岩田規久男『デフレと超円高』(2011)
「失われた20年」の理由
日本は1991年のバブル崩壊以降、2009年までの平均成長率が0.7%、失業率が5%台と、長期にわたる経済停滞が続いた。しかしこの間、為替相場は円高・ドル安の傾向を維持し、さらには何度か極端な円高局面も経験している。特に、2008年9月のリーマンショック後には円の対外相場が急騰し、対ドルではリーマンショック直前と2010年末を比較して、実に51%もの上昇を記録した。
通貨高はしばしば国力の反映とされる。国際競争力の高い産業を持ち、貿易黒字を計上する国家では、その通貨に対する需要が高まり、結果として通貨高が進行する。
———しかし。
日本は「失われた20年」をとうに通り越し、今や「失われた30年」の只中にある。経済力は下落の一途をたどっており、円高は輸出産業の海外移転を加速させ、それがさらに国内経済を悪化させるという悪循環に陥っている。それにもかかわらず、円高傾向には歯止めがかからない。
円高は対ドルに限った現象ではなく、ポンド、ユーロ、人民元など主要通貨すべてに対しても同様に進行している。
これには、何か別の要因があるに違いない。
著者の岩田氏は、それを「日本銀行と政府による経済政策の失敗」であると断言している。
インフレターゲットに出遅れた日本
1990年のニュージーランドを皮切りに、1990年代には主要各国がインフレ目標政策(インフレターゲット)を導入した。これは中央銀行が通貨供給量と流動性を調整し、2%前後の緩やかなインフレを目指すマクロ経済政策である。
要するに、主要国は通貨を増刷して意図的にインフレを促している。インフレとは、すなわち通貨安であるため、日本円だけが独歩高になるのは、ある意味当然の帰結であった。
しかし日銀は、国際的な経済状況を顧みることなく、また最新の経済理論を積極的に取り入れることもせず、従来通りの「物価の安定」を唯一の政策目標に据えて政策運営を続けてきた。そのため、わずかでも物価上昇の兆候があれば金融引き締めを行い、逆にデフレは放置された。
その結果、国際経済の中で日本円だけが独歩高となり、国際競争力は失われ、国内経済はデフレによって疲弊した。これは、因循姑息な官僚主義の弊害そのものである。
2013年に第2次安倍内閣のもとで黒田東彦氏が日銀総裁に就任し、日本版インフレターゲット政策、すなわちアベノミクスが導入された。2%のインフレ目標が掲げられ、デフレからの脱却が明確な政策目標となった。本書の著者である岩田規久男氏も、日銀副総裁としてインフレターゲット導入の中心的役割を果たした。
デフレマインドからの脱却
アベノミクスの導入以降、日本経済はわずかながら上向き始めている。しかし、顕著な回復が見られるのは株価のみで、実体経済はまだ追いついていない。
岩田氏によれば、インフレターゲット政策において最も重要なのは、「国民の間にインフレ期待を根付かせること」だという。2%という数値自体が重要なのではなく、「今後インフレが進むだろう」と人々が予想することが、経済行動を活性化させるカギとなる。
将来の物価上昇が見込まれるからこそ、企業は投資を活発に行い、人々は消費に積極的になる。戦後の高度経済成長期(1955年~1972年頃)は、まさに国民全体がインフレ期待を持っていた時代だった。将来の値上がりを見込んで投資・消費が進み、それがさらなる成長を促すという好循環が形成されていた。
一方、現在は逆にデフレマインドが定着し、消費は控えられ、貯蓄が増えている。このような環境下では、企業の積極的な投資を期待するのは難しい。したがって、「デフレマインドからの脱却」こそが最も重要な課題である。
アベノミクスは、まだ実体経済を本格的に回復させたとは言いがたい。今後、アベノミクスの成否を左右するのは、「国民がデフレマインドから脱却できるかどうか」にかかっていると言えるだろう。
岩田規久男『デフレと超円高』(2011)
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