読書案内
ジャレド・ダイアモンド『銃・病原菌・鉄』(1997)
人類史という試み
原書は、1997年の刊行で20年近く前のもの。
訳書は、文庫版で上下二巻。
さすがに20年以上前の著作となると、現在の研究成果からは否定されているような説も部分的に散見される。
たとえば、著者は、ネアンデルタール人に関して、クロマニヨン人による滅亡説に近い考えを取っているが、現在の人類学や考古学では、クロマニヨン人(現生人類)とネアンデルタール人について、交配や共住があったという従来とまったく異なる研究成果なども発表されているので、本書の記述がかなり古く感じるのは否めない。
だが、人類学、考古学、動植物学、疫学など幅広い分野の研究を横断して、人類史という壮大な視点から歴史の全体像を提示したところは、ホントにスゴイ!やっぱり、ロマンを感じる。
各論については、その分野の専門家から大量に批判の出ている本書ではあるが、ひとつの歴史観として、一読の価値はあると思う。
各論の気になった箇所は、ネットなどで最新の説をあったって見ると良いと思う。
人種的説明から環境差による説明へ
本書はまず、現在の文明の発展の差、富の偏在は何によるものか、という問題提示から始まる。
世界史の発展の差は、主に地理的要因によってもたらされるというのが著者の考えで、それをさまざまな分野の業績を引きながら検証している。世界史の発展に地理的要因が作用するというのは、ある意味当然のことだが、それが人種や社会制度、思想といった他の要因よりも決定的に重要だったというところに本書の主眼がある。
人類が最初に自力で狩猟生活から農耕社会へと移行した地域は、メソポタミア地域、特に肥沃の三日月地帯と呼ばれた一部の地域に限られていた。栽培化、家畜化が可能な野生種は偏在していて、ユーラシア大陸起源のものが多かったという偶然が、この地域でまず初めに農耕と家畜が始まった直接的な理由だろう。
栽培や家畜化に対して適性のある野生種は、人間によって意識的、無意識的に選り分けられ、人間の手を介した自然淘汰という形で栽培品種、家畜へと変化していった。そして、一度栽培化、家畜化が始まると、それを継承したり、伝えたりすることの方が、新たな適正種を発見し、改良するより、はるかに容易になるため、近縁種やその他の種の改良を止めてしまう。したがって、栽培と家畜の伝播の速さが、歴史の発展に大きく寄与することになる。
ユーラシア大陸は、東西に長く緯度の差が少ないため、気候の地域差が緩やかだった。そのため農耕技術の伝播は、東西にはには比較的早くから進んだが、気候の大きく変わるアフリカ大陸や海峡を挟んだアメリカ大陸へはかなりの遅れをとった。この地理的、環境的差が、農耕技術に地域差を作り、それが社会発展の速度の違いを生んだ。
農耕による食糧の増産は、人口の増加と集住をもたらし、社会が緻密化する。この緻密化した社会に家畜由来の病原菌が蔓延するようになる。早く定住型の農耕社会に移行した地域ほど病原菌に対する耐性の獲得も早かった。農耕の伝播が遅れてそれに伴い病原菌に対する免疫の獲得も遅れたアメリカ大陸は、15世紀のヨーロッパ人との接触の際に感染症による多大な犠牲者を出した。こうした要因がユーラシア大陸の他地域に対する優位を決定付けていった。
個別の地域を検証する
下巻は、まず文字の発明、技術の受容、社会の集権化を概説した後に、上巻で示した仮説を敷衍して個別の地域への検証を行っている。
大胆な仮説を提示した上巻に比べると、やっぱり、地味な印象はぬぐえない。だが、ところどころ興味深い事実の指摘があったり、独特の視点からの解釈などがあって、読んでいて決して飽きさせない。
興味深かった点をいくつか拾い上げてみると。。。
・初期の文字はメソポタミア、エジプト、中国、メキシコなど農耕がが最初に始まった地域から生まれてきた。当初、文字は用途が限定されていて、表現できる幅も非常に狭かった。文字はあくまで支配の道具だった。
・技術に対する社会的受容性は、同じ地域において、常に同じだとは限らない。
・オーストラリアのアボリジニとニューギニア人との間の発展の差は、アボリジニが農耕に適さない広大な砂漠が広がるオーストラリア大陸で狩猟生活に適応したために起きた。
・地形状の障壁が比較的少なく、なだらかな平地が続く中国では、政治的な統一が早くに始まったが、そのために返って、権力の集中を招き、政治的な自由を制限し、内部での競争を阻害してしまった。
「銃・病原菌・鉄」が人類史発展の上で、決定的な役割を果たした、というわけではないようだ。本書の題である「銃・病原菌・鉄」は、あくまで、地理的な差によって現れる多種多様な要因のひとつという位置付けだ。
銃・病原菌・鉄が、歴史的に果たした役割をそれぞれ主題に据えて、考察してもまた違った面白い著作ができたのではないか、とも思う。