池内恵『イスラーム国の衝撃』(2015)
突如登場したイスラーム国(IS)とその背景
独裁政権の暴力に頼っている限りは、過激派の発生は止まず、かといって過激派の抑制には、独裁政権を必要とする。このジレンマにアラブ世界は、疲れ切っている。
2014年、突如として現れ、中東情勢を一気に緊迫させたイスラーム国(IS)。本書は、ISの成り立ちとその背後にある思想的背景を丁寧に解説している。特に第7章では、ISのプロパガンダとメディア戦略に焦点を当て、現在の中東情勢において過激思想の台頭を抑えることの難しさが浮き彫りになっている。
思想の行き詰まりが招く過激派の台頭
イスラーム過激派の理論家たちは、イスラームの教義から自分たちに都合の良い要素だけを抜き出し、自由に解釈して主張に取り入れている。彼らは、伝統的なイスラーム思想や象徴を巧みに利用し、古典的な法学の定説に依拠しながら、自らの正当性を主張していく。
そのため、穏健派のムスリムにとっては、過激派の思想的根拠そのものに反論するのが非常に難しい。両者は「解釈の違い」という形で平行線をたどり、議論がかみ合わないままに終わってしまうのだ。
現代のイスラーム主義における過激思想は、すでにあらゆる主張が出尽くしており、それに対する反論や批判もまた出尽くしていると言われている。こうした思想的な行き詰まりの中で、ISの理論家たちは、新たな理論を生み出す必要に迫られることなく、既存の議論だけで自らの正当性を主張できる状況にある。
その結果、現在の過激派は、新しい思想の構築よりも、メディア戦略やプロパガンダの洗練に力を注ぐようになっている。
洗練されたISのメディア戦略
ISのメディア戦略は非常に巧妙である。たとえば、彼らは捕虜の処刑映像をインターネット上に公開しているが、それらの映像はドラマのように編集され、残虐なシーンを意図的にカットして、SNSなどを通じて広まりやすい形式に仕上げられている。
捕虜に着せているオレンジ色の服も、アメリカのグアンタナモ収容所の囚人服を模したものであり、アメリカによる不当な拷問への抗議を想起させる。この演出によって、処刑行為に一定の正当性を持たせようとしているのである。
過激派思想に対抗できる明確で有効な思想が欠如している現状と、こうした洗練されたメディア戦略が相まって、ISは世界中からその思想に共鳴する人々を引き寄せ続けている。
中東における政治的空白と過激派の台頭
これまで中東において過激派の台頭を抑えてきたのは、各国の独裁政権であった。しかし、皮肉なことに、その独裁政権による強権的な支配と抑圧こそが、過激派が生まれる土壌ともなっていた。
2011年以降の「アラブの春」によって、各国の独裁政権は次々と崩壊したが、その後に登場した民主派勢力には、十分な統治能力が備わっていなかった。その結果、権力の空白が生まれ、それを埋める形で過激派が勢力を拡大することとなった。
イスラーム世界における多くの中東諸国では、独裁体制の崩壊後、近代的な世俗国家を築くことに失敗している。そうした中で、政治の空白を埋める手段として過激派が台頭するという悪循環が生まれてしまっている。
現在の中東の政治状況は、「世俗化を一切認めない過激派」、「権威主義的な独裁政権」、あるいは「統治能力に欠ける民主派」という三者のいずれかしか選択肢がないという、非常に不幸なジレンマに陥っているのが実情である。
果たして、この出口の見えないジレンマから中東が脱する日は訪れるのだろうか。
池内恵『イスラーム国の衝撃』(2015)
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