解雇に対して不釣り合いな負担と労力
デフレ経済の長期化に伴い、「追い出し部屋」が社会問題として取り上げられるようになっている。
追い出し部屋とは、企業が不要と見なした従業員を自主退職に追い込むために設置する特定の部署を指す。
では、追い出し部屋の本質的な問題とは何だろうか。
それは、本来「整理解雇」が行われるべき状況において、法的要件があまりにも厳しいため、その抜け道として追い出し部屋が利用されているという点にある。しかも、この仕組みは、何の生産性も生まず、膨大で無駄な労力を費やすうえに、労働者に対して過度な心理的負担を強いる。つまり、目的と手段の不釣り合いが、深刻な問題を引き起こしているのである。
追い出す側の心理的負担
追い出し部屋に追いやられた人々が、精神的苦痛に対する慰謝料を求めて訴訟を起こすケースは数多く存在する。中には、うつ病を発症したり、精神的に深く傷つき、社会復帰が困難になってしまった例も少なくない。これは当該企業にとっての損失にとどまらず、労働力の喪失という意味で、社会全体にとっても大きな損失である。
しかし、あまり注目されていないのが、「追い出す側」に回った従業員の心理的負担である。追い出し業務を担当させられた者も、当然ながらごく普通の人間である。実際の現場で嫌がらせのような行為を実行するには、それなりの「覚悟」や精神的な負担を伴うはずであり、それを簡単にこなせる人はそう多くはないだろう。
それにもかかわらず、追い出し業務に従事した人が、会社の命令により非倫理的な業務に就かされ、精神的な苦痛を受けたとして会社を訴えたという事例は、ほとんど聞かれない。なぜなのか。本来であれば、こうした立場からの告発がもっとあってしかるべきではないだろうか。
この点は、もっと社会的に注目されるべき問題である。ここからは、この「追い出す側」に生じる心理的問題について、さらに深く掘り下げて考えていきたい。
あなたの隣のアイヒマン
経営悪化に伴う整理解雇は、資本主義諸国においては日常的に発生するものであり、決して異常なことではない。しかし、日本のシホンシュギは独自の進化を遂げ、世界的にも特異な性質を持つようになっている。
日本の現行労働基準法では、整理解雇の要件が非常に厳しく定められている。これは労働者の権利を保護するためであり、その意義は理解できる。しかし、現実は、法が想定したようにはなっていない。
企業が人員整理を迫られた際、日本の経営者の多くは「追い出し部屋」を設置し、従業員を自主退職に追い込もうとする。このような発想は、いったいどこから生まれるのか。どのような精神構造であれば、こうした非人道的な方策を当然のように実行できるのだろうか。他に選択肢は本当に存在しなかったのだろうか。
労働者を「人」ではなく「数字」として扱う経営者が多いのは事実だ。しかし、その点については一旦脇に置き、ここでは別の観点に焦点を当てたい。
——それは、実際に「追い出す側」としてその業務に携わる従業員たちの心理である。
彼らは、どのような気持ちでそのような非倫理的で非合理的な命令を受け入れ、従ったのだろうか。会社の命令であれば、いかに陰湿であっても、従うことができるのだろうか。同じ職場で共に働いた同僚に対し、報道にあるような冷酷な態度を本当に取ることができたのか。実際にどのような心境でその業務に従事し、それを遂行したのか、その証言がほとんど表に出てこないことにこそ、この問題の根深さがあるように思われる。
会社に勤めている人々は、決して悪人ではない。むしろ、ごく普通の人がほどんどだろう。特に日本の社会人にはまじめな人が多いだろう。しかし、そのような人々であっても、「会社の命令」であれば、非倫理的な行為にさえ従ってしまい、誰も声を上げなくなってしまう。個人としては良心を持ち、正常な判断力を備えているにもかかわらず、組織の一員となった瞬間に、その判断力が曖昧になり、倫理的基準が揺らいでしまう。「会社の立場として」「全体の利益のために」などと理由づけをした途端、正当な判断軸は失われていく。
このような心理状態を理解する上で、参考になる極めて重要な事例がある。それが、ナチス・ドイツにおいてホロコーストの執行を担った親衛隊将校アドルフ・アイヒマンのケースである。
アイヒマンは戦時中、ユダヤ人を強制収容所に輸送する任務に従事し、結果として多くの人々を死に追いやった。戦後、その責任を問われた際、彼は「私はただ命令に従っただけです」と無罪を主張した。
この事例が示しているのは、人間が組織という枠組みの中でいかに容易に権威に服従し、非合理で非倫理的な命令にも従ってしまうかという、普遍的な心理的傾向である。組織への従属意識が強まれば強まるほど、個人としての責任感は薄れ、自分の行動への倫理的自覚が失われていく。
「次は自分が標的になるかもしれない」という不安が蔓延し、同調圧力が支配する集団の中では、普通の人間でも非人道的な行為を比較的容易に実行してしまうことが、さまざまな心理学的実験によって示されている。(興味のある方は、ミルグラム実験やアイヒマン・テストでググってみるとよい。)
日本の企業における「追い出し部屋」は、こうした組織的服従の構造を如実に示すものである。経営者の非人道的な方針に唯々諾々と従い、「会社のため」という名目のもとで、同僚や部下を精神的に追い詰め、自殺や障害にまで追い込む——。そのような行為が、今の日本社会で「ごく普通に」行われていることを「追い出し部屋」は証明してしまった。
アイヒマンは、決して歴史の中だけに存在するわけではない。日本のアイヒマンたちは、私たちのすぐ隣に、そして中に、今も静かに存在しているのだ。
経営者にはサイコパス気質が多いという。だが、一般労働者も没主体的で倫理観も責任主体も曖昧な存在になっているのかもしれない。上はサイコパス、下はロボット。。。これが今の日本企業の実態なのだろうか。ミナサン、こんな国で働いててホント楽しいですか?
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