裏の基軸通貨としての円
アメリカは80年代以降、巨額な経常収支の赤字を抱えた債務大国となっているが、ドルは基軸通貨という地位にあるため、下落せず、常に過大評価状態にある。
一方の日本は、債権大国となっている。日本が海外に持っている債権の残高と海外からの債務の残高を差し引いた「対外純資産残高」の額は、2014年末で366兆円。20年以上にわたって世界一。政府や企業など国全体が保有する資産から負債を引いた国富を見ると、2012年末で約3000兆円を超えている。
こうした経済的裏付けによって、日本円の価値が保障されていて、日本円は暴落しないと思われている。そのため、円は安全資産として保有され、円を軸にして為替取引が行われるようになっている。日本円は実は、国際金融の現場で、間接的な基軸通貨としての役割を果たすようになっているのだ。
円キャリートレードとは?
日本円は国際金融の場で、相対的に安定した価値を保っている。
さらに、日本は1999年以降、断続的にゼロ金利政策を実行している。日銀は金融緩和を実施して、現在でも金利は実質ゼロとなっている。この長期間の低金利政策のため、日本での資金調達コストは極めて低くなっている。
そこで日本で資金を調達し(円を低金利で借り入れ)、それをより成長の期待の高い地域に投資する(高金利で運用する)ことで、利ザヤを稼ごうという動きが出てくる。これを円キャリートレードという。
円キャリートレードによって、円を軸にした為替取引が、2000代以降、活発化している。
円キャリートレードがもたらしたアジア通貨危機
円が裏の基軸通貨として取引されるようになって、円の影響力が国際的に増したことを端的に示す事例がある。それが、アジア通貨危機である。
1985年、プラザ合意によって円は10%以上切り上げられた。直後、円高によって国内産業の危機が叫ばれる一方で、円高を利用してアジア諸国へ進出を図ろうとした企業も増加した。
アジア地域の多くの国は、ドルと連動して通貨価値が動くドルペッグ制を採ってる。そのため国内の経済要因とは関係なく、ドル安に伴うアジア通貨の下落が起きた。多くの日本企業は、この強い円(アジア通貨安)を背景に海外進出を進めていった。
日本から大量の投資資金がアジア諸国に流入すると、それらの国の景気は過熱する。それは、インフレと対ドル固定レート切り下げの圧力となって、各国を苦しめることになった。そこで各国政府は金利を上げることで、金融引き締め政策を行った。
しかし、90年代初頭になると、日本ではバブル景気がはじけて、1995年にはついに円ドル相場が1ドル70円台になるなど円高不況が強まった。日本企業のアジア進出はここで一旦落ち着くことになる。
だが、90年末以降になると日本国外の金融機関によって円キャリートレードが活発化する。日本が不況対策として、金融緩和を行い、金利を下げたことで、日本での資金調達コストが大きく下がった。そこで金利の低い円を借りて、それをドルに換え、その資金をアジアに投資するという流れが加速していった。特にヘッジファンドによる円キャリートレードが活発化した。今度は、利ザヤを稼ぐことが目的だけの超短期資本が、大量にアジア諸国に流れ込んでいった。
一方、日本は1997年に北海道拓殖銀行や山一証券が破綻するなど、景気後退が深刻化した。その結果、多くの日本企業は、損失補填のためにアジアから日本資金の引き上げた。投機的性格の強いヘッジファンドがこの流れに便乗することで、急激な資本逃避が起きてしまった。
アジア通貨は叩き売られて、為替レートが暴落し、ドルペグ制を維持できなくなった。これがアジア各国に伝播して、アジア通貨危機が生じた。
アジア通貨危機では、ヘッジファンドによる投機的な短期資金が流れ込んだことが原因だとされている。過剰な資本が流入したことで対外債務が膨れ上がっていたアジア諸国はドルペグを維持できないと、ヘッジファンドに見透かされて、通貨の売りを浴びせを受けてしまった。確かに、ヘッジファンドの行動がアジア通貨危機の直接的原因だが、彼らは流れに便乗しただけとも言える。本来の原因である過剰資金の流入という状況は、円が作り出したものである。ヘッジファンドは状況を加速させただけだが、最初の根本的要因をつくり出したのは円だった。
円はこのように潤沢な対外資産を背景に、国際金融の場で非常な力を持つようになっている。そして、円が国際化した経済の成り行きに大きな影響を与えている。債権大国である日本の円は、ただの一通貨ではなく、国際通貨としての影響力を持っているのである。日本は、世界経済に対する責任を持っている。
参考
浜矩子『「通貨」はこれからどうなるのか』(2012)