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日本のファストフードの歴史 – History of Japanese Fast Food

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日本にとってFast Foodとは何か

「安い、早い、うまい」

 ファストフードの三原則である。日本でファストフードが広まり始めたのは、1970年代から1980年代にかけてで、核家族化の進行や家庭における「食の外注化」の拡大と軌を一にしている。家庭で料理をする機会が減り、外で手軽に、かつ短時間で食事を済ませたいというニーズの高まりに応えるかたちで、ファストフードは広がっていった。

 その結果、ファストフード業界は、手頃な価格とスピードを武器に急成長を遂げることとなった。
 ここで、日本を代表するファストフード業界の歴史を簡単に振り返ってみよう。

回転寿司

 回転ずしの発明者は、元禄産業株式会社創業者、白石義明だと言われている。
 彼は、東大阪で飲食店「元禄」を経営していたが、戦後の人手不足に直面。その際に、ビール工場のコンベアを見て「寿司を回転させる」という着想を得た。昭和25年に回転ずしの原型を開発して営業を開始した。
 昭和33年には大阪で回転寿司1号店を開店。37年に「コンベア式旋回食事台」として特許取得。道頓堀と梅田に次々と出店した。
 昭和42年、不明瞭な寿司の値段に疑問を抱いていた陳金鐘が白石と出会う。陳は白石から回転寿司の制作と使用権の許可を取得。同年に仙台市に1号店を開店。
 昭和45年、白石が大阪万国博覧会に出店し、全国的な知名度を得る。昭和49年には陳がニューヨークに1号店を開店。
 回転寿司コンベアメーカーの石野製作所の技術向上もあって、昭和55年から回転寿司が全国に広まっていく。同時に流通、冷凍技術の進歩により、昭和60年に第一次回転寿司ブーム、平成3年に第二次回転寿司ブームを迎えている。

牛丼屋

 吉野家が個人商店として誕生したのは明治32年(1899)。第1号店は当時魚市場のあった日本橋。その後魚市場が築地に移るとそれに伴い吉野家も築地に移転。当時は牛鍋が一般的で、これをおかずにご飯を食べていたが、誰かが牛鍋の残りをごはんにかけて食べたのが始まりではないかと言われている。

ハンバーガー

 日本マクドナルドは、1971年、銀座三越に第一号店を開店。同年、5店舗の展開で2億円の売り上げ。82年には早くも外食産業売上高1位になる。
 97年には、総売り上げ3337億円、全国に2439店舗を展開するまでに成長した。

便利さの裏にあるもの

 ファストフード店の「安い、早い、うまい」という三拍子は、裏を返せば、コスト削減と効率化を極限まで追求するという経営姿勢でもある。そして、そのしわ寄せは、しばしば食材の品質、調理の丁寧さ、さらに現場の労働環境に及ぶことになった。
 ファストフードは確かに便利だ。しかし、その便利さは、さまざまな「不便さ」と引き換えにして得たものだ。

・高カロリーで栄養価が少なく、生活習慣病を蔓延させた。
・365日24時間経営を広めた。
・外国人単純労働者を増やし、低賃金労働、非正規労働を広めた。
・食材を大量に仕入れて、大量に破棄するという経営。
・食糧の輸入依存を高めた。

 今やファストフード大国となったニッポン———
 しかし、その便利さの裏にある弊害は、決して無視できるほど些細なものではない。
 ファストフードが一般的になってすでに40年近くが過ぎている。その歪みもそれだけ大きくなっている。

参考

中村靖彦『コンビニ ファミレス 回転寿司』文春新書 (1998)

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