宮口幸治『ケーキの切れない非行少年たち』(2019)
境界知能という今まで見過ごされてきた問題
宮口幸治氏による『ケーキの切れない非行少年たち』は、少年院での臨床経験をもとに、非行に走った少年たちの背景にある“境界知能”という見えにくい問題を明らかにした衝撃的な一冊である。タイトルにある「ケーキが切れない」という言葉は、比喩ではなく、実際に「三等分して」と言われてもケーキを均等に切ることができない少年たちの認知機能の困難を表している。
本書の核心は、「非行=悪」という単純な構図に異議を唱える点にある。宮口氏は、暴力や窃盗といった行為の背後に、発達的なつまずきや家庭環境の困難、そして何よりもIQ70〜85程度の「境界知能」と呼ばれる“見えにくい障害”が存在していることを丁寧に描き出している。認知力の弱さにより状況判断ができず、他者の意図を読み取れず、適切な自己表現も困難——そうした子どもたちは、教育や福祉の支援制度から取り残され、「問題行動」に至ってしまう。本書は、そのような過程を説得力をもって描いている。
加害者だけでなく被害者にもみられる問題
しかし、読み進めるうちに浮かび上がってくるのは、境界知能に関するもう一つの重大な側面である。それは、この問題が非行にとどまらず、被害者の側にも広く存在している可能性があるという点だ。
本書では主に「加害者」に焦点が当てられているが、詐欺や悪徳商法の被害に遭いやすい人々や、搾取や虐待の被害を受けやすい人々の中にも、複雑な状況を理解する力や他者の意図を読み取る力が乏しい「境界知能的な特性」が関係している可能性は高い。
すなわち、社会の中で“弱い立場に置かれる人々”の多くに共通して見られるのが、この「気づかれにくい知的脆弱性」なのである。知的障害のように明確な診断が下されるわけではないが、社会の複雑なルールや暗黙の了解を十分に理解できない人々が、支援の対象とならないまま孤立し、結果的に加害者にも被害者にもなってしまうという現実がある。
本書の指摘は、見えやすい「悪」だけでなく、見えにくい「弱さ」こそが社会における問題や悲劇の根源であることを、私たちに気づかせてくれる。教育、福祉、司法といったあらゆる領域において、「気づかれない弱さ」を抱える人々への理解と支援の重要性が、今まさに問われている。
犯罪の背景には「悪意」だけでなく、「理解されなかった困難」があること。その事実に目を向けたとき、私たちが見ていた社会のあり方は大きく変わるに違いない。
宮口幸治『ケーキの切れない非行少年たち』(2019)
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