実は可塑性を持つ脳 – 生田哲『よみがえる脳』(2010)

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生田哲『よみがえる脳』(2010)

カナリアの歌から

 カナリアは、毎年春になると新しい歌を歌うそうだ。他のほとんどの鳥は、その鳴き方を一生を通じて変化させない。しかし、カナリアだけは、毎年春に新たに歌を覚え直すらしい。
 カナリアの歌う歌は、毎年変わり、以前の年と同じ歌は歌わない。他の鳥には見られないこの不思議な特徴が、世界で最も愛される鳴鳥の一種として人々を魅了してきた理由のひとつなのだろう。鳴き声の美しさだけでなく、曲の豊かさもカナリアの魅力になっている。

 このカナリアのさえずりに着目したひとりの脳科学者がいる。フェルナンド・ノッテボームという米ロックフェラー大学の神経生理学者だ。
 脳の機能及び形態は、男性ホルモン、女性ホルモンの影響で変化することが分かっている。カナリアが歌を歌うのは雄だけで、雌は歌はない。カナリアの成鳥の雄は、男性ホルモンの一種、テストステロンの影響で歌を司る脳の部分が雌に比べ倍ほども肥大化している。しかも、それは春、新しい歌を覚えるときだけに限られた季節的な現象だという。冬の間、テストステロンも減少し、歌を司る脳の部位も縮小する。

 だとすると成鳥の雄のカナリアは、テストステロンによって神経細胞群を毎年新しく再生していることになる。その過程で、神経回路を再組織し、新しい歌を再習得している。ノッテボームは、1984年、カナリアにおけるこの神経新生に関する研究を発表した。

神経新生の発見を阻んだ記憶の問題

 当時は、神経細胞は分裂、増殖しないというのが通説であった。
 1928年に神経生物学の基礎を作り上げたスペインの神経解剖学者カハールが、人間のように高度に中枢神経系を発達させた動物の成体では、中枢神経系は一度損傷を受けると二度と回復しない、と結論付けて以来、神経細胞が分裂、増殖しないことは定説として受け入れられていた。この説は、その後70年間、学会を支配することになる。
 その間、魚類や鳥類において神経新生に関する報告がなかったわけではない。それでもこの定説を覆すほどの影響は持ち得なかった。それには一応理由がある。

 神経新生が高等動物においても生じている――この事実が認められるのを阻んだのは、記憶の問題であった。
 記憶は、分化した神経細胞が樹状突起を伸ばし、相互のつながりを形成する中で保持されると考えられている。もし神経細胞が分裂し、新たに神経回路を再組織すると考えた場合、以前の記憶を保持する回路も神経新生の過程で再組織化されてしまうため、記憶の一貫性が保持できなくなる。
 カナリアは、新しい歌を覚えた時、去年の歌は忘れている。しかし、人間のような高等動物は、記憶の一貫性を保持する能力がある。人間の高度の知的活動は、この能力を前提とし、記憶の一貫性のもとに行われている。それだけではなく、記憶の積み重ねが人格を形成する重要な要素である以上、人間の精神活動も記憶の一貫性に依存している。
 もし、人間のように高度に発達した脳において神経新生が起きているとすれば、それは知的、精神的な活動に深く影響を与えるはずだ。記憶に一貫性がなければ、少なくとも、高度な知的活動は望めない。新たな神経細胞を獲得し、神経回路を新たに再組織化する神経新生は、したがって、人間のような高等動物においては生じていない――それが、脳科学者の間における一般的な結論であった。

 人間における神経新生を証明するには、この記憶にかかわる問題を解明する必要があった。そして、この問題を解決したのが、カナダのワイスとレイノルズだ。
 1992年、二人はマウスの成体の中枢神経に神経幹細胞を発見する。この神経幹細胞は、神経細胞とグリア細胞に分化する前の未分化な細胞であり、これが成体の中枢神経にも多数存在することが明らかとなった。この神経幹細胞が分裂、増殖し、既存の神経回路のなかに包摂されていくことで、新たな神経組織を作りあげて行く。このようにして成体の中枢神経は、神経細胞の分裂とは異なる形で、つまり、残存する神経幹細胞の分裂、増殖という形で、神経新生を実現しているのである。
 そして、神経新生は、1998年、ピーター・エリクソンによって人間の成人の海馬においても起っていることが証明されたのだ。

常に変化し可塑性を持つ人間の脳

 人間の脳における神経新生と脳の可塑性は、現在では多くの科学者が事実として受け入れている。「二十歳を過ぎたら、後は脳細胞は徐々に減っていくだけ」という話を私が子供のころはよく聞いたが、こうした通念は徐々に覆されつつある。
 脳細胞が年とともに減少するのは事実らしいが、それは無作為に減少するのではなく、使われない神経細胞群から「リストラ」されていくらしい。神経新生も、知的刺激を受けずに、すなわち、シナプスによる刺激を受けて神経系を形成しなければ、既存の神経回路に組み込まれることもないまま終わるらしい。つまり、常に脳を刺激し、働かせておかなければ、神経新生も意味がないようだ。

 神経新生という現象は科学的にすでに証明されている事実だが、どうもおかしなことに、私には自分の脳内で神経新生が起きている実感は全くない。微塵もない。(一方で、脳細胞が減っている実感は常にある。)
 現在の脳科学は脳の新しい可能性を示している。あとは個人がそれをどう生かすことが出来るのかが、問題なのだろう。

 本書では、現代医学において脳の可塑性が証明されていく歴史がイラストともに非常に優しく紹介されている。かつては成人の脳は変化しないと一般的に考えられていた。しかし、現代の研究では、環境や個人の主体的な訓練によって絶えず変化していることが示されるようになった。
 学界の権威に挑戦する研究者の姿や派閥間の対立、嫉妬や衝突など生々しい学会の人間関係なども紹介されていて非常に興味深かった。