電子書籍の未来 その2 (肯定派)

電子書籍

佐々木俊尚『電子書籍の衝撃』(2010)

電子書籍脅威論のウソ

 2010年刊行。
 2009年10月にKindleが日本に初上陸し、2010年は日本の電子書籍元年になると騒がれていた頃に書かれた本で、電子書籍に対する期待が伝わってくる。
 当時は、既存のメディアを中心に電子書籍に対する批判的な議論が多かった。単に出版、印刷業界の既得権益を代弁しているだけかのような見当違いな批判が多かった中で、本書は比較的大局的な観点から今後の読書のあり方を論じている。

 著者の主張から一貫して感じるのは、電子書籍が出版文化を破壊するという認識はまったくの間違いだ、ということだ。出版社や印刷業界が口をそろえて言う出版文化なるものがそもそも全くの幻想でしかなく、むしろ既存の出版文化の方が日本の読書文化を貧相なものにしている。著者は、日本の出版業界はいまや完全に劣化しているとはっきり述べて憚らない。
 年間の新刊点数は60年代に1万点台、70年代に2万点台、80年代に3万点台と増えていき、現在は8万点台だ。新刊数が増えるにつれて内容は当然劣化していく。そして内容の劣化は売り上げ冊数の減少を招き、本一点あたりの売り上げは80年代の5分の2まで落ちている。
 そして、こうした売り上げ減少の要因を出版業界は、「若者の活字離れ」に求めようとする。しかし、こうした議論は全く統計的な根拠のないものが多い。むしろ問題は、本の質の劣化をもたらした流通構造の方にあり、読みたい人に読みたい本が適切に届く仕組みがあれば、読書量とは自然に増えるのだ。

出版文化を衰退させる本当の原因

 再販制度と「取次ぎ」という日本独特の流通の仕組みが出版文化を劣化させているのは間違いない。著者によれば、この制度はもともと雑誌の流通経路に書籍を乗せて販売したことが始まりだという。浅く広く、大衆的な関心にのみ焦点を当てた雑誌の販売網に書籍を乗せることで、本の大量生産、大量流通、大量販売を可能にした。
 本来、細分化された個別の関心に支えられるべき書籍が、大量消費の対象となった。書籍の雑誌化はすでにこの頃始まっていたといってもいい。しかし、そうした変化の中にあっても書籍は文化、教養を担うべきだという教養主義の観念は根強く残っていた。だがそれも90年代の出版不況といわれる頃には完全になくなり、書籍は雑誌と同じように大量生産、大量消費され、時期物として読み捨てにされるものが殆どになっていった。

 再販制度で返品が可能なため、書店は品揃えに責任を持つ必要がない。多くの書店が、大手取次店が配本する商品をそのまま受け入れて商売をしている。
 その結果、日本の書店はどこも個性がなく、ただ新刊と雑誌、漫画、あとハウツー本程度を置いているだけで、全く魅力に欠けている。少しでも専門的、あるいは希少な関心に答える本は、都心の大型書店に行かなくては手に入らないという状況だ。
 返品リスクを最小限に抑えるために、購買層のもっとも厚いところだけに焦点を絞った結果だ。品揃えで、読書家の広い関心にこたえようとする努力は、小売の書店にも卸の取次店にも一切見られない。

 出版業界は、こうした自己の怠慢を棚に上げて書籍の売り上げ低下を読者の責任に帰しているのだから、噴飯物だ。既得権益化した流通構造を守ろうとしているうちに読者から愛想をつかされただけだろう。

電子書籍がもたらす新しい読書の形

 電子書籍は、大量消費というマス的関心にのみ焦点を当てている今の出版業界に対して、細分化された個別の関心に応えることのできる新しい仕組みだ。
 既存の流通には殆ど乗ることのなかった専門的な書籍や個別の関心に応える本を誰もが容易に手にすることができる。要するに、電子書籍の流通は、紙媒体の書籍が雑誌化していった流れとは逆の形を作りつつあるのだ。書籍の本来のあり方を取り戻すことができる可能性を電子書籍は秘めている。

 著者は、電子書籍の流通には今後social mediaが重要な鍵になるだろうと述べている。細分化された個別の関心に応えるためには、既存のmass mediaは殆ど役に立たない。「mass media」は その名のとおり、「mass」を対照とした関心しか扱わないからだ。個別の関心に応える情報は、共通の関心で結ばれていくsocial mediaを通じて広まっていく。
 読者は自分の関心に近い人たちをsocial mediaを通じて見つけて、そのなかで自分の読みたい本を探すのが一般的な形になっていくだろう。たとえば、自分の関心に近いreviewerをfollowしてそこから書籍を探すといった形だ。

 読書文化は電子書籍の登場で、大きく変わることは間違いない。だが、読む媒体や流通の方法が変わっても結局、重要なことは、読みたい人に読みたい本をどう届けるか、ということに尽きている。
 電子書籍によって出版文化は、細分化された人々の関心でタコツボ化すると一部批判されている。しかし、今まで見過ごされてきた多様な、そして深い関心に応えられるだけの可能性を、それは一方で秘めている。貧相な品揃えしか提供できない今の流通と読み捨ての本を大量生産するだけの現在の出版によって極めて劣化した出版文化に、新しい流れが必要なことは間違いないだろう。

(余計な)追記

 本書は、内容も非常に興味深いし、著者の主張も概ね納得できるものなのだが、カタカナ語の連発には辟易する。しかもそれの殆どが意味があって使っているものとは到底思えない。自分の議論が新しいことを言っているかのように装うための飾りでしかない。不必要なカタカナ語の連発で文章自体が読みにくくなっているのが非常に残念。