城繁幸『7割は課長にさえなれません – 終身雇用の幻想』(2010)
一人ひとりの姿から浮かび上がる日本の労働問題
2010年刊行。
著者は、日本の労働問題、格差問題の根本的な原因が、年功序列型の日本の雇用慣行にあることを指摘して、一躍話題となった城繁幸氏。
日本の労働環境の閉塞感を、具体的な事例を通じて浮き彫りにしている。
前作の『若者はなぜ3年で辞めるのか』では、日本の労働問題の構図を概説していたのに対し、本書は、労働現場の実態を通じて問題の本質に迫ろうとしている。個々の具体的な労働問題から問題全体の背景を探ろうとしていて、前回が演繹的だとしたら今回は帰納的な方法といったところだろうか。
架空の町「日本町」に見るリアルな問題
本書の前半では、架空の地方都市「日本町」を舞台に、さまざまな立場の労働者たちの物語が展開される。いずれも架空の登場人物ではあるが、その境遇は読者にとって決して他人事ではない。
たとえば、派遣社員として働く人々———
同じ現場で働いているにもかかわらず、正社員とはまったく異なる待遇を受けている。給与体系は別で、正社員の半分以下。時給待遇で、休めば給与はその分保障されない。福利厚生の対象からも外され、社員食堂ですら別料金を課される。にもかかわらず、求められる業務の責任や負担は正社員と同等だ。
企業側にとって派遣社員は「人員調整の弁」として、いつでも首にできる都合よい存在であり、その結果、単純業務しか任されない。これにより、彼らが職業経験を積む機会は奪われ、再就職でも不利になる。こうして派遣という働き方が「固定化」していくメカニズムが出来上がっている。
たとえば、大企業で働く女性社員———
男女雇用機会均等法が改正されたにもかかわらず、企業は「総合職」と「一般職」という制度上の区分を使い、女性を差別的に扱い続けている。一般職という名の下に、昇進の道を閉ざし、賃金格差を温存している。「総合職・一般職」という区分を法の抜け穴として利用しているのだ。日本では、女性社員は女性だからという理由だけで雇用の調整手段の一つとしてしか見られていないということが良く分かる。
日本は男女の賃金格差の最もひどい先進国として、国連の女性差別撤廃委員会やILO(国際労働機関)など国際機関からたびたび是正勧告を受けている。今や日本は男女差別の最もひどい先進国、「Sexiest」の国とみなされている。
だが、こうした事実は国内ではほとんど報道されない。ちなみに日本が、同一労働同一賃金を定める同一報酬条約(第100号)を批准したのはなんと1967年だ。半世紀近くが過ぎてもなお、その理念は依然として実現されていない。(日本をもう先進国と呼ぶのはやめるべきだ。いや正確には日本が先進国だったことなど一度もなかったのかもしれない。)
成長の止まる企業・報われない正社員
企業の成長力に限界が見えつつある中で、現在、正社員の賃金の上昇は、40歳前後で頭打ちになる企業が増えつつある。今まで、年功序列を維持してきた企業では、50代で最大の賃金を迎える場合が多かったが、その年齢が徐々に引き下げられつつある。
団塊世代はこの構造変化をかろうじて逃れたが、その後の世代は昇給も昇進も止まり、「7割は課長にすらなれない」といわれる状況にある。
若手社員もまた、年功序列の風土が色濃く残る会社の中で、給与も低く抑えられ、担当業務も年功で回ってくる。それにもかかわらず、生涯勤め上げても「7割は課長にさえなれない」状況に閉塞感を覚え始めている。新卒社員の3割が入社3年以内に離職するという「3・3問題」は、こうした閉塞感の結果として現れたものにすぎない。決して「今の若者は根性が足りない」とかいった精神論の問題ではない。自分の可能性をもっと試してみたいと思うのは、若者の当然の欲求だからだ。
この物語に登場してくる人物たちの姿は架空のものだが、いずれも現実の日本社会をよく表している。日本では、どの地域のどの会社でもでもおそらく似たような光景が展開されているのだろう。日本の社会がいかに画一的な働き方しか許さない社会であるか、そしてその結果、どこにおいても同じ問題を抱えることになっているか、ということを改めて思い知らされる。
格差を助長する労働組合と労働法
もう一つ、著者の指摘の中で重要なものは、一見、労働者を保護するための法規制や労働組合が実際は、労働環境を歪めているという点だ。現在の労働基準法や労働組合は、正社員のみを保護する形になっていて、雇用形態の差による差別を温存し、さらには助長する結果になっている。
搾取する側としての労働組合
日本の労働組合は、経団連とともに今の格差を作りあげた共犯者だといっても過言ではない。
経団連は、正社員に基幹業務を、非正規雇用者に周辺業務を任せるという方針のもと、派遣労働の規制緩和を推進してきた。一方で労組も、正社員の雇用を守る見返りとして、この方針を黙認してきた経緯がある。
日本の労組は、企業別に組織されている。そして、その構成員の多くが企業の正社員であり、経営側と労使間の軋轢があったとしても、会社全体の利益という観点で見れば、経営陣と利害を共有する立場にある。そのため、労組の活動は企業内の正社員の利益保護に集中し、非正規雇用者の処遇改善にはほとんど目を向けない。
その結果、日本では労組が、非正規雇用者の採用を積極的に進め、彼らに負担とリスクを押し付けることで自らの立場を守ろうとしている。日本の労組は、一企業を超えた労働者全体の利益を考えることが全くできてないただの既得権益層でしかない。
対照的に、欧米諸国では労組が産業別に組織されており、同一産業内での労働者の流動性を前提として、業種全体の労働条件の改善に取り組んでいる。日本の労組のように一企業に閉じた構造では、労働者全体の利益を代表することは難しい。
日本の労組は、昔から経営陣との馴れ合い、形骸化が指摘されてきたが、今ではさらに皮肉なことに、経営者側と「グル(これはもともと左翼用語だった)」になって労働者から搾取するための組織になっている。
労働法制の逆機能
また、労働者を保護する目的で行われた法改正が、必ずしも非正規雇用者の地位向上にはつながっていない点も著者は指摘する。
2004年の労働者派遣法改正では、同一業務で派遣社員を3年以上受け入れる場合、企業に対して直接雇用を申し入れることが義務付けられた。しかし企業側はこの規制を回避するため、派遣契約を3年未満で打ち切るようになり、かえって非正規雇用者の雇用は不安定化した。
その結果、派遣労働者は職を失い、正社員には業務負担が集中するようになっている。さらに、人件費などの固定費削減を目的とした外注化が拡大し、実質的には派遣労働でありながら形式上は業務委託とする「偽装委託」といった脱法的な手法も広がっている。
こうした事態を招いている根本的な原因は、正社員の解雇規制を見直さないまま、派遣労働だけを規制しようとしている点にある。本来であれば、正社員の賃金引き下げや解雇条件の緩和を進めることで、賃金や労働負担を非正規労働者にも適切に分散させ、正規・非正規の区分そのものを縮小していくべきであった。ところが、派遣労働の規制のみが先行してしまい、結果として派遣労働者は仕事を失い、正社員には過重な負担がかかるという、誰にとっても望ましくない状況を生んでいる。
真の雇用の平等を実現するためには、「同一労働同一賃金」の原則を徹底し、年功序列や終身雇用といった従来の慣行から脱却して、職務給への移行を進めることが不可欠である。
問題の本質 ― 正社員の既得権益化
本書の後半では、これまで述べられてきた労働問題の背景として、日本企業における「正社員の既得権益化」が根本的な原因であることが指摘されている。
高度経済成長が終わった後も、日本の多くの企業は終身雇用と年功序列を維持し続けた。その結果、中高年の正社員が既得権益層となり、労働市場の柔軟性を損なっている。この硬直化した雇用構造が、非正規雇用の拡大や労働格差の固定化といった深刻な問題を引き起こしている。
著者は、この構造的な問題を解決するためには、労働市場の流動化が不可欠であると主張する。具体的には、「同一労働同一賃金」の原則を徹底し、年齢や性別、雇用形態(正規/非正規)に依存しない「職務給」への転換が必要だと説いている。
しかし、現在の政策議論においては、この核心に触れた議論が乏しい。正社員の過剰な保護を見直さないまま、非正規雇用者の待遇改善だけを叫ぶ“リベラル”や“左派”の主張は、現実の労働環境や企業経営の実情と乖離していることが多い。企業にとって、成長が保証されない状況下での人件費増大は耐えがたく、規制強化に対しては脱法的な対応を招くだけである。
実際、企業はより安価な労働力を求めて海外への外注を増やしており、それに伴う技術の流出や産業の空洞化が進んでいる。さらに経団連は、正規・非正規という雇用区分を温存したまま、安価な海外労働者の受け入れを求めている。この流れの中で、非正規雇用者の就労機会はさらに狭まり、たとえ景気が上向いても失業率は高止まりし、格差はより深刻化していくだろう。
このように、現状の“労働者保護”を掲げた政策の多くは、むしろ非正規雇用者にとって不利益をもたらし、結果的には日本経済全体の停滞にもつながっている。
日常に「働く」という観点を取り戻す
本書は深刻な問題を扱っているにもかかわらず、辛気臭さや糞まじめさ(左翼にありがちな、と言っては失礼かな)を感じさせない。語り口がやさしく、非常に分かりやすい。
働くということは、食べる寝るといったことと同じくらいに日常の行為だ。あまり深刻に考えすぎても体が持たないだろう。少し肩の力を抜いたくらいで長期的に取り組まなければならない。そして、少しずつ現状を変えられるようにそれぞれ出来る範囲で努力していくしかない。
著者は日本の労働問題、雇用問題、さらには格差問題にまで広い視野で考察している。これらの問題に関心ある人は、前作『若者はなぜ3年で辞めるのか』と合わせて、ぜひ読んでおくべき本。
城繁幸『7割は課長にさえなれません – 終身雇用の幻想』(2010)
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