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東京の夏祭りに情緒はあるのか?

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夏ももうすぐ終わる

 9月になっても蒸し暑い日はしばらく続きそうだが、不思議なもので、暦の上で9月を迎えると、なんとなく「夏は終わったな」という気がしてくる。

 普段は出不精の自分も、夏になると山や川へ出かけたくなったり、近所の夏祭りにふらっと立ち寄ったりする。

 そんな中で、毎年夏祭りに行くたびに、ふと頭をよぎる疑問がある。

 それは、「東京の夏祭りに情緒はあるのか?」ということだ。

 唐突な問いかけに思えるかもしれないが、自分としては案外真剣に考えている。

 ある年、都内の大規模な花火大会に足を運んだ。

 会場に向かう通りは人で溢れかえり、移動するのもひと苦労。やっとの思いで場所を確保し、腰を下ろしたころには、周囲もほとんどの人が座って花火の開始を待っていた。

 日本の花火はやはり美しい。世界に誇る文化のひとつだと思う。色彩も、形も、間の取り方も、本当に見事で、息をのむような美しさがある。

 …ただ、そんな感動のひとときを損なってしまう「あること」があった。

 それは、「音」——特にスピーカーからの声だった。

 会場には複数の警備員が拡声機を持って配置されており、花火の打ち上げ中もずっと、交通整理のための注意喚起や指示をアナウンスしていたのだ。

 もちろん、安全対策の重要性は十分理解している。都市部のイベントでは人の流れをコントロールすることが命に関わる問題にもなりうるし、混雑や事故を防ぐための配慮は不可欠だ。

 それでも、ふと考えてしまう。

 打ち上げが始まり、ほとんどの観客が腰を下ろして静かに見守っているその時間にまで、あれほど頻繁に、繰り返し同じ内容をアナウンスし続ける必要があるのだろうか、と。

 「線の内側を歩いてくださーい」「ロープの外に出ないでくださーい」「右側通行でお願いしまーす」など、同じフレーズが何度も何度も繰り返される。
 それも、まるで機械のように花火大会の行われていた2時間の間ずっと。すぐ近くの警備員は、本当に休む間もなくアナウンスを続けていた。

 こうした丁寧さや用心深さこそが「日本らしさ」と言われれば、その通りなのかもしれない。ただ、花火という非日常の芸術的な時間にまで、過度な注意喚起が入り込んでしまうことには、どうしても残念な気持ちが残る。

 主催者としては万が一の事態を防ぎたいという思いがあるのだろうし、それは当然の責任でもある。ただ、花火の開始後、人の流れが落ち着いた時間帯にも一律に同じ対応を続けるというのは、少し見直してもよいのではないかと思う。

 交通整理の方法も海外の事例などを参照して、拡声機で叫び続ける以外に他に方法がないのか一度検討すべきだろう。花火を楽しむ時間にはもう少し「静けさ」や「間」を大切にできる運営方法を模索してもらえたらと願う。

 せっかくの花火の美しさが、「ロープの内側は歩かないでくださーい」「会場は○○まででーす」といったアナウンスにかき消されてしまうのは、あまりにも惜しいことだと思うのだ。

花火

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