのでだろうか。
 90年代以降は、国際規模での市場競争が本格化していく。金融市場も自由化され、国際化が進んだ。

 今日の経済が直面している最も重要な問題は、主に二つに集約されるのではないだろうか。一つは、金融経済と実体経済との関係である。国境を越えた資金の短期的な流動化が、果たして製造業を中心とする長期的な計画を持った実体経済にどのような影響を与えるのか。
 もう一つは、社会の二極化である。国際規模での自由競争があおられ、激しさを増した結果、資金力が豊富で常に国際競争力を維持できる企業だけが生き残り、一部の企業だけが市場で圧倒的に優位な立場に立つようになった。その他の中小企業は下請けとしての役割しか与えられなくなった。結果として、中流階級が崩壊して、経済格差が進展している。

 市場は、自然に存在している与件ではない。人が支えている社会制度である。その社会制度としての安定性を確保できるのかどうかということはほとんど議論されないまま、市場の自由化だけが唱えられている。今、世界的に自由化した市場を支えるだけの制度的な条件は、整えられているのだろうか。
 市場を支える外的条件としての国家、地域社会、法制度の役割こそ、今、最も問われている。

参考図書

飯田経夫『経済学誕生』(1991)