北朝鮮核開発疑惑の始まり
北朝鮮の核開発は、朝鮮戦争(1950 – 1953)の停戦後から本格化した。
冷戦下の1956年、ソビエト連邦は、モスクワ近郊に合同核研究所(UINR)を設立。北朝鮮は、UINRに研究員を派遣し、以降、ソ連指導下で核開発のための研究を行った。1965年には、ソ連から研究用小型原子炉を導入している。
以降、北朝鮮は秘密裏に核開発を進めていたと見られている。
1968年、核拡散防止条約(NPT)が成立したが、北朝鮮は加盟を拒否。
北朝鮮の核開発疑惑が持ち上がったのが、1982年。それまでも何度も北朝鮮の核開発疑惑はあったが、アメリカの偵察衛星が、寧辺に新たな原子炉が建設されているのを発見。疑惑は決定的なものになった。
原子炉を稼働させると使用済み核燃料ができる。その使用済み核燃料を再処理すると、原爆の原料となるプルトニウムの生産が可能になる。
つまり、原子炉の稼働は、原爆製造の第一段階を意味していた。
事態を重く見たアメリカ政府は、ソ連に働きかけて、北朝鮮にNPT加盟を要請。ソ連がアメリカに同調したことで、1985年、北朝鮮はNPTに加盟。国際原子力機関(IAEA)の監視下に置かれることになった。
だが、北朝鮮は、NPT加盟後もIAEAによる査察を拒否。NPT違反だが、罰則条項がなかったのをよいことに、なんと。。。
ゴネた!
さらには、査察受け入れの条件として、在韓米軍の保有する核兵器の撤去、アメリカ政府による北朝鮮敵視政策の撤回を要求。外交交渉の道具に使い始めた。
この頃から、ゴネては見返りを要求するという北朝鮮特有の瀬戸際外交が本格的に展開されていくことになる。
ゴネ得の北朝鮮
1985年のNPT加盟により、北朝鮮は原子炉の稼働を国際法上合法的に行えるようになった。また、NPT加盟の見返りとして、ソ連から4基の軽水炉提供の約束を取り付ける。さらにソ朝間で原子力発電所建設に関しての経済・技術協力協定も取り結んだ。
この間、北朝鮮は合法的に原子力関連の技術と知識を得ることができた。しかし、その一方で、核開発防止のための査察は拒否し続けるという非常に身勝手な態度を取り続ける。
北朝鮮は、NPT加盟後も実際は、核兵器開発を着実に進めていた。それが明らかになったのが1992年―――
1992年核開発の発覚
1989年、冷戦が終焉し、南北対立の緊張は緩和されていった。1991年には、在韓米軍が朝鮮半島から核兵器の撤去を実現。北朝鮮の金日成と韓国の盧泰愚大統領との間にも、「朝鮮半島非核化宣言」が署名された。
北朝鮮が要求していた在韓米軍による脅威の低減が実現されたことで、ようやく1992年、北朝鮮がIAEAによる査察を受け入れることになった。
ところが、IAEAが北朝鮮の核関連施設を調査した結果、寧辺において北朝鮮がプルトニウムを生産していた疑いが出てきた。
北朝鮮は、プルトニウム生産の疑惑を指摘され、IAEAから再調査を要求されると、なんと、その1か月後には、IAEA脱退を宣言!
ウソがバレて居直った!
北朝鮮は、原子炉建設当初から、使用済み核燃料からプルトニウムを精製し、核兵器開発を進めていたとみられる。NTP加盟は、核開発の隠れ蓑として利用するための方便に過ぎなかったことが明らかとなった。
この事実を受けて、クリントン政権は、北朝鮮の爆撃を計画。
だが、戦争勃発を不安視したジミー・カーター元大統領が、1994年北朝鮮を訪問し、金日成と会談。米朝合意を取りまとめる。これが、米朝枠組み合意と呼ばれるものだ。
1994年米朝枠組み合意
1994年、米朝二国間で、米朝枠組み合意が成立する。
この合意内容は、北朝鮮のゴネ得が最大限効果を発揮したものとなった。
北朝鮮は、原子炉の運転を凍結する。
その代わりとして、アメリカは、プルトニウムの抽出がより困難な軽水炉を北朝鮮に建設することを約束。その建設費用およそ40億ドルは、主に韓国が負担することになった。
さらには、最初の軽水炉が完成するまでの間の電力源を賄うために、毎年50万トンの重油を北朝鮮に提供することが決まり、この費用もアメリカ、日本、韓国をはじめEU諸国が負担することになった。
アメリカ政府は、北朝鮮に軍事的脅威を与えないことを約束。
北朝鮮は、NTP継続、IAEAの査察受け入れ、核開発の放棄を受け入れた。
そして、この合意内容を実行するための機関として、朝鮮半島エネルギー開発機構(KEDO)が発足した。この機構の設立費用として、日本が10億ドルを負担した。
北朝鮮は、核兵器開発の放棄の見返りとして、さまざまな経済的、技術的な支援を受けることとなった。これが、北朝鮮のゴネ得を一層付け上がらせていくことになる。
米朝枠組み合意の破綻
2002年、金正日統治下で北朝鮮がウラン濃縮方式で核兵器開発を行っていることが発覚。
KEDOとIAEAの監視で、プルトニウム型の原子爆弾開発は凍結されたが、その一方で、今度はウラン型の原子爆弾開発に着手していた。
プルトニウムの生産は、原子炉の稼働が必要で、原子炉が監視下に置かれているため不可能だった。だが、ウラン濃縮は小規模施設で行うこと可能なため、北朝鮮は秘密裏に地下施設でウランの生産を行っていた。
ウラン濃縮技術とそのための装置は、パキスタンから導入していた。
この事実をアメリカ側が指摘すると、その2か月後には、IAEAの査察官を国外追放し、IAEA脱退を宣言!
またかよっ!
そして、凍結していた原子炉の稼働を再開し、プルトニウムの生成を開始。開き直ったかのような態度で、核開発を再開した。
って、またバレて居直った!
ウソがバレては、居直りを繰り返す。
国家間の条約や合意を蔑ろにして意に介さない「朝鮮外交」の特質が表れている。
国際条約や国家間合意に関して、合意しておきながら守ろうという意志は一切なく、むしろ、その破棄をちらつかせて、外交交渉の手段に利用しようとする。
北朝鮮にとって、国際条約や国家間合意の趣旨などは、まったく意味がない。体制保障だけが最大の政治目標である北朝鮮にとっては、条約や合意は体制存続に利用できるかどうかという観点からのみ捉えられている。
その結果、その場その場で都合よく利用だけする態度が継続する。相手からの見返りは要求するが、自らの責務は果たさない。自らが不利になればいとも簡単に反故にする。まるで片務契約を結ばされているようだ。「約束」というものがまったく成り立たない関係性だ。
この「約束」が成り立たない関係性に、国際社会はさらに振り回されていくことになる。
つづく。。。
[adcode] 六カ国協議開催 1985年の核拡散防止条約(NTP)締結以降、秘密裏に核開発を続け、条約違反を繰り返してきた北朝鮮。 2002年10月、北朝鮮はウランによる核開発が発覚すると、翌2003年1月には、国際原子[…]
参考
・【PDF】北朝鮮核問題と核不拡散体制 – 日本国際問題研究所
・北朝鮮核問題略年表 – 核情報
・タイムライン:北朝鮮の核問題 – CNN.co.jp
・米朝枠組み合意 – Wikipedia