孫崎享『不愉快な現実』(2012)
世界最大の経済大国となった中国
2012年刊行。
「中国は今後10年以内に、経済・軍事の両面でアメリカと肩を並べる大国になる」——。
これは多くの人が予想していながらも、直視を避けてきた現実である。しかし、その未来は想像よりも早く到来しつつある。2012年に出版された本書では、「2020年に中国がアメリカに並ぶ」と予測されていたが、現実はそれを上回るスピードで進んでいる。2015年の時点で、中国はすでに世界最大の経済大国となる寸前にあるのだ。
2015年現在、中国の名目GDPは依然としてアメリカに次ぐ第2位だが、その規模はアメリカの約0.6倍に達している。一方で、日本との比較では2.7倍と、圧倒的な差をつけている。
購買力平価で換算したGDPで見ると、中国の予想以上の大国化がより明らかになる。購買力平価GDPでは、2014年の時点で米中が逆転し、中国がアメリカをすでに追い抜いている。2015年ではその差がさらに開き、アメリカの1.08倍にまでなった。
この数字からは、中国元が極めて過小評価されている実態が見て取れる。物を買う力という純粋な経済力で見ると、中国はすでにアメリカを抜いて、世界最大の経済大国になっているのだ。
書店へ行くと国際政治の中国関連本は、「中国崩壊論」で溢れかえっている。保守系の著者によるものが多く、平積みで並んでいて非常に目立つのは、こういった本ばかりだ。「中国は崩壊する!」と唱えた方がよく売れるのだろう。
だが、中国の台頭はすでに現実のものであり、この「不愉快な現実」から目をそらし、崩壊論という願望にすがっていては、国際政治の現実を見誤ることになる。
本書は、中国の大国化を前提としたうえで、日本が今後どのような戦略を取るべきかを論じている。
中国の軍事力にどう対抗するか
中国は経済力の向上に伴って、軍事力においてもアメリカに並ぶ世界最大の軍事大国化を目指している。アメリカ国防総省の推計によれば、2011年時点で中国の軍事費は約1600億ドルであり、日本の約3倍に達していた。著者は、この差は今後さらに広がり、10倍近くになると予測している。
仮に日本が中国に軍事的に対抗しようとすれば、GDPの10%を軍事費に充てる必要がある。しかし、これだけの国防費を支出することは現実的ではなく、国民の支持も得られないだろう。一方で、中国は国家方針として軍事的大国化を定めている。出遅れていた軍の近代化も急速に進めている。このままの状況が続けば、近い将来、確実に軍事力で、日中間の歴然とした格差が現れることになる。
中国が、経済力、軍事力の両面で、アメリカに比肩し得る存在になりつつある現在、アメリカの極東地域における外交戦略も転換を迫られている。
著者は今後、「米国は中国を東アジアで最も重要な国として位置づける」と予想し、「軍事力が米中接近した中で、アメリカが日本を守るために中国と軍事的に対決することはない」との見方を示している。
実際、尖閣諸島を巡って日中間で武力衝突が起きた場合、アメリカが日米安保を理由に軍事介入する保証はない。本書ではその根拠として、「日米安保は米国の介入を強制するものではない」との見解を示した86年のモンデール駐日大使の発言が紹介されている。以来、アメリカは、尖閣諸島を係争地域として当事国間で解決することを前提とし、どちらの立場にも寄与しないという立場をとっている。
また、キッシンジャーやモーゲンソーの考えに代表されるように、アメリカは、核兵器による報復の可能性がある場合は、同盟国の危機に際しても軍事介入しないという姿勢を取るだろう。つまり、中国が核兵器によるアメリカへの直接攻撃を可能にした時点で、アメリカによる「核の傘」はほとんど無意味になる。
このような背景から、多くの日本人が過信している日米同盟の実効性には、冷静な再評価が必要だ。米中関係が緊密化するなか、アメリカが日本を守るために核戦争のリスクを冒すとは考えにくい。仮に日中間で軍事衝突が発生した場合、アメリカは中立を保つ可能性が高いと考える方が現実的だろう。
日本が取るべき戦略とは
こうした厳しい国際環境の中で、日本が中国に軍事的に単独で対抗することは現実的ではない。また、周辺諸国と連携して軍事同盟を組んだとしても、対中国の軍事力格差は容易には埋まらない。
この現実を踏まえ、著者は次のような提言をしている。
尖閣諸島を係争地域として認め、1970年代に周恩来・鄧小平と合意した「棚上げ論」を再確認し、継続することが現実的な選択肢だという。
中国が大国化し、アメリカが中国重視へと政策転換を進めるなか、日本は領土問題についても独自の対応を迫られる。その際、領土主権は維持しつつも、実効支配を行わないという相互合意を形成し、棚上げを前提とした経済協力や資源の共同開発へと転換することが求められる。
これは、「軍事衝突よりも経済協力のほうが双方にとって利益になる」という、ごく基本的な経済原則に立ち返ることに他ならない。その原則を日中両国が認め合うことができれば、武力衝突を回避する道が開けるだろう。今後、日本に求められるのは、まさにそのための外交的な努力なのである。
アメリカの政策転換
中国の大国化を前に、アメリカも外交政策の転換を進めている。著者はその基本戦略の一つとして「オフショア・バランシング(offshore balancing)」を紹介する。これは、中国の台頭を牽制するために、日本など周辺国を利用するという戦略である。
現在、中国は経済大国として台頭しているが、かつてのソ連のようにブロック経済を志向せず、資本主義を前提とした国際秩序に参加している。この点をアメリカは重視し、中国を重要な貿易相手として受け入れようとしている。たとえ中国が共産党による一党独裁体制を維持していても、それは中国の内政問題と位置づけている。
一方で、アメリカ国内には中国に対する警戒感も根強い。共和党や保守系の論客からは、中国の人権侵害や法治の不徹底を理由に、完全な信頼を置くには値しないという主張もある。こうした状況を踏まえ、アメリカは対中関係を強化しつつ、同時に日本を中国の牽制役として位置づけるのが「オフショア・バランシング」の狙いである。
オバマ政権下でも、尖閣諸島に関して日本を支持する一方で、軍事衝突に際しては慎重な対応をとっており、領土問題については「どちらの側にも立たない」と明言している。経済面では中国との協力を深めながら、日本やインドとの同盟を強化し、リスクヘッジを図る。日本に集団的自衛権を認めさせ、自衛隊と在日米軍をより効果的に活用しようという方針もこの一環である。
こうして見ると、日米同盟の強化と米中関係の深化は矛盾するものではなく、アメリカの一貫した戦略に基づくものと理解できる。
この戦略の中で、アメリカが最も警戒しているのは、日本と中国の接近である。アメリカは戦後一貫して、日中および日露間の連携強化や同盟化に慎重な姿勢を取ってきた。
たとえば、対ソ封じ込め政策を主導したジョージ・ケナンは1947年の時点で、「千島列島の範囲を曖昧にすることで、日露間の領土問題を永続化できる」と指摘していた。領土問題が長引けば、アメリカは、そこから外交的な優位を引き出すことができる。
また、日中関係に関しては、ジョセフ・ナイ、アーミテージ、ケビン・メアといった日米外交に深く関わった要人たちが、そろって日中同盟に対する警戒感を示している。鳩山政権下で中国重視の姿勢を見せた途端、日米関係は極度に悪化した。
このように、アメリカは「東アジア共同体」構想に対して否定的である。戦後日本はこのアメリカの戦略に従い、日米同盟を外交の中心に据えてきた。しかし、それが日本の国益に常に資するとは限らない。
著者は、1980年代末のバブル崩壊とその後の長期経済停滞の要因の一つとして、アメリカによる金融・為替政策の介入を挙げている。日本の経済力がアメリカにとって脅威となった際、同盟国であっても抑制しようとするのがアメリカの現実的な対応である。
ゆえに、日本には今こそ、アメリカとの関係だけに依存しない、多角的な外交戦略が求められている。
東アジア共同体は可能か
2015年に成立した安保関連法制を機に、アメリカは日本を中国に対するリスクヘッジとして、また中東戦略の一環として利用する姿勢をより強めていくだろう。しかし、日本は本当にこのようにアメリカの戦略に従属するしかないのだろうか。
著者は、EUやASEANの事例を引きつつ、東アジア共同体構想の可能性を探っている。これらの地域共同体は、異なる文化や価値観を乗り越えて統合を実現してきた。東アジアでも、同様の試みは不可能ではないとする立場だ。
とはいえ、日本と中国の間には、基本的な価値観や政治体制に大きな隔たりがある。中国の覇権主義や軍事的膨張、中華思想、法治の未成熟、人権軽視などは、日本人にとって容易に受け入れがたいものである。
さらに、ロシアは依然として武断的な外交姿勢を崩しておらず、韓国はナショナリズムの高まりが顕著、北朝鮮に至っては政権内部に自浄作用すら見られない。こうした現状では、政治的な共同体としての東アジア共同体構想には明らかに限界がある。
たとえ経済協力が可能であっても、最低限、「法の支配」と「人権の尊重」という近代的な価値観を共有できなければ、政治的枠組みの構築は難しい。これは歴史認識の違いよりも根本的な問題であり、この課題を克服できなければ、共同体構想は理想論に終わるだろう。
中国との向き合い方——領土問題の棚上げと経済協力
では、東アジアの安定のためには、何が必要だろうか。それは、領土問題の解決を先決の課題とすることだと思う。日本がまず行うべきことは、棚上げ論に向けた外交交渉だ。すべての係争地域で武力による解決の禁止と棚上げ論を実現していく、そして、それを前提にした上で、資源についての共同管理、共同開発の合意を取り付けることが必要だ。
極東地域から領土をめぐる紛争の危機がなくなれば、EUのような政治統合やASEANのような制度的枠組みがなくとも、経済的な相互依存を深めていくことは十分可能だろう。
また、このような領土問題の解決によって、アメリカによる地政学的戦略への過度な依存からも、日本は相対的な自立を果たすことができる。自国の国益を主張し、独自の外交方針を展開するためにも、領土問題の整理は極めて重要である。
中国が大国化する今後、日本はどのように向き合うべきか。それは、「単なる隣国として、損得勘定で冷静に付き合うべき」ではないだろうか。
政治的安定が確保されていれば、経済は自然と進展していく。資本主義経済を前提とした国家同士においては、経済的な相互依存の深化こそが、最も有効な安全保障となり得る。
日中間の経済的結びつきは、潜在的な軍事的緊張を抑止し、ひいてはアメリカからの外交的自立を促す効果も期待できる。
かつて日本は、中国の力を過小評価し、あるいは過大な理想に基づいて関係構築を図り、いずれも失敗した。
日中戦争当時、日本は暴支膺懲を叫んで、中国の実力を過小評価し不当に見くびってしまった。また一方で、頭山満の玄洋社や宮崎滔天の中国同盟会などが掲げたアジア主義は、中国との一体化という理念だけを頼って最後には、混迷する中国情勢の中で挫折した。結局、どちらも中国の実態を見ていなかった。
「不愉快な現実」は、愛国心やナショナリズム、アジア主義といった理念で見ると歪んで見える。ありのままの現実を直視し、経済的な損得だけの素朴な関係が、実は最も大事なのだと思う。
孫崎享『不愉快な現実』(2012)
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