安倍政権を背後で支える組織? – 菅野完『日本会議の研究』(2016)

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菅野完『日本会議の研究』(2016)

 安倍首相をはじめとした保守系の政治家に大きな影響力を持つと言われる「日本会議」。
 2014年に発足した第三次安倍内閣では、全閣僚19人中、16人までもが日本会議に所属している。

 しかしながら、その実態がほとんど謎に包まれていた。本書では、この「日本会議」の成り立ちや人脈、その活動内容や思想を詳細に調査している。
 出版直後から話題になっていた本だが、遅まきながら読んでみた。

日本会議の源流

 日本会議の政治活動は、予想以上に古く、1977年(昭和52年)頃から始まる元号法制定化運動にまでさかのぼる。
 1947年、GHQの占領下で日本国憲法の制定に伴って、皇室典範の改正が行われ、元号に法的根拠が失われていた。元号法は1979年に国会で制定されるが、この制定に大きな影響力を持ったのが、「日本を守る会」という組織で、これがのちの「日本会議」という政治団体へと発展していく。

 この「日本を守る会」は、右派系の宗教団体「生長の家」から分派した人々が始めた組織で、70年安保闘争、全共闘運動で左翼学生たちに対抗した学生信徒たちが中心になっている。いわば生長の家原理主義というような考えを持った人たちの集まりだ。

 彼らの思想をざっとまとめてみると。。。
・日本の国柄にふさわしい憲法を日本人自らの手で制定すること
・美しい伝統に基づく国柄を守ること
・伝統的な家族観を守り、行き過ぎた権利の主張を抑えること
・国家の名誉と安全を担うことのできる人材を育成、教育すること
・軍隊を正式に認め、国防力を高めること
 こんな感じだ。

 このような考え方を見て、ずいぶん前に読んだ安倍首相の著書『美しい国へ』を思い出してしまった。あの本の内容とそっくりそのままだ。

 このような考えは、具体的な政治課題としては、以下のような形で表れている。
・憲法改正
・夫婦別姓論反対
・自衛隊の軍隊としての昇格
・非常事態法の制定

 これまた現在の安倍政権が進めていることとそっくりそのままだ。

 元を辿れば、70年代の全共闘運動に対抗していた学生運動とその支えとなった宗教活動が、40年以上たった今、現政権に大きな影響力を発揮しているのだ。

草の根運動

 このような彼らの影響力は、一体どこから生まれてくるのか?
 著者の調査によれば、それは、40年以上もの間、弛みなく続けられてきた「草の根」運動だという。

 日本会議は、政策目標ごとにさまざまな関連組織、下部組織、地方支部を形成している。そしてそれら「日本会議系」組織は、全国で署名活動、勉強会、出版活動などの草の根運動を展開している。

 そして、彼らが影響力を持つ上で最も重要な活動が、地方議会への働きかけだ。
 日本会議系の各組織は、地方議会に頻繁に請願書を提出している。提出された請願書は、請願内容に沿って議会の各委員会に付託され審議される。そして、委員会では、議員に対して請願者による請願趣旨の説明が行われる。これは委員会の議事録に記録として残される。
 さらに、選挙の度ごとに、全候補者に対して思想、信条を問うかのような大規模なアンケートを実施している。
 このような地道な地方議会への働きかけを続けて、国会に法制定を求める意見書を地方議会を通じて提出していく。
 こんなことを40年間も全国で展開しているのだ。

 この間、左翼運動は下火になり、労働組合をはじめとした左翼組織は、高齢化とともに組織としての活動力を失っていった。国民の政治的関心も薄れていく一方で、極端に低い投票率(特に地方選挙)が続き、国民の大多数が浮動層になっていった。
 日本会議が国政に対して強い影響力を持っているというよりは、まわりの政治勢力が衰退した、という方が適切なのだ。国民が政治に無関心な間に、日本会議を中心とした一群の勢力は、倦むことなく政治的活動を続け、気が付けば政権内部へと奥深く侵入していった。

一部の勢力が歪める民主主義

 日本会議の思想や政策目標は、現在の内閣で大きな支持を集めるようになっている。さらには、日本会議系の人脈が、政府や官僚を通じてさまざまな利権に食い込んできていて、不透明な資金の流れまで生まれている。
 それを象徴するのが、2017年頃から問題となり始めた森友学園・加計学園の認可を巡る疑惑だろう。
 本書を読んでいたら、森友学園問題の中心人物、籠池の名前に言及しているのには、もうなんだか笑ってしまった。2016年刊行の本書ですでに、不適切な資金の流れと利権構造の一端が指摘されていたのだ。その後の森友・加計学園を巡る不祥事を見ると、日本会議を中心とする一群の人々、つまりは、安倍の「お友達」らによって、政治が私物化されている実態が非常によく分かる。

 読んでいて、さらに笑ってしまった点がもう一つ。なんと黒塗りが出てきたのだ!いったいいつの昭和だ。
 本書の出版直後に、日本会議側から名誉棄損を訴える訴訟が起こされただろうことは、容易に想像がつくが、まさか出版差し止め命令が出ていたのには驚いた。戦後の歴史の中で、出版差し止め命令など異例中の異例だ。しかも学術的、報道的価値のある書物に対してとなれば、なおさらだ。
 私が読んだのは、2017年3月発行の第十刷修正版だったので、裁判の結果を受けて、黒塗り修正したものだったようだ。まさかこの時代に「検閲本」を見ることになるとは思わなかった。東京地裁は、民主主義が何たるかをまともに学んだことがあるのだろうか?

 ヒトラーは民主的な手続きに則って独裁体制を築いていった。日本会議は国民の政治的無関心を背景に、着実に政治的足場を築いていっている。40年間まったくブレることのない驚異的な信念と継続力に支えられた「ほんの一群の人々」の草の根運動が、国政を大きく左右するところまで進展していった。
 本書でも指摘されているように、彼らの国民への政治的、思想的影響力が大きかったわけではない。むしろそれ以外の団体が政治的影響力を失っていったのだ。本書が出るまでは、日本会議という政治団体の存在すらよく知られていなかった。大多数の国民からすれば、気が付けばある特定の政治団体が、政権の意向に深く関与していたというような状態だ。

 独裁政権は、国民が政治に無関心でいる間に「民主的な」手段に則って、政権を奪取する。国民の大多数が政治に無関心であるということは、こうした特定の思想、信条を持った政治団体にとっては、非常に好都合なのだ。政権を監視するのは、国民の義務だ。そうした国民の基本的な役割を改めて認識させられる。
 本書は、民主主義とは何かということを真剣に考えたことのある人ならば、右左に関係なく、一度は読んでおくべきだろう。必読。