米中貿易戦争──中国が強硬姿勢をとる理由とは何か?
米中間で貿易戦争が激化する中、中国はアメリカに対して強硬な対決姿勢を崩していない。その背景には、実は1990年代の日米関係、とりわけ日米構造協議の経験があるとされている。中国の政策当局者は、この構造協議を詳細に研究しており、日本がその後たどった経済的停滞を反面教師として捉えている。
実際、日本は1990年代以降、バブル崩壊と長期的な経済停滞に直面し、今なおその影響から完全には回復していない。この「失われた30年」とも言われる期間の出発点となった重要な契機の一つが、アメリカとの間で結ばれた日米構造協議だったとされている。
こうした日本の教訓を踏まえ、中国は「同じ轍を踏むまい」という強い決意のもと、アメリカに対して一歩も引かない姿勢を貫いている。つまり、中国の強硬姿勢は、単なる覇権争いやナショナリズムの表れではなく、過去の国際交渉における失敗例から学んだ結果なのである。
では、そもそも日米構造協議とは何だったのか?
そして、その協議をきっかけに広がった「構造改革」論は、日本社会に何をもたらしたのか?
中国の対米姿勢を理解するには、まずこの日米構造協議の歴史と影響を検証する必要がある。
日米構造協議の概要とその影響
日米構造協議は、1989年から1990年にかけて行われた日米間の公式交渉であり、その目的は単なる貿易不均衡の是正ではなく、日本国内の「構造的問題」の是正にまで踏み込むものであった。アメリカは、日本の対米貿易黒字の根本原因を「日本国内の閉鎖的な制度や商慣行」にあると批判し、市場開放、規制緩和、金融・流通・住宅・労働市場など幅広い分野での改革を強く要求した。
この協議は、それまでの「数量的貿易交渉」とは質的に異なり、日本国内の経済・社会制度のあり方にまで深く介入する点で画期的だった。たとえば、流通構造の開放、小売業への参入規制の緩和、大型店の出店に関する規制の見直し、土地政策の変更などが協議の対象となった。これは事実上、日本の経済運営に対するアメリカからの外圧であり、国内政策が対外関係によって大きく方向付けられた稀有な例と言える。
この構造協議を受けて、日本政府は次々と「改革」を実行に移した。90年代の規制緩和、行政改革、財政構造改革、さらには郵政民営化に至るまでの一連の政策の基調には、このときの協議で示された方向性が色濃く影を落としている。
しかし、その帰結は日本にとって悲惨なものになった。
日本経済は、構造改革が進められる最中にバブル崩壊という深刻な危機に直面した。バブル崩壊により金融機関の不良債権問題が顕在化し、信用収縮が発生。そのうえ、急激な円高によって輸出産業の収益が悪化。経済は深刻なデフレに突入していった。
このデフレ経済下で推進された一連の規制緩和は、産業の国際競争力の強化よりも、むしろ産業の海外移転と国内労働・雇用環境の悪化を招いた。確かに一部の分野では効率性が向上し、競争力が高まった例も見られたが、その一方で、日本社会が長年にわたり築いてきた安定した雇用制度や地域経済の相互扶助の仕組みは急速に崩壊していった。
企業のリストラ、非正規雇用の拡大、所得格差の増大、そして地方経済の衰退といった社会的副作用は、構造改革がもたらした不可避の代償として徐々に現れてきた。
その結果として、日本は「失われた10年」、さらには「失われた30年」と呼ばれる長期停滞の時代へと突入することになる。
もちろん、この経済停滞のすべてが構造改革、あるいは日米構造協議そのものに起因するわけではない。しかし、アメリカからの外圧によって進められた一連の制度改革が、日本経済の回復力を削ぎ、持続的成長を困難にした一因であることは否定できない。
日本の構造改革の教訓と限界
1990年代以降に進められた日本の構造改革は、「官から民へ」「規制から競争へ」というスローガンのもと、市場メカニズムの導入と行政のスリム化を柱として展開された。こうした改革は一見すると、経済の効率性を高め、グローバル競争に対応するための合理的な選択であったように思われた。
しかし、現実にはその成果と限界がはっきりと分かれる結果となった。確かに、通信、金融、小売など一部の分野では競争が促進され、価格の低下やサービスの向上といった恩恵が見られた。また、行政の透明性や説明責任に対する意識も高まり、一定の制度的進化はあった。
だが一方で、構造改革は「成長のための改革」という本来の目的を十分には達成できなかった。最大の問題は、改革が「経済の基盤強化」ではなく「外圧への対応」や「財政再建」の文脈で進められたため、長期的なビジョンを欠いた断片的・反応的な政策に終始した点である。とりわけ労働市場における規制緩和は、非正規雇用の急増と雇用の不安定化を招き、結果的に内需の弱体化をもたらした。
さらに重要なのは、構造改革が社会的コストを適切に見積もらず、セーフティネットの整備を怠ったことである。競争が激化する一方で、所得格差は拡大し、教育・医療・地方経済といった公共的インフラが疲弊した。すなわち、改革の「痛み」は十分に配慮されないまま、「効果」だけが過大に期待されたのである。
このような経緯を振り返ると、日本の構造改革は「改革疲れ」と「成果なき自己犠牲」を国民に強いた面が否めない。形式的には市場経済への移行を果たしたかに見えたが、実質的には社会の持続可能性や国民の生活の質を損なう結果を招いた。
したがって、日本の経験から得られる最大の教訓は、「外圧に屈して改革を行うのではなく、自国のビジョンと戦略にもとづいて主体的に改革を設計すべきだ」という点に尽きる。構造改革とは単なる制度変更ではなく、「どのような社会を築きたいのか」という根本的な問いへの答えが伴って初めて意味を持つのである。
日本に主体的戦略は可能か?
中国の政策当局者は、1990年代に日本が経験した経済的「敗戦」を徹底的に研究しているとされている。その背景には、日本がアメリカの圧力に屈し、主体性を持たずに構造改革を受け入れた結果、長期的な経済停滞に陥ったという明確な教訓がある。こうした中国が、同様にアメリカに対して妥協的な姿勢をとるとは考えにくい。
今後、米中貿易戦争はさらに激化することが予想される。その最前線に置かれる日本は、両大国の狭間で強い圧力を受ける立場にある。アメリカが対中包囲網を構築する中で、日本に対してさまざまな政治的・経済的要求を突きつけてくるのは必至だ。
したがって、日本は90年代の過ちを繰り返してはならない。当時のように、アメリカの戦略に無条件で追随するのではなく、自国の国益と戦略的立場を踏まえた、独自の対中戦略を構築する必要がある。主体性を欠いたままアメリカに依存すれば、中国との対峙を理由に、再び足元を見られることになりかねない。
実際、安倍政権時代にはすでにその兆候が見られた。中国の軍事的台頭という脅威に直面していたこともあり、安倍政権はトランプ大統領からの一方的な要求──軍用機の大量購入や農産物の輸入枠拡大など──に対して、実質的に抵抗することもできず、従い続ける結果となった。そこには、対米関係を過度に重視するあまり、日本自身の交渉力や戦略的判断を犠牲にする姿勢が、明確に表れていた。
現在のバイデン政権は、トランプ時代とは異なり、国際協調と多国間主義を重視する方針を掲げている。これは、日本にとって主体的な外交・経済戦略を展開するための貴重な機会である。アメリカと「対等な同盟国」として中国への対応を協議できる余地が、今こそ広がっているのだ。
しかし問題は、日本の政権にその自覚があるかどうかである。これまでのように、ひたすらアメリカの後を追うだけの外交姿勢を続けていては、せっかくの機会を生かすことはできない。今、日本に求められているのは、アメリカとも中国とも異なる「第三の戦略的立場」を明確にし、主体的に行動できる国家としての意思と覚悟である。
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