読書案内
神野直彦『人間回復の経済学』(2002)
市場経済に従属する人間
1982年から87年の足掛け6年に亘った中曽根政権は、構造改革を主導し、規制緩和、民営化、行政改革を推し進めた。しかし、その結果の90年代は、「失われた10年」と呼ばれ、長期の経済停滞に陥った。
2001年4月に誕生した小泉政権は、この経済停滞をさらなる規制緩和と民営化によって、打開しようとした。市場原理をより一層推し進めることで、経済の活性化を図った。
が。。。その結果は、どうなったか?
「失われた10年」は、「失われた20年」、さらには「失われた30年」になろうとしている。90年以降の日本の経済成長率は、だいたい2%から-1%の間をうろうろしている。
この長期停滞の原因は、複合的な要因によるので、市場原理の失敗だけをその要因とみるのは難しい。金融政策が不十分だった、公共投資が足りなかった、少子高齢化などの人口動態が原因だ、等々、人によって見方はそれぞれだ。
だが、少なくとも、90年代以降、さまざまな分野における規制緩和によって、経済の停滞を市場原理で解決しようとした結果、過当競争が生じ、多くの企業にコスト削減への大きな圧力がかかるようになったことは確かだ。
で。日本の企業はこうした事態にどう対応したのか?
それは、固定費の削減、特に固定費の中でも負担の重い人件費を引き下げる方向へと向かった。人件費を下げる方法は、いたって単純である。
・生産の拠点を労働賃金の安い国外へ移す。
・業務を外部へ委託することで、自社の正規雇用を減らす。
2009年を境に日本の労働分配率は下落の一途を辿っている。アウトソーシングや派遣など、「持たない経営」がもてはやされ、規制緩和、国際競争といった名の下で、こうした人件費の圧縮が行われていった。
日本の企業の経営努力は、主にこうした方面のみに向かってしまった。というか、日本の経営者には、それしか対策が思いつかなかったのだろう。
当然、労働者の賃金は下降し、長時間労働など労働環境も悪化した。非正規雇用が増加して格差社会が到来した。可処分所得が低下して、国内消費が落ち込んだ。これで経済が回復するわけがない。
全世界へと開かれた市場経済の中で、過当競争に巻き込まれて、企業は苦しい立場に置かれている。だが、その負担は、ほとんどが現場の労働者へと転嫁されている。労働環境は悪化する一方であるにもかかわらず、賃金は抑制されたままだ。この間、人々の生活は、ますます市場原理に従属するものへと変わっていった。
本書は、こうした新自由主義の隆盛で、市場経済に従属するようになってしまった人間の生き方というものを根本から問い直すことから始まっている。経済のための人間ではなく、人間のための経済を模索する試みだ。
著者は、財政学の専門家で、もともと主流の古典派経済学とは、異なる流れを汲んでいる。財政学は、1870年代にドイツで生まれた学問で、フリードリッヒ・リストの国民経済という概念を基礎にしている。この学問的立場は、国際市場に対して、国民経済を保護する国家の役割を極めて重視しているのが特徴だ。
同じ頃、フランスとドイツを中心に、経済活動を社会という総体の中に位置づけて捉えようとする社会経済学も登場している。
この二つの学問は、古典派経済学の「合理的経済人」という仮説には批判的だ。経済的な合理的計算のみに基づいた人間関係ではなく、全人格的な人間的結びつきを社会の基礎として捉えている。
こうした観点から、新しい社会の在り方が見えてくるはずだ。それを著者は、人間回復の経済学と呼んでいる。
ケインズ型福祉国家の行き詰まり
80年代を通じて、新自由主義が影響力を持ったのは、ケインズ主義経済に基づく福祉国家の行き詰まりが背景としてある。
ケインズ型の福祉国家が機能した時代とは、50年代から70年代までで、この時代は、熾烈な国際競争はまだなく、むしろ比較優位説に基づいた国際分業の方が進んでいた。
戦後復興の中で台頭した中流階級の旺盛な需要に支えられて、大量生産大量消費が可能だった時代だ。需要は画一的で、テイラー主義に基づいて効率的に生産される大量の画一的な商品が、そのまま消費されていた。
しかし、市場が成熟して、消費者の需要が多様化すると、大量生産に支えられた画一的な商品は、売れなくなった。さらに、韓国、東南アジア諸国、中国、ブラジル等々、新たな国々が工業国として台頭してくると、安価でかつ高品質の工業生産品が国際市場に流入してきて、熾烈な国際競争が起こるようになった。
先進国では、市場が飽和して、慢性的な需要不足が起きてしまった。さらに、産業や雇用が海外に流れて、失業率も高止まりした。
この間、需要を一遍に支える役目を負ったのは政府だ。国債を大量発行し、財政赤字を続けながら、雇用と消費を支えたと言える。だが、そこに高齢化社会が重なり、社会福祉が財政のさらなる負担となっていった。
当然だが、国家財政にも限界がある。こうして、先進国の間でケインズ型の福祉国家の行き詰まりがはっきりし始めたのが、80年代初頭だ。
こうした状況を打開するために、民間の市場競争力を強化する必要があった。そこで、各国で採用されていったのが新自由主義に基づいた政策だったというわけだ。
知識集約型産業を基軸とした知識社会へ
著者は、80年代以降、各国で採られた新自由主義は、誤った政策だったとみている。しかし、だからといって、ケインズ的な国家による需要の下支えが正しいとも考えていない。
著者が提言しているのは、知識社会の創設だ。知識集約型の産業を起こして、国際競争力を高めることだ。
北欧諸国、とくにスウェーデンの事例が本書では紹介されている。
安価で高品質な商品が、新興の工業国から大量に流れてきている時代には、単純な製品ではもう国際競争力でかなわない。また、市場が成熟して需要が多様化しているので、商品を作れば売れる、という時代でもない。
国際競争が熾烈化する中で、常に勝ち残っていくためには、新しい発想に基づいた革新的な商品やサービスを作り出していかなくてはならない。要するに、革新性Innovationが、常に求められているのだ。
こうした革新性は、知識集約型の産業から生まれてきている。しかし、こうした知識集約型の産業というのは、企業が始めようと思って始められるようなものではない。知性は勝手には、生まれてこない。
そこで、著者は、こうした知性を育むための社会関係資本を国民の間に作っていくことが重要だという。そして、政府は、社会関係資本を生み出すような自発的な民間の活動を補助していくことに努めるべきと提言する。
本書の後半では、スウェーデンの取り組みを取り上げながら、知識社会というのがどういったものかを紹介している。確かに、スウェーデンは、こうした試みにある程度の成功を収めているように見える。
では、一方の日本はどうだろうか。
2000年代以降、日本で広まった革新的なサービスや商品は、そのほとんどすべてが海外、特にアメリカから来たものだ。Windows、Smart Phone、Amazon、iTune、Google、AirB&B。。。数えだしたらきりがない。
その間、日本の企業がやっていたこととは、ひたすら労働集約型の事業ばかりで、労働者の極端な負担に基づくものばかりだ。2000年代最も日本で伸びた産業とは、人材派遣事業とフランチャイズで、どちらも労働集約型で大量の低賃金労働に支えられた業界だ。
コンビニや牛丼屋が、こぞって上場し、セブンイレブンなんかが、東証一部上場の一流企業ヅラしているのだから、いかに日本が「反知性型」の社会であるかが分かるだろう。
国際競争に対抗するために日本の「一流」とか言われる大企業が採った経営戦略とは、内部留保をため込むこと、人材も含めて事業そのものを外部に委託すること、そんなことばかりだ。結果として、労働効率がひたすら悪いまま、中間搾取する層だけが、ひたすら肥大化するという笑うに笑えない状況が起きている。にもかかわらず、経団連をはじめ日本の企業は、さらなる低賃金労働者を求めて、移民の開放を求めているありさまだ。
知性のかけらもない。Innovationのイの字もない。(そのくせ、イノベーションというカタカナ語はやたらと使いたがる。)
2000年代以降広まった新しいサービスで、いま自分が利用しているもので、日本が発祥のものがどれほどあるか、考えてみるといいと思う。なーんにも思いつかない。
日本で知識社会の創設というのは、本当に可能なのだろうか。すくなくとも現在の状況から考えると、絶望的なように思える。アメリカやヨーロッパ諸国に比べて、日本では、家庭や地域社会が「共同体(Community)」としての機能が弱く、社会関係資本が貧弱な傾向にある。
まずは、こうしたところから立て直す方法を考えていかなくては、知識社会の基盤は作れないだろう。社会関係資本は、知識社会の基礎である。北欧の事例は、それを物語っている。知識集約型の産業を作るために、優秀な人材を海外から集めてくればよいと短絡的に考える人もいるだろうが、そもそも社会関係資本が希薄で何の魅力もない地域に優秀な人材が移住してくるはずがないのだ。いまや単純労働者さえ、日本を忌避するようになっている。
一見遠回りなようだが、社会関係資本が充実し、魅力的で快適な地域社会を作ることが、知識社会の創設には欠かせない。道は遠いが、今の日本に残された道は、こうした点から、地道に始めていくしかないのだと思う。
本書は、今後の日本の産業の在り方を考える上で、非常に重要な本だと思う。必読。