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アメリカとどう向き合うか:カナダの自主外交に学ぶ – 櫻田大造『対米交渉のすごい国』

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櫻田大造『対米交渉のすごい国』(2009)

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小国の対米戦略

 2009年刊行。
 カナダ、メキシコ、ニュージーランドといった小国が、いかにして独自の対米交渉を展開してきたかを検証した一冊。

 著者はこれら三国の外交政策の事例から、対米交渉における「鉄則」を導き出そうとしている。21の鉄則が挙げられているが、その中でも特に興味深かったものをいくつか紹介すると——

  • 関心の非対称性を活用する
  • 争点の関連付けを利用し、優先順位を明確にする
  • アメリカ社会の多元性を利用し、分断統治を図る
  • 多国間交渉の論理を戦略的に活用する
  • 世論、特にアメリカ国内の世論を味方につける

 といった点が挙げられる。

 たとえ小国であっても、こうした戦略を押さえて外交を展開すれば、アメリカに対しても引けを取らない、対等な交渉が可能であることを、具体的な事例を通じて示している。

 著者はカナダでの研究経験を持ち、本書ではカナダに関する記述が特に充実している。カナダはアメリカと切っても切れない関係にありながら、アメリカの政策には一定の距離を置いている印象がある。多文化主義やリベラルな政策を掲げるカナダの姿勢は、「世界の警察」としてのアメリカとは対照的である。
 カナダ外交が、アメリカから独立して独自外交を築いていく歴史的経緯は、非常に興味深い。

多文化主義政策のカナダ

 カナダ外交の歴史を簡単に振り返ると、1960年代から80年代前半にかけての離米独自路線から、マルルーニ首相の下での自主外交の確立へと至る過程として評価できるだろう。

 60年代、アメリカとの外交関係は停滞していた。1962年のキューバ危機では、当時のディーフェンベーカー首相がカナダ国内での核弾頭配備を拒否。これが国会を揺るがし、不信任決議案が可決。総選挙を経て、自由党のピアソンが勝利し、核弾頭配備を受け入れることとなった。
 しかし、ピアソンはその後、非核化を閣議決定。1965年には、アメリカのテンプル大学での講演で北爆を批判し、リンドン・ジョンソン大統領から強く非難される。その結果、カナダはアメリカからのベトナム戦争関連情報の共有を断たれる。

 ピアソンの後を継いだトルドー政権も独自外交戦略を進めていく。東西緊張緩和デタントを背景にNATOにおける戦略的位置からの段階的撤退と非核化を推進。トルドーは加米間交渉でカナダの非核化を了承させた。そして84年にはカナダの非核化が実現する。

 1980年代、トルドーは独自の平和外交を展開。1979年のソ連によるアフガニスタン侵攻で米ソ冷戦が再燃する中、独自の核兵器削減交渉を提唱したが、準備不足や国際的な根回しの欠如から、核保有国からの反応は乏しかった。
 この失敗の背景には、国内世論の不一致、政権基盤の不安定さ、そして米大統領との個人的な信頼関係の欠如があったとされる。

 それでも、トルドーの「離米」的な政策は、アメリカ一辺倒ではない多角的な国際関係の構築につながった。対日関係の強化もこの時期に始まっている。

 一方、1984年に就任したマルルーニ首相は、アメリカとの関係を重視しつつも、その舵取りに成功した人物といえる。レーガン、ブッシュ両大統領との個人的な親密関係を背景に、粘り強い交渉を展開。1983年、レーガンが発表した戦略防衛構想(SDI)への参加は国内世論に配慮して拒否したが、民間企業の参加を認めることでアメリカへの配慮も示した。

 さらに、1991年にはバルト三国とウクライナを国家として承認し、西側諸国で最初に国交を樹立するなど、自主外交の姿勢を国際社会に印象付けた。

 9.11以降も、カナダは自主外交路線を継続した。タリバン政権の打倒を目的としたアフガニスタン戦争には参加し、派兵も行ったが、国連決議のないイラク戦争への参加は拒否した。アメリカへの明確な批判は避けつつも、独自の立場を貫いた。
 このような対応に対し、アメリカからの強い反発や制裁はほとんど見られなかった。その背景には、「テロとの戦い」という大義名分をアフガニスタン戦争のみに限定したこと、またフランスやドイツのように国連を舞台とした公然たるアメリカ批判を避けたことが大きいと考えられる。

 これは、日本の対応とは非常に対照的だ。日本は、憲法9条を理由に両戦争とも派兵はしていないが、政治的にはどちらの戦争にも支持を表明。日本の対米追従を国際的に強く印象付けてしまっている。

 カナダは現在も、トルドー政権下で進展した多文化主義政策を背景に、独自の外交文化を築いている。アメリカの強い影響下にありながら、必ずしも同調しているわけではないカナダの姿勢は注目に値する。

非核化を進めたニュージーランド

 ニュージーランド(NZ)の対米政策における象徴的な出来事は、非核化政策だ。
 1984年の総選挙で、非核化を政策綱領に掲げた労働党が勝利。当時、米ソ冷戦の激化により同盟国への核配備が進められていたが、NZでは米仏による南太平洋での核実験に対する反発が強く、非核世論が根強かった。

 当時のギロン政権は太平洋安全保障条約(ANZUS)からの脱退を望んではいなかったが、議会と世論の後押しを受けて、核兵器搭載艦の入港拒否や非核法の制定を進めた。

 このときNZは、自国が小国であり、戦略的に重要な位置にないことを最大限に利用。自国の非核化政策がアメリカの世界戦略に影響を与えないことを強調し、その波及効果を抑える努力を続けた。

 その結果、アメリカからは「同盟国」から「友好国」へと格下げされたものの、制裁は受けず、ANZUSへの形式的な残留も維持された。現在でも、非核化はNZの国是であり続けている。

で。日本は?

 カナダ、ブラジル、ニュージーランド——
 これらの国の外交政策は、日本ではほとんど報道されることがないので、読んでいて非常に興味深い。対米追従と言われて久しいニッポンだが、これらの国のような「したたかな外交戦略」は日本で可能だろうか。日本の主体性と対米関係のあり方を改めて考えさせられる内容。

櫻田大造『対米交渉のすごい国』(2009)

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