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繰り返される右翼テロ – 河野博子『アメリカの原理主義』

星条旗 政治
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河野博子『アメリカの原理主義』(2006)

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極右テロの頻発

 2006年刊行。
 第二次ブッシュ政権下、泥沼化するイラク戦争を推進した右派勢力と、それを支持するアメリカ国内の右傾化する世論を取材している。

 アメリカでは1980年代末から1990年代にかけて、極右勢力によるテロ事件が頻発した。中絶を行う医院や診療所、同性愛者が集まるナイトクラブなどが襲撃や爆破の標的とされ、全米各地で死傷者を出している。

 特に象徴的なのが、1995年4月に起きたオクラホマ州オクラホマシティの連邦政府ビル爆破事件である。これは、連邦政府を「敵」と見なす極右思想の過激な表れだった。

 これらの事件の多くは、極右組織、あるいは極右的思想を持つ個人によって引き起こされている。彼らの思想的な特徴は、以下のように整理できる。

  • 個人の自立や自治を重んじ、連邦政府や国家による統制に強く反発する
  • 伝統的な家族観や性役割に固執する
  • 国連主導の国際秩序やユダヤ資本への陰謀論的反感を抱く
  • 反ユダヤ主義および白人優越主義を掲げる

 このような思想を持つ極右勢力の中には、銃で武装し、自衛訓練を行いながら共同生活を営む「ミリシア(Militia)」と呼ばれる民兵組織も存在する。これらの組織は、アメリカの開拓時代に根差した「自立の精神」を尊重する保守派の思想を背景に持っている。

 このため、極右勢力は共和党支持層を中心とする保守的な有権者層の一部と地続きであり、その中の過激化した一部が極端な行動に走っているといえる。

 そして2000年代に入ると、こうした従来型の極右とは異なる、新たな形の右派勢力が登場し始めることになる。

宗教右派の台頭とネオコンの影響力

 2004年、ジョージ・W・ブッシュ大統領は再選を果たした。この選挙で大きな影響力を発揮したのが、宗教右派の存在である。宗教右派はその後のブッシュ政権の政策運営にも深く関与し、政治的影響力を強めていった。

 宗教右派の思想的源流には、キリスト教原理主義がある。キリスト教原理主義とは、聖書に記された内容をすべて文字通りの事実として受け入れる立場であり、アメリカでは古くから存在していた。たとえば1920年代には、ケンタッキー、アーカンソー、ミシシッピ、オクラホマなど、中南部の州を中心に、進化論教育に反対する運動が展開された。

 このキリスト教原理主義が政治的影響力を持つようになったのが、いわゆる「新保守主義(ネオコン Neo-conservative)」と呼ばれる勢力である。彼らは聖書を絶対視する立場から、親ユダヤ的な傾向を強め、宗教的保守主義と政治的現実主義を融合させた形で台頭していった。ネオコンは、東海岸の知識層や軍事産業、保守系ユダヤ人層と密接なつながりを持つとされている。

 彼らの中心的な思想は、アメリカを「神に選ばれた特別な国家」と位置づけ、アメリカには道徳的・宗教的使命があるとする「使命的国家観」に基づいている。その使命とは、アメリカの価値観を世界へ広めることであり、外交政策にも強く反映される。ネオコンは国際協調よりもアメリカ単独主義を優先し、必要であれば軍事介入も辞さない積極的な対外姿勢を取る。とりわけ中東問題については、親イスラエル的な立場から積極的な関与を推進した。

 このような宗教右派の思想は、自治や孤立を重視する従来の極右とは一線を画している。伝統的な極右が内向きで排外的なのに対し、ネオコンは外向きで介入的であるという点で異質である。

 宗教右派の背景には、アメリカ建国の理念に遡る「神に選ばれた国」という意識がある。そして2001年のアメリカ同時多発テロは、その意識を強く再燃させ、宗教右派が政治の中枢に躍り出る契機となった。

 実際、ブッシュ政権ではネオコンが外交政策に大きな影響を及ぼし、一部の支持者は終末論的世界観に基づいて、イラク戦争を宗教的使命として捉えていたとも言われている。このように、宗教色が強く表れる政治・外交は、ブッシュ政権の大きな特徴だった。

 9.11を契機に高まった愛国心の中で、宗教右派と従来の極右勢力が奇妙な連携を見せるようになり、それがブッシュ政権下における世論の右傾化を加速させた。

取り残される白人中間層と政治的空白

 こうしたアメリカ社会の右傾化には、宗教右派や極右の台頭だけでなく、政治的な空白の存在も大きく関係している。

 もともとアメリカ南部は、民主党の強固な支持基盤であった。しかし、カーター政権期以降、南部を中心に多くの有権者が民主党から離反し、共和党支持に転じるようになった。その背景には、民主党が同性愛や同性婚の容認、少数派の権利尊重、男女平等、宗教的・民族的多様性の容認といったリベラルな方向へ政策を大きく転換したことがある。

 この路線変更によって、従来の中道的な立場をとるキリスト教保守層や白人中間層は、自らの価値観が民主党から疎外されていると感じるようになった。結果として、民主党の支持基盤は、東海岸のエリート層と西海岸のリベラル層に偏るようになっていった。

 1990年代以降に見られるアメリカ社会の右傾化は、こうした「政治的空白地帯」にリベラルの反動として広がっていった現象と考えることができる。アメリカ同時多発テロは、むしろその流れを加速させるきっかけに過ぎなかったとも言える。

反動と反発を繰り返すアメリカ社会

 アメリカ社会は決して一枚岩ではない。極右や宗教右派の台頭による保守化の流れが強まる一方で、それに対する反動も常に存在している。泥沼化するイラク戦争への国民の不満が高まる中、今度はリベラル派や民主党支持層からの強い反発が起こり、その結果として2008年にはバラク・オバマが初の黒人大統領として誕生することになった。

 しかし、オバマ政権の誕生によってアメリカ社会の右傾化が終息したわけではない。むしろ、社会に横たわる価値観の対立は、表面的には収まったように見えても、根本的には解消されず、さらに先鋭化し、地下に潜行したと見るべきである。アメリカという国家は、自由と平等を掲げつつも、全く異なる二つの世界観――リベラルと保守、進歩と伝統――が並存し、時に激しく衝突しながら、反動と反発を繰り返して統合を模索してきた国なのだ。

 日本を含む国外からは、アメリカのリベラルな側面が主にメディアを通じて伝えられやすい。多様性を尊重し、個人の自由を重んじる価値観が「アメリカ的」として紹介されることも多い。しかし、アメリカの中西部や南部の地方都市、農村部など、いわゆる“フライオーバー・ステーツ”に足を運べば、そこには宗教的・保守的な価値観が根強く息づいており、都市部とはまったく異なるアメリカの現実が存在する。

 このように、アメリカ原理主義の根は、社会の中で沈潜と再浮上を繰り返しながら、常にアメリカ世論に影響を与えてきた。表層の政治動向やメディア報道のみにとらわれず、その基底にある価値観の対立構造を見極めることが、アメリカ社会を理解する上で不可欠である。

河野博子『アメリカの原理主義』(2006)

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