今野晴貴『生活保護 知られざる恐怖の現場』(2013)
生活保護に対するバッシング
平均賃金が下がり続けるなか、社会保険料は上がり続けていて、ますます労働者の負担は重たくなっている。もう私の生活なんてカツカツだ。
労働環境が厳しさを増す中、本来であれば労働者の不満は、賃金を抑え続ける経営者や、労働政策を担う政治家に向けられるべきだろう。しかし現実には、その矛先の多くは、生活保護制度やその受給者に向けられている。
その背景の一つに、いわゆる「逆転現象」がある。これは、最低賃金で働いた場合の手取り額が、生活保護の支給額を下回るという現象だ。特に、未払い残業代の増加や非正規雇用の拡大によって、実質賃金が下がり続けるなか、生活保護のほうが「手厚い」と感じられる状況が生じている。この構造的な問題が、労働者の不満を生活保護に向けさせる一因となっている。
また、生活保護の不正受給に関するニュースが繰り返し報道されることで、制度全体への不信感が強まり、正当な受給者までもが批判の対象になってしまっている。とくに著名人が不正受給に関与した事例では、メディアによる過熱報道が世論の感情的な反応をあおり、受給者全体へのバッシングに拍車をかけている。
確かに、不正受給は犯罪であり、厳正に取り締まるべきである。しかし、問題の本質は不正受給にあるのではない。労働者が制度そのものに対して不公平感を抱いてしまう「逆転現象」にこそある。これに対しては、生活保護制度の改正だけでなく、最低賃金の引き上げや労働環境の改善といった広範な社会政策によって対応する必要がある。
生活保護制度は、本来、生活に困窮した人々の命と尊厳を守るためのセーフティネットである。この制度が不信と誤解によって支持を失い、受給者が社会的に孤立していく状況は、非常に危険だ。必要なのは、制度の信頼性を回復し、労働と福祉のバランスを取り戻すことだろう。
見過ごされる福祉事務所の違法行政
現在の報道では、生活保護に対する批判的な論調が支配的であり、インターネット上でも生活保護受給者に対する差別的な発言が公然と飛び交っている。しかし、本書はそうした世論の流れとは逆に、生活保護行政の「運用する側」、すなわち福祉事務所の問題に焦点を当てている。メディアではあまり報じられないが、福祉事務所による制度の恣意的な運用、違法・逸脱行為は深刻な問題である。
生活保護の「水際作戦」と呼ばれる、申請段階での露骨な妨害は一部報道でも取り上げられるようになってきた。しかし、本書が明らかにしているのは、それにとどまらず、受給が開始された後や支給の終了段階に至るまで、福祉事務所による不適切な対応が連続的に存在しているという実態である。中には法的に問題のある行為や、明確な違法行為に該当するケースすら含まれており、その深刻さは想像以上だ。
以下に、本書で紹介されている福祉行政の逸脱行為を、生活保護の各段階に沿って整理する。
【申請段階】
- 申請者を窓口で追い返す、申請を受け付けないなど、申請手続きそのものの妨害。
【保護期間中】
- 受給が始まっても、「就労指導」の名目で過度な圧力や嫌がらせを加える。
- 支給開始の不当な引き延ばし、または補助金の未支給といった不適切な運用。
- 民間業者(低額宿泊所など)に管理を丸投げし、福祉事務所が実態を把握していない。
- 行政の説明不足や職務怠慢、不当な判断により、受給者に不正の意図がなくても「不正受給」として扱われる事例が存在。
【終了段階】
- 受給者に対して、強制的に辞退届の提出を迫る。
- 不正受給と認定された場合に、高額な返還請求を行う。
これらの対応はいずれも、制度の目的である「生活に困窮した人々の自立支援」に反するものであり、かえって受給者をさらなる困難へと追い込むものだ。本書で紹介されている福祉事務所職員やケースワーカーの越権行為、パワハラ、職務怠慢の実態は衝撃的で、福祉の名の下に行われているとは信じがたい内容である。
特に深刻なのは、低額宿泊所への“丸投げ”である。人手不足を理由に、福祉事務所は保護者の生活環境や健康状態の管理責任を放棄し、民間業者に任せきりにしている。この状況は、悪質業者や暴力団による「貧困ビジネス」を助長し、生活保護の枠を超えた社会全体の構造的問題へとつながっている。
違法行政の背景
福祉事務所による違法・逸脱的な生活保護行政が蔓延している背景には、自治体による予算削減方針と、それに基づく「適正化」政策の存在がある。
だが、受給資格が適正かどうかを判断する基準は、非常にあいまいで主に現場の判断に委ねられている。ケースワーカー(しかもその多くが委託されている人々)が、生活実態を調査し、そのうえで受給資格があるかどうかを判断するという現行の制度自体に問題がる。担当者の裁量が大きすぎて、法律・法令の趣旨に反した行政の逸脱行為が蔓延しているのだ。
多くの自治体で、福祉事務所職員、ケースワーカー、警察OBなどから組織される不正受給調査専任チームが作られ、受給者の生活実態を調査している。だが、そのための予算も自治体から配分されているもので、本来不必要な予算だ。
行政が受給者の生活実態を調査するために興信所のようなまねをして、それに予算を割くよりも、社会保障費に回した方がよっぽど健全だろう。
予算削減の圧力がかかるなか、担当者の裁量が大きい、となれば、現場で逸脱、越権、違法行為が蔓延するのは、火を見より明らかだ。さらには、世論の後押しまである。こうした行政側の問題は、世間全体に受給者への批判・不満が高まっていると、報道でもほとんど取り上げられることがなくなり、見過ごされやすくなる。
そしてその結果、最も保護されるべき困窮者が制度から排除され、生活保護の本来の目的が失われている。
生活困窮者の捕捉率
こうした制度の欠陥は、生活保護の「捕捉率(必要な人のうち実際に受給できている人の割合)」に如実に表れている。本書で紹介されているデータによると、2010年時点で日本の捕捉率はわずか15.3〜18%程度。貧困状態にある人のうち、生活保護を受けられているのは1割強にすぎない。対照的に、ドイツ64.6%、フランス91.6%、スウェーデン82%と、他国の水準は圧倒的に高い。
この異常な捕捉率の低さの背景には、受給要件の過酷さがある。
生活保護の需給を受けるには、まず所有財産の一切の破棄が求められる。さらに親族による生活扶助が得られないことの証明が必要だ。また、受給期間中の一切の蓄財が認められない。
まったく奇妙な制度だ。受給資格を得るためには、貧困であることが証明できなければならない。この貧困であることの証明は、申請段階、申請期間中にわたって、ひたすら求められ続ける。奇妙なことに、受給資格を得るために、自ら自分の境遇を貧困状態にしなれればならないのだ。
自立を促すよりも、困窮者でいつづけることの方に動機付けが働く制度になっている。生活保護に落ち込むと、そこから抜け出せなくなるのは、その制度設計そのものに原因がある。生活保護が一切自立の支援に役立っていなことが分かる。
制度のもう一つの深刻な問題は、受給資格の判断が現場の担当者の裁量に大きく依存している点だ。この構造が、不公平な運用と不正受給を生む温床となっている。
福祉事務所職員、あるいはケースワーカーに対して、恫喝するような威圧的な人物ほど、受給が通りやすくなる。一方、本当に保護が必要な人物には、予算削減の圧力から、受給拒否が横行してしまう。結局、声の大きい人物だけが受給できる「ごね得」のような状況が常態化している。
これが、反社会的勢力による不正受給が蔓延したり、メディアで日々不正受給者についての報道が絶えない原因だろう。(これを現場職員の怠慢と批判するの簡単だろう。だが、本質的な問題は、制度設計にあると考えるべきだ。)
保護の受給を得るためには、親族を巻き込み、財産を手放し、貯蓄もできず、世間からの批判の目にもさらされなくてはならない。さらに、受給できたとしても福祉事務所からの圧力や嫌がらせが存在する……
こうしたことから、多くの人々が困窮状態にあっても、生活保護を受け取らないことを自ら選んでいるのだ。その結果が、捕捉率2割以下という実態だ。
Basic Incomeの導入が、生活保護制度の限界を打開する
これまで見てきたように、現行の生活保護制度は明らかに機能不全に陥っている。
捕捉率は2割を切り、本当に支援が必要な人に制度が届かない。福祉事務所による違法行政や、民間業者と癒着した「貧困ビジネス」が蔓延し、本来の目的である自立支援からも大きく逸脱している。
現行制度は、貧困を解決するどころか、制度の利用者にスティグマ(偏見や差別)を与え、貧困状態を長期化させる結果を生んでいる。制度そのものが人々の尊厳を傷つけ、「貧困の固定化」を促していると言っても過言ではない。
Basic Incomeが構造的問題を一掃する
このような構造的な問題を根本から解決できる現実的な選択肢が、Basic Income(ベーシックインカム)の導入である。
Basic Incomeは、すべての人に一定の金額を無条件で支給する仕組みであり、生活保護とは異なり「審査」も「資格」も不要である。これにより、以下のような利点が生まれる:
- 申請・審査不要 → 行政の裁量や恣意性を排除
- スティグマの解消 → 社会的排除や偏見を防ぐ
- 福祉事務所不要 → 人件費・調査費の削減
- 自立支援につながる → 貧困の再生産を断つ
つまり、Basic Incomeを導入することで、生活保護にまつわる不正受給や違法行政、スティグマ、そして制度の利用回避といった一連の問題を構造的に解消できる。
「コスト」ではなく、「未来への投資」としての貧困対策
Basic Incomeに対して、「社会保障費が膨らむのではないか」という懸念も根強い。
しかし、貧困を放置することの方が、長期的に見ればはるかに大きな社会的・経済的コストを生んでいる。
貧困層の増加は、消費の低迷・経済の停滞・社会不安・犯罪の増加といった形で社会全体に影響を及ぼす。現行制度のように、役所の維持や不正調査に巨額の予算をかけることこそが、本質的には「無駄な支出」ではないだろうか。
貧困の解消こそが、経済の活性化と社会の安定につながる。その意味で、Basic Incomeは「福祉」ではなく、「投資」である。
Basic Incomeの導入については、欧米諸国ではすでに議論や試験導入が進んでいる。日本ではようやくその議論が紹介され始めた段階だが、もはや議論を先送りにしている余裕はない。
行政の横暴や怠慢を温存するために税金を使い続けるより、制度を刷新して本当に支援が必要な人に公平で確実に届く仕組みを構築する方が、社会にとっても納税者にとっても合理的だ。
少なくとも、現行の生活保護制度を漫然と維持し続けるよりは、Basic Incomeの導入を真剣に検討する方が建設的である。
尊厳を支える新しい制度へ
制度は、人々の生活と尊厳を支えるものであるべきだ。
貧困にある人々を「選別し、審査し、排除する」現在の制度ではなく、「すべての人を無条件に支え、自立を後押しする」新たな制度へと、舵を切るときが来ている。
日本でも、Basic Incomeの導入の是非が正面から議論されることを強く望む。
今野晴貴『生活保護 知られざる恐怖の現場』(2013)
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