氷河期はいまも続いている
氷河期———
そう聞くと、多くの人は、マンモスが氷原をのそのそ歩いているような太古の風景を思い浮かべるかもしれない。しかし、実は気候学的には、私たちが生きている現在も「氷河期」の真っただ中にある。
気候学において「氷河期(glacial age)」とは、大陸規模の氷床(continental glacier)が存在する時代を指す。現在も南極大陸、グリーンランド、そしてある程度は北極圏に大規模な氷床が残っているため、現代も「氷河期」の一部とされているのである。
この現在進行中の氷河期は、地球史上5回目の氷河期とされ、「新生代第四紀氷河期」とも呼ばれる。それはおよそ250万年前、地質時代でいう「鮮新世」の末期に始まった。
この長期的な氷河期の中においても、気候は一定ではなく、数万年単位で寒冷期(氷期)と比較的温暖な時期(間氷期)とを繰り返している。私たちが現在生きているのは、約1万1700年前に始まった「完新世」と呼ばれる間氷期である。
小氷期と人間活動
現代の地球温暖化が深刻な問題として認識されている一方で、有史以降にも自然・人為を問わず、何度か大規模な気候変動が起こってきた。その中でも特に有名なのが、14世紀半ばから19世紀半ばまで続いた「小氷期(Little Ice Age)」である。とりわけ17世紀前後は、世界的に寒冷な時期であり、ヨーロッパや日本でも冷害や飢饉が頻発した時代として知られている。
この小氷期の原因については、長らく「太陽活動の低下」「火山の大規模噴火」「大気循環の変化」など、さまざまな自然現象が候補として挙げられてきた。しかし、近年、これとはまったく異なる、人為的要因による新たな仮説が注目を集めている。
その仮説とは、「アメリカ大陸の先住民の大量死による森林回復とそれに伴うCO₂濃度の低下が、小氷期の寒冷化に影響を与えた」というものである。
大量死と二酸化炭素の減少
この仮説は、ユニヴァーシティ・カレッジ・ロンドン(UCL)のマーク・マスリン教授らの研究チームによって提示された。彼らは、1492年以降のヨーロッパ人によるアメリカ大陸の植民地化の過程で、およそ5600万人の先住民が殺害されたと推定している。直接的な武力行使だけでなく、ヨーロッパから持ち込まれた天然痘や麻疹などの疫病によって、死亡者数は一説に1億1000万人を超えたともいわれる。
この急激な人口減少により、開墾されていた農地の多くが放棄され、自然に還った。つまり、広大な土地が森林へと再生し、大気中の二酸化炭素を大量に吸収したというのである。研究チームの推定では、その面積はフランスの国土にも匹敵する。CO₂の減少は地球の放射収支に影響を与え、気温の低下、すなわち寒冷化をもたらしたというわけだ。この結果、1610年までに地球の寒冷化が進んだとされる。
氷床コアの炭素同位体分析や、気候モデル、考古学的証拠、歴史人口統計などの複数のデータを総合的に分析した結果、研究チームは「人間の活動が、すでに16世紀に地球規模の気候に影響を及ぼした可能性が高い」と結論付けている。
人為的気候変動の始まりは「産業革命以前」か?
この研究成果の示唆は重要である。従来、地球温暖化の主因とされるのは産業革命以降の化石燃料使用によるCO₂排出であり、人為的な気候変動はここ200年ほどの現象とされてきた。しかし、この仮説が正しいならば、人類はそれ以前から気候に影響を与えるほどの存在だったということになる。
とくに工業化以前の人類活動が、農耕と狩猟を中心としていたことを考慮すると、人口の急激な増減——とりわけ減少——が、森林の拡大と炭素循環に与える影響は大きく、自然現象に匹敵する規模で地球環境を変化させうるという視点は非常に説得力がある。
現時点では、この説が学界で広く受け入れられているわけではない。気候変動には複雑な要因が絡んでおり、一つの要因で説明できるものではないという指摘もある。しかし、人為的な活動が自然環境に対して重大な影響を及ぼしうること、そしてそれは工業化の時代以前にも当てはまるという点において、この研究は気候史と人類史の両面から重要な示唆を与えている。
今後さらなる研究が進めば、気候変動に関する議論の枠組みを拡張し、人類の環境インパクトに対する理解をより深めることになるだろう。それは単に「過去を知る」ためだけでなく、現在進行中の気候危機にどう向き合うかを考えるうえでも、欠かせない視点となるかもしれない。
コメント