エマニュエル・トッド『「ドイツ帝国」が世界を破滅させる』(2015)
自由貿易は諸国民間の穏やかな商取引であるかのように語られますが、実際にはすべての国のすべての国に対する経済戦争の布告なのです。自由貿易はあのジャングル状態、今ヨーロッパを破壊しつつある力関係を生み出します。そして、国々をそれぞれの経済状況によって格付けする階層秩序に行き着いてしまいます。
2015年刊行。
フランスの人口学者・家族人類学者であるエマニュエル・トッド氏の雑誌・インターネット上のインタビューをまとめたもの。ドイツ、ロシア、EUの関係が主な論点として取り上げられている。
ロシア脅威論の再検討
2014年3月、ロシアがウクライナのクリミア半島の領有を宣言したことにより、EUとロシアの関係は緊張を深めた。EUの拡大は、裏を返せばロシアの影響力排除であり、ウクライナはその最前線に位置している。このような背景から、クリミア編入はEUとの間に深刻な摩擦を引き起こした。
しかし、トッド氏は「ロシア脅威論」を疑問視している。彼によれば、クリミア編入は現地の住民投票によるものであり、手続き的には民主的であった。また、この事態を脅威と捉えるのはロシアの問題ではなく、西側、特にドイツの利害によるものだという。
たとえば、ウクライナがロシア寄りになれば、天然ガスのパイプラインがドイツを経由せず南欧・北欧へと流れる可能性があり、これをドイツは脅威と見なしている。つまり、問題の本質はドイツの利権構造にあるという。
台頭するドイツによる覇権
ドイツはこの5年間の間にヨーロッパを経済的、政治的に支配する力を握るようになった。それは、ドイツがEUというシステムを最も自国の有利なように働かせることに成功したからだ。
ドイツは、EUの自由経済圏の成立によって、かつて共産主義国だった中東欧の比較的教育水準の高い人々を労働力として利用することができた。そして、ドイツの生産力から見れば、極めて低く評価されたユーロによって、通貨安政策を実行するのと同じ効果を期待できた。これによりドイツは、輸出において圧倒的優位を築いた。
さらに、ドイツは余剰資金を、経済的に脆弱な南欧諸国(ギリシャ、スペイン、イタリア)へ貸し付けることで、それらの国への政治的影響力を強めてきた。これにより、EU内部に明確な上下関係が生じ、加盟国間の平等は崩れつつある。
ギリシャの債務危機の際、政策決定権がドイツ、特にメルケル首相に集中したことは象徴的だ。ギリシャ国民はドイツ議会に選挙権を持たないにもかかわらず、その経済政策をドイツに左右されているのである。
ドイツ脅威論は妥当か?
トッド氏はこうした状況から、ドイツの覇権主義を強く警戒し、将来的にはアメリカとの対立すら示唆している。
この見方には一定の説得力があるが、同時に彼の分析にはドイツ文化を「民主主義とは相容れないもの」と捉える偏りが見受けられる。ドイツを権威主義的で権力行使において非合理な国民性とみなす視点は、やや一面的であり、文化や国民性が時代とともに変化するという事実を見落としている。
重要なのは、EUとして欧州議会の権限を強化し、加盟国間の政治的平等を確保することだろう。それが実現できなければ、トッド氏が示唆するようにユーロを廃止し、各国が独自の通貨政策に戻るほかなくなる。しかし、それはEUの理念に対する大きな後退でもある。
もともと異なる経済規模・産業構造を持つ国々が1つの通貨で統合された以上、政策協調は不可欠である。ギリシャの財政問題は確かに深刻だが、それ以上に、返済能力を超えた資金を貸し付けて主導権を握ろうとするドイツの姿勢は、覇権主義的であると批判されても仕方がない。財政破綻を起こしたギリシャが問題なのは確かだが、EU全体を背後から操作しようとするドイツこそが問題だ、というトッド氏の指摘は、ギリシャを非難する声が多い中で非常に重要だ。
ドイツ脅威論は、単なる杞憂なのか、それとも——
トッド氏のドイツ批判は、やや過剰に思える部分もある。しかし、彼の指摘がEUにおけるドイツの「協調の欠如」に警鐘を鳴らしていることは確かであり、注目に値する。彼の「ドイツ脅威論」は、「PIGS」諸国を一方的に非難するような視点とは異なり、EUの構造的課題を浮き彫りにする。
ドイツの優位がEU全体の発展を阻むのか、それとも統合の推進力となるのか。本書は、今後のEUの動向を見る上で、非常に参考になる視点が多かった。
(余計な)追記
最後に本書の題について。本書は、ネットの煽りのような煽情的な題が付けられているが、これはトッド氏本人が付けたものではないだろう。日本の編集者が、また売り上げだけ気にして勝手に奇妙な題を付けたのだろう。
本書は、ドイツによる覇権によってEU内で序列化が進んでいることを、もっと冷静に指摘したものだ。決していたずらに外国脅威論を唱える(日本でよくある保守派の煽り本の類い)ようなものではない。書店に行くと、煽り文句そのままの題を付けた本が大量に並んでいるが、内容との乖離が目立つことも多い。こうした風潮は、出版文化全体の信頼性にも関わる問題だろう。いいかげん、日本の出版文化の品性を落とすまねは止めるべき。
エマニュエル・トッド『「ドイツ帝国」が世界を破滅させる』(2015)
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