神谷秀樹『強欲資本主義 ウォール街の自爆』(2008)
実業を超えて肥大化する金融部門
2008年刊行。
リーマンショック後の金融危機を受けて出版された一冊。
アメリカやイギリスなどでは、1970年代末から1980年代にかけて(レーガン政権・サッチャー政権下)金融自由化が進行した。規制の緩和により国際金融市場への資金流入が進み、90年代には投資ファンドが急成長した。その結果、ヘッジファンドやPEファンドによる投資や企業買収が活発化した。
2000年代以降は、一部のファンドによる敵対的買収や、Pump and DumpやGreenmailといった不正な手法が目立つようになる。金融自由化による、企業の経済活動への悪影響が現れるようになった。
日本では、ホリエモンや村上ファンドによる敵対的買収が話題となった。
投資ファンドの主な目的は、投資先企業の価値を引き上げた上で売却し、資本利益を得ることだ。したがって、当該企業の事業の持続的な発展や長期的な経営の安定性は、必ずしもファンドにとっての関心の中心ではないことが多い。ファンドの関心はむしろ、短期的に企業価値を引き上げる手段、特に決算期における財務諸表の見栄えを改善する施策に向けられている。
その結果、研究開発や新製品の投入、市場開拓、顧客基盤の育成といった中長期的な視野に立脚した投資は、コスト削減の名のもとに抑制される傾向にある。長期的な企業価値の創出よりも、短期的な利益創出に寄与する施策が優先され、不採算部門や収益性の低い資産は積極的に売却される。これに加え、人員の削減も、即効性のある財務指標の改善策として頻繁に採用される。
このような経営戦略を企業に対して要求するのが、いわゆる「物言う株主(アクティビスト・シェアホルダー)」たちだ。彼らは経営効率の向上や資本の最適配分を名目に、経営方針に積極的に介入する。
しかし、こうした短期的成果を最優先とする経営手法は、結果として企業の持続可能な競争力を損ない、中長期的には企業価値を毀損するリスクを孕んでいる。企業が経営的に行き詰まる頃には、当初の投資家はすでに売却益を得て市場から撤退しており、企業のその後に対する責任を問われることはない。このようにして、実体経済が空洞化する一方で、金融資本のみが肥大化するという現象が進行する。
金融の自由化を推進するにあたっては、経済の健全性と持続性を担保する観点から、一定の規制や歯止めを設ける必要がある。
金融危機の引き金となったアメリカの金融自由化
米国においては、金融の自由化が進展する中で、従来は州内での営業に制限されていた商業銀行が、全米規模での営業活動を展開できるようになった。さらに、1999年のグラス・スティーガル法(Glass-Steagall Act)の撤廃により、商業銀行と保険業との業務提携や統合が可能となり、金融業界における垣根は大きく取り払われた。
一方、投資銀行においても、自由化の流れを受けて業界再編が進展した。これらの機関は預金を取り扱う金融機関ではないため、バーゼル規制(BIS規制)の対象外となり、自己資本比率に対する規制が緩やかだった。そのため、自己資本の20〜30倍もの資金調達が可能だった。こうした状況下で投資銀行は、株式を公開して外部の資本を受け入れ、バランスシートを巨大化させていった。
加えて、投資銀行は従来のように企業の財務戦略やM&Aに関する助言を中心とした「アドバイザリー業務」にとどまらず、自らが出資者・投資家として直接リスクを取る「自己勘定取引」や「自己投資」へと重点を移していった。このようなビジネスモデルの変化により、ゴールドマン・サックスやモルガン・スタンレーといった大手投資銀行においては、顧客への助言業務による収益は全体のわずか1割程度にとどまるに至っている。
このように、投資部門の肥大化と収益至上主義の浸透により、かつてのように企業の成長を中長期的視点で支援する投資銀行家の存在は次第に希薄となった。その結果として、2008年の世界金融危機に象徴されるような金融システムの不安定化が顕在化したのである。
著者は、本来金融とは実業を支える補助的機能として位置付けられるべきであると主張する。実体経済への貢献という金融の本質を見失い、自己利益の追求に傾斜したウォール街の投資家たちに対する批判と憤りが、本書全体を通じて強く表現されている。
金融のあるべき姿とは
本書は、現場の第一線で活躍している人物による評論的「随筆」といった感じで、問題を体系的に論じるというような体裁ではない。そのため、話題が飛んだり頻繁に挿話が入ったりとで、若干の読みづらさはある。金融関係の用語に関してもほとんど説明がないまま話をどんどん進めていくので、この分野に疎い人はついて行くのが大変だ(特に私)。
しかし、現場で見てきた人の話にはやはり説得力がある。金融の無際限な自由化が実体経済に悪影響を及ぼすという、著者の主張は、明確でわかりやすい。また、金融の現場で起きている生々しい騙し合いの話を知ることができて非常に興味深かった。
神谷秀樹『強欲資本主義 ウォール街の自爆』(2008)
神谷秀樹『ゴールドマン・サックス研究』(2010)
研究?
前作『強欲資本主義 ウォール街の自爆』の続編といった内容で、ゴールドマン・サックスに関する研究書ではまったくない。なぜこのような題にしたのだろう?
著者はかつてゴールドマン・サックスに勤めた投資銀行家。
部分部分でゴールドマン・サックス時代の回想、しかもかなりノスタルジックな思い出話が出てくる。しかし、全体としてゴールドマン・サックスに関する記述は多くはない。
内容は主に前作と同じく、金融業界の投機的な取引に対する批判だ。90年代以降の肥大化した金融部門が、実体経済を無視して投機的な取引のみに熱中していく姿を、きわめて批判的に描いている。
変質する金融
1990年代半ば以降、ゴールドマン・サックスをはじめとするウォール街の投資銀行は、金融取引のIT化と金融工学の発達により、その姿を大きく変質させていった。さらに、金融の自由化がその変化に拍車をかけた。
その変貌ぶりは著しく、先端企業の育成や新たな産業分野の創出、政府支援など、かつての投資銀行としての本来の業務から大きく逸脱し、自らが投資家として投機的な取引に参入するようになった。違法と判断されない限り、どのような手段でも講じる姿勢が見られるようになった。
企業や金融機関、さらには国家までもが破綻の危機に陥ると、投資家から空売りの攻勢を受け、投機の格好の対象とされてしまう。証券、債券、通貨など、あらゆる資産が空売りの対象となり得る。そして一度空売りの標的とされれば、実際に破綻が現実のものとなる場合もある。市場や実体経済が混乱に陥るなかで、自らだけが利益を上げるという構図がそこにある。
しかし、オバマ政権の成立以降、金融に対する規制が本格的に議論されるようになった。バブルの元凶とされた証券化商品に対しては、それを組成した証券会社が一部を満期まで保有することを義務付ける規制が検討されはじめた。企業の破綻に対する保証として使われるCDS(クレジット・デフォルト・スワップ)についても、規制を強化しようという議論が進みつつある。
これからの金融
経済が持続的に成長していくためには、新しい産業の創出が不可欠である。その実現のためには、短期的な利益を追求するだけでなく、長期的な視点から産業や企業を育成するという、投資家本来のあるべき姿がいま改めて求められている。
本書では、金融機関によるあこぎな利益の上げ方や、その巧妙な手口がいくつも紹介されており、金融の現場の裏側を垣間見るという点で非常に興味深い内容となっている。ゴールドマン・サックスについて詳しく知りたいという読者にとっては、やや期待外れな構成かもしれないが、暴走する金融業界に対する著者の憂慮や怒りには強い説得力があり、その姿勢に共感できる読者にとっては、一読の価値があるだろう。
神谷秀樹『ゴールドマン・サックス研究』(2010)
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