読書案内
今野晴貴『ブラック企業』(2012)
ブラック企業が、今、注目されるワケ
労働環境が著しく劣悪な会社―――
そうした企業がネット上で「ブラック企業」と呼ばれるようになったのは、2005年前後かららしい。2008年のリーマンショック以降からは、社会問題として徐々に認知され始めた。そして、このネットスラングとして始まったブラック企業という言葉は、今ではすっかり広く一般に定着してしまった。さまざまな場面でよく聞く言葉だ。
ブラック企業って、なぜ、これほど話題になっているのだろう?
一部の企業が労働者に劣悪な労働環境を強いているだけ?――
もしそうだとしたら、それは行政から指導されるか、労働市場から淘汰されることによって、いずれ解決していく問題だ。
だが、この言葉が広がった背景には、もっと根深い社会問題がある。
90年代からデフレが進行して、企業を取り巻く経済環境は悪化していった。どの企業も「稼ぐ力」が弱くなり、業績悪化に苦しむようになる。そこで、その低下した利益分を穴埋めするために始めたことが、人件費の圧縮である。しかも、そーとー巧妙に。
近年、「ブラック企業」と呼ばれて注目されるようになった企業は、それを脱法的に(時には違法に)行っている。そして、それが競争力の強化をもたらし、市場での成功につながている。これは、順法的態度を取っている企業にとっては脅威だ。正当な方法で雇用を守っていると、市場での競争に勝てないからだ。こうして悪貨が良貨を駆逐するように、ブラック企業が市場を占め始めるようになる。
つまり、これは、一部に労働基準法を遵守しない悪質な企業が存在しているというだけの問題ではなく、経済状況の変化に根ざした社会全体に関わる問題だ、ということだ。市場の自浄作用だけで対処できるような問題ではなく、法の整備と政府の経済政策によって対処するべき社会問題なのだ。
この「ブラック企業」を現代の労働問題として初めて提起したのは、今野晴貴氏。2012年に出版した著書『ブラック企業』において、ブラック企業を社会問題として告発した。
「ブラック企業」という言葉は、ネット掲示板が発祥なので、いつごろから使われたのかはっきりしないが、ネットスラングとして広まったのは遅くとも05年頃。そして、ネットスラングでしかなかったこの言葉が最初に一般に広まったきっかけは、2009年公開の映画『ブラック会社に勤めてるんだが、もう俺は限界かもしれない』だった。しかし、この映画は自虐ネタを中心にしたコメディ作品であって、ブラック企業を労働問題として取り上げているわけではない。労働問題としてブラック企業を取り扱い、社会へ本格的に告発したのは、今野氏のこの本が最初だろう。ブラック企業という言葉が、ネットで使われるようになってから、社会問題として認知されるようになるまで実に7年以上の開きがある。
著者の今野氏はNPO法人の代表として多くの若者の労働相談に関ってきた経験からブラック企業と呼ばれる会社の実態を克明に描いている。そこから見えてくるのは、デフレの長期化を背景とした就職状況の悪化につけこんで、若者を使い捨てにしようとする企業の利益優先で非倫理的な体質だ。そして、そのような企業こそが、デフレ下で不当な競争力を得て勝ち残ってしまうという今の経済状況だ。
ブラック企業とは?
労働環境の悪い企業、或いは業界というのは、当然だが以前から存在した。たとえば、90年代ぐらいから急拡大しているコンビニや外食などのフランチャイズ、新興のIT産業、あとどっかのアパレル企業など、労働環境に関して悪い噂の絶えないところというのはあった。しかし、2000年代(ゼロ年代)くらいまでは、それは限られた業界の問題だと受け入れられていた。しかし、本書はそうした認識の誤りを明確に指摘する。
今は、デフレが常態化している。長引く不況下で、人件費を抑えたまま、無理な経営を続けようとする企業がさまざまな業種で増えている。労働問題は、決して、外食産業やIT業界など一部の企業に限ったものではなくなっている。
そして、デフレの中で生き残ってきた企業――いや、見方を変えれば、デフレに適応した企業――というのが当然、存在する。それがまさにブラック企業なのだ。
ブラック企業は、法の網の目をくぐるような形で、低賃金長時間労働を実現し、デフレ下の厳しい環境下を生き抜いた。
つまり、ブラック企業とは、「違法な労働条件を労働者に強いることで、市場での不当な競争力を得ること」そして、それを「デフレ経済下での成長戦略の一つとして経営方針に採用している」会社のことだと言える。
ブラック企業の手法
近年、ブラック企業と呼ばれるようになった企業にはいくつかの共通した特徴がある。最も典型的な特徴は、新興企業であり、急成長を遂げているという点だ。そしてメディアの利用が極めて巧みだという点も共通している。「ブラック」という悪評がネットで立てられても、それに影響されないほどに、市場での成功を収めている。
だが、こうした企業の急成長を可能にしたのは、労働者を長時間低賃金で働かせるという経営手法だ。人件費を脱法的、あるいは違法そのものの手段によって低く抑え、市場での不当な競争力を得ている。急成長の背後には、苛酷な労働環境があり、違法かつ非倫理的な労働条件によって働かされる労働者の姿がある。
ブラック企業がどのようにして労働者を働かせているのか、本書で取り上げられていたブラック企業の手法をいくつか紹介しておきたい。
①固定残業代
固定残業代とは、月の時間外労働時間をあらかじめ決めておき、毎月一定金額で支払う制度のこと。この制度は、同じ業務でも時間内で終わらせる人と残業してしまう人との間での不公平をなくすことが目的で導入される。またいわゆる「残業代稼ぎ」を防ぐ効果もある。
だがブラック企業はこの制度の趣旨を歪めて悪用する。固定残業代を基本給に前もって含めさせることで月給を水増しさせるという方法だ。基本給と思っていたものが、実は基本給+固定残業代だった、なんて事例が多発している。しかもこの場合、残業代は定額なので規定を超過した時間分の支払いも発生しない。
労働者は残業した時間分の残業代を請求する権利があり、会社側は本来それを拒否することが出来ない。だが、現在の労働基準法では、残業代が計算可能であること、最低賃金を下回っていないこと、月の上限40時間を超えないこと、などの要件を満たしていれば固定残業代は合法となっている。ブラック企業はこの点に目をつける。はじめから残業代を固定として基本給に組み込ませ、残業代請求を回避している。制度が完全に悪用されている。
②試用期間の悪用
試用期間を悪用する事例も増えている。被雇用者にとって見れば事実上の入社なのだが、実際は試用期間と称して有期雇用契約を結んでいたり、契約社員待遇にすることで正社員雇用を偽装する。
③大量雇用と自主退社への追い込み
そしてもっとも悪質であり、かつブラック企業の典型的な特徴のひとつとなっているのが、大量雇用した上でそのほとんどを自主退社に追い込むという手法だ。3年以内離職率の高さが、ブラック企業かどうかを判断するための指標となっているのは、これが原因だ。
大量一括雇用した上で、劣悪な労働条件で酷使し、それに耐性のあった者、会社に従順であると判断された者だけを選別し、残りを自主退職に追いやる……会社側にはそもそも大量に人員を採用しても人材を育成しようというつもりはなく、過酷な労働条件の下で働かせて、そのなかで脱落しなかったものだけを残せばよいという発想をとっている。実質的な人員の選別を採用後に行っている。
この手法が特に悪質である理由は、離職した労働者(つまり、過労に耐えられずに脱落した労働者)、特に若者の多くが、精神を病んでしまう場合があるということだ。再就職や社会復帰が困難になってしまう事例も多く報告されている。
デフレ時代の勝ち組
ブラック企業は主にこうした手法によって質の高い労働力を低いコストで雇用し、不当な競争力を得ている。こうした手法が経営者にとっていかに魅力的な手法であるかは、ブラック企業がこの手法によって急成長を遂げてきたことを見ればよくわかる。
まっとうな企業であれば、ここまで反社会的な手段をとってまで市場での競争力を得ることに躊躇を覚えるだろう。ここにブラック企業の新しさがある。収益の最大化だけが目的であり、そのためには手段を選ばない。そして、労働者をモノとしてしか捉えていない。人材育成や社会貢献といったことは全く考慮しない。
ブラック企業という言葉が主に新興の急成長企業に対して使われたのは、彼らが人材をただのモノとして使い捨てることで、急激な成長を遂げることに成功してきたからだ。
そしてこのような急激な成長を遂げた会社の経営者は、時代の寵児としてマスメディアによってもてはやされる。さらにメディアを利用してさまざまなイメージ戦略が採られるようになる。それが労働環境の悪さにもかかわらず、若者を引き付ける事になり、大量雇用がいつまでも実現可能になっていく。
――デフレの勝ち組としてのブラック企業の姿がそこにある。
ブラック企業の問題が根深いのは、それが成長企業によるものだからだ。不景気のなかで多くの企業が業績悪化に苦しむなか、不当な競争力によって収益を拡大していく。ここまで企業利益の最大化に徹底した企業が現れれば、労働基準法を順守している一般企業は競争力において敵わない。まさに不景気の時代の「勝ち組」となったのがブラック企業なのだといえる。
したがって今のような経済状況が続く限りブラック企業は衰退するどころかより拡大していく。市場において成功しているからこそ余計に問題が深刻なのだ。ブラック企業の問題は、市場に任せておいて解決するものではなく、政治が解決しなければならない課題なのだ。
これからのブラック企業
今までは、典型的なブラック企業は、主に新興の成長企業の中に現れた。そのため大量雇用と高い離職率がブラック企業の一つの目安となった。だが、今後は必ずしも高い離職率がブラック企業の目安になるとは限らない。今までブラックではなかった企業であっても、業績が悪化し、市場での淘汰圧力が強くなれば、脱法的な手法に手を染めてしまおうとする誘引はそれだけ大きくなる。つまり、競争が激化し不確実性の高い経済の下では、どんな企業であれ、ブラック企業化する可能性はあるということだ。
2005年のライブドア事件あたりを境に金儲けだけが目的で何が悪いと公言する経営者が増えてきたように思う。会社は株主のものであり、経営者は株価と収益の拡大にこそ最大の関心を払うべきといった亜流のアメリカ的経営思想が一般に広まったのもその頃からだろう。ブラック企業はこのような時代精神のなかで登場してきた。
企業は収益の最大化のためにだけ存在するという考えが広まれば、ブラック企業が増大するのは当然の帰結だ。企業側に倫理を期待できない時代なのだ。政治には、法整備やデフレ脱却のための経済政策が強く求められている。
そして、そのような時代であればこそ、労働者の側にも企業を見極める冷静な目と企業に従属しない働き方、生き方が必要になるだろう。