【福島第一原発事故】計画停電とは何だったのか?

電力供給量見通しを偽る東京電力

 2011年3月11日、東日本大震災による福島第一原発事故から数日後、3月14日から4月8日まで東北電力および東京電力の管内では、計画停電が実施された。事故の影響により、原発の安全確認が必要となり、電力の供給量が低下したためだった。
 そしてすぐに、今後の電力供給逼迫が予想されるようになった。特に問題視されたのは夏で、夏季は通常、電力消費量が一年間で最も増加する。東京電力は2011年7月末の電力需給見通しについて、3月、4月、5月、7月(2回)と、5回公表している。だが、その都度、供給量の見通しが変わるという不自然なものだった。
 当初、3月発表分では、電力供給は大幅に足りないとされていた。だが、東電の公表後に、揚水発電や自家発電の存在を指摘され、その度、数値を変更し、電力供給量が増加されていった。5月発表分では、7月末の供給量見通しが5520万kWに対して最大需要5500万kWと、ついに需要と供給が逆転してしまった。明らかに世論の動向を見つつ見積もりを操作して公表しているかのような不自然な数字の変遷だった。
 さらに、需要量の見通しに関しても、数値が後から変更された。7月初め、7月9~15日間の予想最大電力を1日に5050万kWと発表していたが、公表の1週間後には4360万kWに大幅下方修正した。予想供給余力は約6%から約18%まで上昇した。
 最終的には供給量は、7月末で5680万kW、8月末5560万kWで、夏の間、供給不足は発生しない見通しとなった。

 原発を再稼働させるために東電、経済産業省が不正確な数値を繰り返し発表した。東電と経済産業省が発表し続けた数字は一体何だったのか?電力供給能力を過小評価して発表し、そして、電力不足だと国民を煽り続けていたのではないか。これでは計画停電自体が世論誘導のために行われたのではないかという疑いがもたれてもしかたがない。
 これは単なる過失で済まされるものではなく、徹底的な責任追及が必要なものだった。仮に公表数字の意図的な操作があったとすれば、民主主義の根幹を揺るがしかねない問題だからだ。

日本は民主主義国家か?

 意図的に数値を改竄して発表する。。。一度こういうことをやってしまうと政府は決して信用されなくなる。正しい数値を公表した上で、政策の是非を議論すべき、とうい民主主義国家の根幹が崩れてしまう。北朝鮮政府や中国共産党が発表する統計数値が国際的に全く信用されていないことと同じことになる。

 政策を決めるのは、東電でもなく経済産業省でもない。原発の是非は、国会で議論されるべきだが、官僚主導で行われる日本の国会では、官僚が数値を改竄し、さらには政策論まで歪めてしまう。
 電力発電は独占事業であり、電力会社は独占利潤を確保するために学者や役人を取り込んできた。これは、「電力のレギュラトリー・キャプチャー」と呼ばれるもので、規制される側(電力会社)が規制する側(国や学者)を取り込む典型例だった。現在、若干の自由化が図られたが、レギュラトリー・キャプチャーの構図は変わっていない。
 さらに、官僚主導の国会運営も当時と全く同じままだ。官僚が政策議題を立案し、官僚が法案を制作し、官僚が国会答弁の原稿まで作る。

 震災からすでに数年が過ぎた。あれだけの惨事を引き起こしておいて、原発政策も日本の政治も全く変化していない。日本で既得権益層がいかに強いか、原発問題は正にそれを物語っている。