切り捨ての始まり – 金子哲雄『「持たない」ビジネス 儲けのカラクリ』(2012)

書評(辛口増量)

金子哲雄『「持たない」ビジネス 儲けのカラクリ』(2012)

資産保有がリスクになる時代

 2012年刊行。
 市場の変動が激しく先の見えない経済状況の中では、資産を保有することがむしろリスクになるということを説明した本。

 個人にしろ会社にしろ資産を保有すればそれは固定費となり、自由な支出を制限させ、さらにはそれが経済活動をも狭めさせる結果になる。経済や市場の動向が分からない中で、臨機応変に立ち振る舞うためには、身軽でいること、つまり、資産をなるべく持たないことのほうが有利だというのが著者の考え。

 第1章の住宅購入に関するリスクの指摘は非常に興味深かった。
 近年住宅市場は供給過剰にあり、この傾向は少子化の中でしばらく続くと予想される。
 バブルの頃のようなキャピタルゲインを期待できない今、住宅購入が投資になると安易に考えることは出来ない。さらに耐用年数が諸外国に比べて非常に低い日本の住宅では、たとえば30年ローンを組んで住宅を購入したとしても、ローン完済後の30年後にその住宅が資産としての価値を持つかどうかは疑わしい。固定資産税を払い続けた上に、30年後建替えやリフォームのリスクが付いてきかねない。

 第2章からは企業の経営戦略の話。
 イトーヨーカドーとダイエーの経営手法を比較し、店舗や土地の賃貸に徹したイトーヨーカドーの方がバブル期以降の経済変化に柔軟に対応できたと指摘している。
 ダイエーは店舗の土地建物を自社保有し、それを担保にすることで、さらに銀行から融資を受け、新規出店を続けることを可能にした。このような経営手法は資産が含み益を持っている時は良いが、資産価格が下がって含み損を発生すると一気に経営を圧迫し始める。戦略的な店舗の統廃合も自社保有の場合、実施するのもより難しくなる。結果としてバブル期以降は、持たない経営に徹したイトーヨーカドーとセブンイレブンが営業利益を伸ばすことになった。

 著者はセブンイレブンのような経営を成功事例と呼ぶが、フランチャイズの手法ばかりが一般化し、店舗所有者にリスクを丸投げする経営が広まったことは否めない。

アメリカの後追いでしかない経営手法

 著者は本書全体で「持たない経営」を標榜し、人材や設備をすべて外部委託にして変化に柔軟に対応できるようにすることを説いているが、見方を変えれば、それはリスクを自社の契約企業に押し付けているだけでしかない。そんなに都合の良い経営で、簡単に他社から協力や契約が得られるとは思えない。
 さらに人材を自社で保有しないということは、派遣や外部委託を増やすということであって、非正規雇用の拡大を勧めているようなものだ。人材を雇用するリスクを多くの企業が避けようとしたその結果が非正規雇用の拡大であって、それがデフレの長期化と格差の拡大を招いた要因となっている。

 著者の言う「持たない経営」というのは元々アメリカで始まったものだ。このような人材も設備もすべて委託やリースを中心とした経営手法は、50年代にアメリカで開発され、その後80年代の日米貿易摩擦などを経て、製造業を中心に徐々に広まったものだが、その結果、アメリカでは製造部門は海外へと移転され産業の空洞化が深刻化した。国内では常に高い失業率に悩まされ、中流階級が没落して二極化していった。

 著者は単純労働はすべて海外など安い労働力を外部委託という形でまかなえばよいとまで述べ、日本人は研究開発やマーケティング、企画経営など中枢部門に特化すべきだと簡単に言う。しかし、それはアメリカの後追いでしかなく、その後のアメリカが辿ったような産業の空洞化と格差の拡大を社会全体のリスクとして日本人が本当に受け入れられるのか、という問題でもある。
 日本人は創造性という点において弱いと言われている中で、アメリカのような革新的なビジネスモデルを作れるのだろうか。Apple、Amazon、Googleに比肩し得るような企業は、とてもではないが今のところ日本から現れて来そうにない。産業が空洞化した上で、中枢部門すらお粗末、という結果になりかねないのではないだろうか。
 読みやすく分かりやすいという点だけは評価できる本。

追記
 Reviewを書いた後に知りましたが、著者の金子氏は本書を刊行してすぐに若くして亡くなられたようです。ご冥福をお祈りします。