堤未果『アメリカから<自由>が消える』(2010)
世論を誘導する政治
2010年刊行。
本書は、2001年の同時多発テロから10年近くが経過してもなお、テロの脅威に怯えながら、国民への監視体制を強化し続けるアメリカ社会の姿を描いている。そして著者は、アメリカの政治がいかにして国民の世論を「操作し、誘導してきたか」という点に焦点を当て、その歴史的事例を掘り下げている。
アメリカ史を振り返ると、国民の世論が政治を動かすというよりも、政府が特定の目的のために世論を意図的に形成し、政治的判断を正当化してきた例が数多く見られる。本書ではその典型例として、以下のような出来事が紹介されている。
・アラモの戦い(1836)
「アラモの砦」での戦いは、テキサス独立戦争の象徴として広く知られている。一般には、義勇軍の悲劇的な最期が国民の怒りを呼び、合衆国の参戦と領土拡大を正当化したとされている。
しかし一部では、合衆国政府があえて義勇軍を救援せず、メキシコ軍によって壊滅させることで「反メキシコ」の世論を醸成し、戦争への大義名分を得たとの指摘もある。結果として、政府は国民の支持を背景にメキシコへ宣戦布告し、テキサス、ニューメキシコ、カリフォルニアといった広大な領土を獲得している。
・真珠湾攻撃 (1941)
日本による真珠湾奇襲攻撃によって、アメリカは第二次世界大戦への参戦を余儀なくされた。だが、近年の研究では、当時のルーズベルト大統領が日本軍の攻撃計画を事前に把握していた可能性が高いとされている。
ルーズベルトは、日本の先制攻撃が成功するようにさまざまな手を打っていたとされる。例えば、日本軍の侵攻を察知した司令官を更迭、レーダーの無効化、港の開放、老朽艦の前面配備などだ。
これにより、開戦に否定的だった世論を一気に「戦争容認」へと誘導することに成功したとされている。
・トンキン湾事件(1964)
ベトナム戦争拡大の契機となったトンキン湾事件も、後にアメリカ側による事実の捏造だったことが明らかになっている。
・湾岸戦争(1991)
1991年の湾岸戦争では、クウェートの少女によるイラク軍の残虐行為の証言がメディアを通じて世界に流された。だが、これもアメリカ政府が用意したプロパガンダであり、少女は実際にはクウェート大使の娘であったことが後に発覚した。
・イラク戦争(2003)
「大量破壊兵器の保有」という名目でアメリカがイラクに侵攻した2003年のイラク戦争も、根拠の不確かさが後に問題となった。結果として、大量破壊兵器の存在は証明されず、「捏造による開戦」との批判が現在も根強く残っている。
これらの事例が示すように、「世論を誘導する政治」はアメリカで実際に繰り返されてきた現象である。政府は、自らの政策目標を達成するために、危機的状況や情報を操作して国民の感情を動かし、政治的正当性を築いてきた。
アメリカの為政者たちは、国民の一致団結が政治的にも軍事的にも最も大きな力となることを深く理解している。ゆえに、彼らは「世論を動かす術」を歴史的に巧妙に用いてきたのである。
9.11後の世界と言論の自由
言論の自由は、民主主義社会における根幹であり、為政者による世論誘導に対抗するためにも、絶対に守られるべきものである。もし、世論誘導が横行するなかで言論の自由が制限されれば、国民は政府の方針にただ従うしかなくなる。とりわけアメリカのような自由主義社会において、言論の自由の喪失は、最も警戒すべき事態である。
しかし現実には、アメリカではその言論の自由が、少しずつ、しかし確実に制限されつつある。
本書ではまず、その象徴として空港における過剰な警備体制が紹介されている。全身レントゲン撮影を行う「ミリ波スキャナー」や、空気噴射による爆発物探知装置といった高度な機器が導入されており、街頭や公共施設の監視カメラ設置も当たり前となっている。
9.11以降、こうした警備体制の強化に巨額の予算が投入され、関連企業のロビー活動も活性化した。2003年の時点で、国土安全保障省にロビイスト登録された警備関連企業は569社、関連事業の年間利益は1150億ドルを超えている。さらに、同省から関連企業への天下りも報道されており、安全保障とビジネスが強く結びついている実態が浮かび上がる。
一方で、警備の強化自体は多くのアメリカ国民に支持されている。そのため、「警備体制の強化」を直接批判しても、「安全を求める国民の声を無視するものだ」として、政府に反論の余地を与えてしまう可能性がある。
本来、警備体制の強化と、国民への監視・言論制限は切り離して論じられるべきである。政府が警備強化を名目に、言論や政治活動への監視を正当化しているのであれば、それは明確に分離して批判されなければならない。問題は「警備そのもの」ではなく、それを口実にした「自由の制限」や「監視社会の強化」にある。
人権や憲法によって保障された自由を侵害するような監視や取り締まりが行われているのに、それが安全保障と混同されて議論されることで、本質的な問題が見逃されてしまっている。こうした構造の中で、政府はさらに監視を強化する口実を得てしまう。
現に、こうした議論が十分に行われないまま、「愛国者法」などの法律が性急に成立し、国民の言論の自由や政治活動の制限、監視の合法化が進んでいるのがアメリカの現状である。
愛国者法と恒久化する監視体制
「愛国者法(USA PATRIOT Act)」は、本来時限立法として成立した法律であった。だが、盗聴と個人情報入手に関する第2条項以外は、すべて現在では恒久化されている。その第2条項も2009年オバマ大統領によって延長が要請された。
この法律によって、個人の思想・信条に関する調査が可能となり、政府に批判的な人物がリスト化されるようになった。さらに、一度「テロ容疑」がかけられれば、即座に拘束が可能となり、その拘束は無期限とされる。対象者は「敵性戦闘員」として分類されるため、人身保護法やジュネーブ条約の適用外とされる。
米政府は、拘束した容疑者をキューバのグアンタナモ湾などの国外収容施設に移送し、そこで拷問を含む苛烈な取り調べを行っていることが明らかになっている。これは事実上、拷問のアウトソーシングとも言える。こうした不当な捜査や拘束に対する訴訟も、「国家機密に関わる」として却下されており、司法的な救済すら困難になっている。
2006年には「特別軍事法廷法」が制定され、被疑者に対する非公開の軍事裁判が可能となった。こうした法制度の整備により、政府は疑わしいと判断した個人を、ほとんど制限なく監視・拘束できる体制を手に入れたのである。
萎縮する社会と見えない自由の喪失
このような制度の拡大は、社会に大きな萎縮効果を与える。政府に対する批判や異議申し立てを行えば、どのような扱いを受けるか分からないという恐怖が、人々に「自己検閲」を促す。結果として、国民は自発的に政府批判や政治活動を控えるようになり、自由な言論空間が静かに、しかし確実に損なわれていく。
言論の自由は、多くの場合、突然奪われるのではなく、このようにして「気付かぬうちに」制限されていく。そして、気がついたときには、すでに誰も声を上げられない状況に陥っているのである。
堤未果『アメリカから<自由>が消える』(2010)
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