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【円安の時代】「有事の円買い」は終わったのか? ― 安全資産神話の崩壊と「円安」時代の新常識

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「安全資産」円の変容 ― なぜ「有事の円安」が起きたか

 伝統的な「有事の円買い」の構造は、近年大きく揺らいでいる。かつてリーマンショック(2008年)や欧州債務危機(2010年~)といった世界的な金融危機の際には、円は一貫して「安全な避難先」として買われ、大幅な円高が進行した。しかし、その象徴的な転換点となったのが、2022年のロシアによるウクライナ侵攻後に進行した「有事の円安」である。

 この年、世界が地政学リスクの高まりに揺れる中、ドル円相場は年初の1ドル=115円台から、一時151円台まで約30%も下落するという、歴史的な円安を記録した。この背景には、日本経済が直面する、主に以下の2つの構造変化が深く関わっている。

日本経済の構造変化

1. 「稼ぐ力」の変化:貿易赤字の常態化とエネルギー価格の高騰

 かつての日本は、自動車や電機製品などを輸出して外貨を稼ぐ「貿易立国」であり、恒常的な貿易黒字が実需面から円を支えていた。しかし、企業の生産拠点の海外移転が進んだことに加え、デジタル製品や医薬品などの輸入が増加したことで、日本の貿易収支は赤字に陥りやすい体質へと変化した。

 この構造的な脆弱性を直撃したのが、ウクライナ侵攻に伴う資源価格の世界的な高騰である。

  • 脆弱なエネルギー・食料供給網:日本のエネルギー自給率は約1割、食料自給率もカロリーベースで4割弱と極めて低い。そのため、原油・天然ガスや穀物などの価格が上昇すると、輸入額が急激に膨れ上がる。
  • 貿易赤字の拡大:結果として、2022年の貿易収支は過去最大の20兆円超の赤字となった。輸入企業は代金を支払うために、円を売ってドルなどの外貨を調達する必要があるため、この巨額の赤字が、絶え間ない円売り圧力となったのである。

 つまり、「有事が資源高を招き、それが日本の貿易赤字を拡大させて円安を加速させる」という、これまでとは逆のメカニズムが強く働くようになったのだ。

2. 金融政策の非対称性:歴史的な日米金利差の拡大

 もう一つの決定的な要因が、日本と欧米との間で見られた金融政策の方向性の違い(非対称性)である。

  • 世界的なインフレと利上げ:コロナ禍からの経済活動再開や資源高を受け、米国や欧州では歴史的なインフレが進行した。これを受け、米連邦準備理事会(FRB)はインフレ抑制を最優先課題とし、2022年3月から急速な利上げを開始。政策金利は最終的に5%を超える水準まで引き上げられた。
  • 金融緩和を維持した日本:一方、日本銀行は「安定的な2%の物価目標は達成されていない」との判断から、マイナス金利政策を含む大規模な金融緩和の枠組みを維持した。

 この結果、日米間の金利差は5%以上にまで拡大。投資家にとっては、金利を生まない円を売って、高い金利収入が得られるドルを買う方が圧倒的に有利な状況となった。この「金利差」を狙った円売り・ドル買いが為替市場の主要なテーマとなり、有事におけるリスク回避的な円買い需要を完全に飲み込んでしまった。日本政府・日銀は2022年秋に円安の進行を食い止めるため、24年ぶりとなる円買い介入に踏み切ったが、この根本的な金融政策の方向性の違いの前では、円安トレンドを転換させるには至らなかった。

円の地位の再定義

 「有事の円買い」は、低金利と経常黒字というかつての日本の経済構造を背景とした、強力な経験則であった。円キャリー取引の解消や世界一の対外純資産に支えられた信認は、今なお円相場の底流に存在する。

 しかし、日本の貿易構造の変化と、主要国との金融政策の方向性の違いという新たなマクロ経済環境は、「有事=円買い」という単純な図式を過去のものとしつつある。市場における円の役割と地位は、今まさに歴史的な転換点を迎えているのである。今後の円相場を展望する上では、この構造変化を認識することが不可欠である。

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