ウォール街の悪夢 – 暴走する投機的金融

読書案内

神谷秀樹『強欲資本主義 ウォール街の自爆』(2008)

実業を超えて肥大化する金融部門

 2008年刊行。リーマンショックを受けて出版された本。

 2007年前後から投資銀行家によるPEファンド(Private Equity Fund)が、世界の金余りを背景として巨大化した。
 このPEファンドとは、Wikipediaの解説によると。。。

 複数の機関投資家や個人投資家から集めた資金を事業会社や金融機関に投資し、同時にその企業の経営に深く関与して「企業価値を高めた後に売却」することで高いIRR(内部収益率)を獲得することを目的とした投資ファンドである。

プライベート・エクイティ・ファンド – Wikipedia

 。。。だそうな。

 日本では、村上ファンドやホリエモンがやって有名になった。PEファンドの投資家は、決算期の財務諸表を見かけ上改善させて企業を高値で売ることでその売却益を狙う。そのため、買収した企業の事業そのものには、もともと関心がないがないことが多い。

 新しい商品や技術を開発するため、あるいは、市場を開発したり顧客を育てるための長期的な視野に立つ投資は、極力圧縮される。事業育成のための長期的な投資より、短期的な利益を見込める投資に集中する。今現在利益を上げていない不採算部門や資産を売却したりして、バランスシートの改善を図る。人員削減も財務諸表を改善する重要な要因だ。
 こうした経営を要求するのが、いわゆる「物言う株主」だ。

 しかし、一時的な市場での企業価値を上げることだけを最優先した経営は、企業価値を毀損して、長期的には競争力の低下を招く。近い将来、行き詰っていく可能背は高いだろう。しかし、その時には投資家は売り抜けいていて、企業のその後などにはまるで責任を持たない。こうして実業を食いつぶしていく形で金融だけが肥大化していく。

 ものづくり、実業を忘れた経済は、結局は国全体の経済を疲弊させていく。しかし、国の経済が破綻したときには、グローバル化した金融部門は、利益を吸い上げた挙句に国自体から逃れて、別の国に移っているのかもしれない。金融の自由化には、一定の歯止めが必要だ。

金融危機の引き金となったアメリカの金融自由化

 アメリカでは、金融自由化により州を超えて営業できなかった商業銀行がアメリカ全土で営業できるようになり、さらにグラス・スティーガル法の撤廃で保険業との相乗りも出来るようになった。
 投資銀行も金融の自由化によって合従連衡が進む。彼らは預金金融機関でないためBIS規制を受けず、自己資本の2、30倍もの借り入れが出来る。こうした中で投資銀行は、株式を公開して外部の資本を受け入れ、バランスシートを巨大化させていった。業務内容も人脈や専門知識によって顧客に助言を与える業務から、自ら資本家となって投資業務を中心に行うようになった。今やゴールドマン・サックスやモルガン・スタンレーの顧客への助言業務による売り上げは全体の一割程度になっている。

 こうして投資部門が肥大化し、企業を育てようとする投資銀行家が減った挙句の果てに金融危機が起きた。金融はあくまで実業を助けるための脇役に徹しなくてはならない、と著者は言う。金融の本来のあり方を忘れたウォール街の投資家たちに対する憤りが本書を通じてよく伝わってくる。

金融のあるべき姿とは

 本書は、現場の第一線で活躍している人物による評論的「随筆」といった感じで、問題を体系的に論じるというような体裁ではない。そのため、話題が飛んだり頻繁に挿話が入ったりとで、若干の読みづらさはある。金融関係の用語に関してもほとんど説明がないまま話をどんどん進めていくので、この分野に疎い人はついて行くのが大変だ(特に私)。
 しかし、現場で見てきた人の話にはやはり説得力がある。金融の無際限な自由化が実体経済に悪影響を及ぼすという、著者の主張は、明確でわかりやすい。また、金融の現場で起きている生々しい騙し合いの話を知ることができて非常に興味深かった。

神谷秀樹『ゴールドマン・サックス研究』(2010)

研究?

 前作『強欲資本主義 ウォール街の自爆』の続編といった内容で、ゴールドマン・サックスに関する研究書ではまったくない。なぜこのような題にしたのだろう?

 著者はかつてゴールドマン・サックスに勤めた投資銀行家。
 部分部分でゴールドマン・サックス時代の回想、しかもかなりノスタルジックな思い出話が出てくる。しかし、全体的にゴールドマンサックスに関する記述は少ない。
 内容は主に前作と同じく、金融業界の投機的な取引に対する批判だ。90年代以降の肥大化した金融部門が、実体経済を無視して投機的な取引のみに熱中していく姿を、きわめて批判的に描いている。

変質する金融

 90年代半ば以降、ゴールドマン・サックスをはじめとしたウォール街の投資銀行家は、金融取引のIT化と金融工学の発達によって、その姿を大きく変質させていく。そして、金融の自由化がそれに拍車をかけることになった。
 その変貌振りはすさまじく、先端企業の育成、新しい産業分野の創造、政府の支援など投資銀行としての仕事からは大きく逸脱し、自らが投資家として投機的な取引に進出し、違法と判断されない限りはどのような手段でも講じるようになった。

 企業や金融機関、さらには国家さえもが、破綻の危機に見舞われると投資家から空売りの攻勢をかけられて投機の絶好の機会とされてしまう。証券、債券、通貨、なんでも空売りの対象になりえる。そして、空売りの攻勢をかけられると実際に破綻が現実のものになってしまう。市場と実体経済を混乱させて、自分だけが儲けている姿がそこにある。

 だが、オバマ政権が成立してからは、金融に対する規制も本格的に議論されるようになった。バブルの元凶となった証券化商品について、製作した証券会社がその一部を満期まで持ち続けるという規制も検討され始めた。企業の破産に対して保証するCDSを規制しようという議論も始まっている。

日本で起こりうる金融危機とは?

 日本において金融危機を引き起こす要因として最も可能性の高いものは、国債の暴落だろう。政府支出によって不況下の需給ギャップを埋めようとし続けると、本来淘汰される産業や企業がいつまでも残り、経済は成長しないまま、借金だけが膨らむという結果を招きかねない。

 国家が財政破綻の危機に見舞われた時、政府が取れる手段は基本的に二つしかない。借金を棒引きにすることと金融を緩和してインフレを起こすことだ。
 債務を帳消しにすると新規借り入れが出来なくなるので、行政サービスと生活水準を落とさなくてはならなくなる。しかし、実体経済に対する影響は少なく、回復も早いといわれる。
 だが、一方のインフレによって債務を目減りさせると、資産の価値が下がり、主に年金受給者の生活に深刻な打撃を与えることになる。

 財政破綻を逃れるためには、経済成長によって債務の対GDP比率を下げるしかない。そして、経済が成長するためには、新しい産業の創造が必要とされる。そのためにも産業や企業を育てる本来の投資家の姿が求められている。

 金融機関のあこぎな稼ぎ方がいろいろと紹介されていて興味深い。ゴールドマン・サックスについて知りたかった人にはまったく的外れな内容だが、暴走する金融機関に対する憂慮や怒りなど著者の姿勢に共感できる人は、読んでも損はないように思う。