【ざっくり解説】枝野幸男、新党「立憲民主党」結成 – ところで「立憲」ってどういう意味?

「立憲民主党」の結成

 2017年10月2日、枝野幸男が新党「立憲民主党」の結成を表明した。

 で。

 誰もが思ったのが、この「立憲」という言葉の意味じゃないのかな。

 小池新党が、「希望の党」という、なーんの理念も表さない名前だったのとは、えらい対照的だ。

 枝野は、新党結成の記者会見で、民主党を検討していたが、憲法重視の姿勢を明確にするため、「立憲」という言葉を加えたという旨を述べている。

護憲でも改憲でもない

 「立憲」という言葉の第一義的な意味は、もちろん、「憲法に立脚する」という意味だ。憲法を最高法規として、それに則った政治を行うことをいう。

 なので、「立憲」という言葉自体には、「改憲」という意味も「護憲」という意味も含まれていない。目下争点となっている改憲論に対して、どちらの立場を表しているのかということは、何も示していない。あくまで、憲法に従うということだけだ。

 それじゃー、今の日本の制度はすでにそうなってるじゃん、と言いたいところだが、残念なことに、戦後の日本は、ムリな憲法解釈を重ねに重ねてきた。

 そのため、枝野新党の「立憲」という党名には、憲法を「解釈運用」することへの反対の立場を表明している、ってことになる(たぶん)。

 枝野新党は、選挙対策としては、希望の党から排除されて、行き場のなくなったリベラル系議員の受け皿を作ることを目的に結成された。
 そのためガチガチの護憲派議員が、わらわらと集まってくることになるだろうが、必ずしもかつての社民党のような護憲、九条固持といった政党になるかどうかはまだ分からない。枝野本人は、改憲を主張していたりするからだ。

立憲主義の歴史的な意味

 そもそも、日本では、歴史的に立憲という言葉の意味が、西欧とはビミョーに変わっている。

 近代的な意味での立憲主義は、王権に制限を設けることが、本来の意義だ。

 しかし、日本では君主としての天皇が、そもそも政治的な実権を持っていなかった。そのため、王権を制限するといっても、ないものは、制限のしようがない。

 それじゃー、日本において憲法を制定する意義って何なんだということになる。

 明治憲法を制定する際に、伊藤博文をはじめとした明治の元勲たちは、どう考えたか?

 それは、憲法は、君権を制限するものであると同時に、臣民の権利を保障するものだ、というものだ。

 天皇は「国権を総攬する」と定められて、政治の実権を持たない立場が明確にされている。(しかし、これは君主主権を制限するという形ではなかったため、後に天皇が政治へと介入できるという解釈の余地を残してしまい、後の昭和の悲劇につながっていく。)

 明治憲法で規定された天皇の位置づけは、武家政権下の朝廷の位置づけを近代的な概念で捉え直しただけなので、憲法の制定意義は、臣民(国民)の権利や政治参加を保障することの方に重点が置かれることになった。
 明治は、「立憲」を冠した政党が多数成立するが、そこでの立憲主義とは、主に「臣民(国民)の権利や政治参加の保障」を意味していたと言っていい。

 君主主権を制限し、国民の権利と政治参加を保障するこは、民主主義を日本に根付かせる上でも重要な意義を持った。そのため、「立憲主義の実現=民主主義の実現」という理解が生まれた。

 日本の立憲主義には、君主主権に対する民主主義(君主制の制限)という意味が、歴史的な文脈として存在しているのだ。

立憲主義と民主主義の対立関係

 「立憲主義=民主主義」という理解が日本にはあるので、「立憲民主党」という名前になんの違和感も覚えない人が多いが、これは、本来の西欧政治の概念から言えば、誤りなのだ。

 立憲主義の本来の意義から言えば、政治権力の暴走を憲法によって歯止めをかけようというものだ。

 なので、政治権力の主体が、君主であろうが、国民であろうが関係ない。どのような権力であれ、憲法で定められた範囲でしか、その権力を行使することはできない。全ての権力は、憲法に従うべきという考え方だ。

 では、現在の日本の政治がどうなっているかというと。。。

 完全に民主主義優位で、立憲主義は蔑ろにされている。

 政権を取った与党が、数の力で、勝手な憲法解釈を行い、憲法の趣旨に反する政策を実施することは、権力の暴走であって、立憲制の崩壊を意味している。
 たとえ国民のひとり残らず全員が賛成した政策であっても、憲法で認められていないことは、許されない。それが立憲主義だ。

 民主主義が暴走して、立憲制が崩壊した事例としては、ナチスの例を考えれば、わかりやすいと思う。

 政権与党が自由に憲法解釈できるのであれば、そもそも憲法なんていらないということになる。全会一致でで決まろうが、国民の全員が賛成しようが、ダメなものはダメ!というのが立憲主義だ。
 憲法の精神が時代にそぐわないというのであれば、憲法を改正してから、政策立案するのが本来の在り方だ。

 立憲主義は、君主制を制限するだけのものではなく、民主主義を制限するものでもある。つまり、立憲主義と民主主義は、対立関係、緊張関係にあるということだ。「立憲主義=民主主義」ではない。

 枝野は、今回の結党に際して、これからの政治の対立軸は、「上からの民主主義か、草の根の民主主義か」といった主旨の演説をしている。

 しかし、「民主主義=立憲主義」でもないし、「立憲主義=護憲」でもない。

 立憲民主党は、このまま単なる「護憲」政党になって、第二の社民党となっちゃうだろうか。あるいは、政権担当能力のある政党に育つことができるんだろうか。

 立憲民主党に集まってくる議員たちが、「民主主義=護憲」「立憲主義=護憲」ともし考えているようだったら、先はあまりないだろうなー。