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年功序列という既得権益 – 城繁幸『若者はなぜ3年で辞めるのか?』

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城繁幸『若者はなぜ3年で辞めるのか? – 年功序列が奪う日本の未来』(2006)

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世界でも極めて特異な日本の企業体質

 厚生労働省の発表によれば、新卒で入社した社員が3年以内に離職する割合は、1992年度には23%だったが、2000年度には36.5%に増加している。90年代の間に1.5倍へと急増しているのだ。

 1990年代以降、「若者はなぜ3年で辞めるのか」という問いが、企業の人事部や中高年層の間で盛んに取り沙汰されるようになった。しかし、その議論の多くは、若者の「根性のなさ」や「忍耐力の欠如」といった精神論に偏重するものばかりだった。

 だが、こうした明らかな統計的変化を精神論で片付けるのは、極めて非論理的で無責任である。社会や経済の変化が若者の行動様式に影響を及ぼしていることは明らかであり、その背景を精査する必要がある。著者は、こうした若年層の離職傾向の背景に年功序列という制度的な問題があると指摘し、現在の労働・雇用環境をいかに歪めているかを論証している(統計の不十分さや大企業中心という対象の偏りに関する批判はあるようだが、問題の本質に切り込んだ意義は大きい)。

 今や年功序列や終身雇用を保証することを公言する企業はほとんど皆無だ。どの企業も個人の適性や能力を評価し、成果主義を導入することを標榜している。しかし、それがまったく実体を伴わず、若者だけに負担を押し付けているだけ、という事実に、新たに社会人となった若者たちは感付き始めているのだ。それが新入社員たちにとって、入社後の失望感につながっている。

 経済成長を当然のこととしていた時代が終わり、企業の成長には限界がはっきりしてきている。経営規模がこれ以上拡大しないとすれば、どの企業においても社員を横並びで昇進、昇級させることは不可能だ。そこで成果主義が導入されることになる。しかし、その実態は、個人の能力を正当に評価するものとはまったく異なった制度だ。

「日本型成果主義」の欺瞞 ― 年功序列の温存

 多くの企業では、年功序列を温存したまま、成果主義を中途半端に導入するにとどまっている。この折衷的な改革は、アメリカのような競争社会とは異なる「日本型成果主義」などと称されることもあるが、実態は中高年層の正社員が既得権益化していて、それを擁護するための言い逃れでしかないことが本書で指摘されている。

 成果主義の対象は主に若手社員に限定されており、すでに管理職に就いている中高年層の多くは、評価の枠外に置かれている。また、給与体系も、海外で一般的な職務給(職務内容に基づいて賃金を決定する制度)ではなく、依然として役職に応じた職能給が採用されている。そのため、たとえ成果主義を導入していても、同じ役職内での給与差はごく僅かにとどまり、若手社員にとっては競争を強いられる一方で、報酬の差はほとんど実感できないのが実情だ。

 さらに、担当業務の配分も、実力や適性による判断ではなく、人事部の都合や年功に基づいて一方的に決定されるケースが多い。こうした制度運用の下では、成果主義が本来の目的を果たすことは到底期待できない。

 職務給を前提としない成果主義は、制度として根本的に破綻している。本来であれば、年功序列のもとで管理職に昇進した世代も含めて、組織全体を対象とした包括的な制度改革が必要である。しかし現実には、年功序列と職能給を温存したまま、表面的に成果主義を導入するという、きわめて中途半端な制度運用にとどまっている。

 この結果、企業が「成果主義」を掲げていても、若手社員の多くは同世代間の競争にさらされる一方で、給与や役職は依然として職能給を基準に決定されるため、上の世代を上回ることはほとんどない。さらに、経済成長の鈍化や企業利益の停滞に伴う負担は、成果主義の名のもとで若者に転嫁されている。

 企業成長には限界があり、「何十年働いても課長にすらなれない社員が7割を超える」といった現実がある。年功による昇給が期待できない中で、若者だけが成果主義という名目で自己責任を負わされている。つまり、若者は既得権益を守る古い世代を支えるための犠牲となり、報われない競争に晒されているのだ。

 結局のところ、「日本型成果主義」とは、年功序列と職能給を温存したまま、若者にのみ厳しい競争と将来不安を強いる制度である。
 成果主義を真に機能させるためには、職務内容に応じて賃金を決定する職務給への抜本的な転換が不可欠だ。しかし、多くの企業は、既存の管理職層に及ぶ制度改革を忌避し、結果として、年功序列に上塗りされた欺瞞的な制度が継続されている。

 「日本型成果主義」とは、つまるところ、古い世代を保護しながら、若者に対しては「賃金は上がらず、終身雇用も保証されない」という現実を押し付けるための都合のよい建前でしかない。

 こうした企業の体質を、若者は敏感に見抜いている。それが高い離職率に繋がっているだけなのだ。問題の本質は、若者の「我慢のなさ」ではなく、年功序列と職能給を抜本的に改革できない企業の構造的問題にある。

 本書のタイトルは、表面的には若者を批判しているように見えるが、実際には既得権益を手放さず若者に負担を押しつける中高年層に対する強烈な皮肉となっている。精神論的で非現実的な「昭和的価値観」に依存した議論から脱却する上でも、本書は非常に示唆に富んでいる。


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城繁幸『3年で辞めた若者はどこへ行ったのか – アウトサイダーの時代』(2008)

日本企業の閉鎖的な人事慣行から外れた人たちの生き方と働き方

 本書は、前作の続編というよりも、むしろ日本企業の人事慣行の枠外に生きる人々に焦点を当てた番外編。
 年功序列を中心とする日本の制度に適合できなかった、あるいは意図的に適合しなかった人々への取材を通じて、企業や労働市場に依存しない生き方・働き方の多様性を描いている。

 日本企業の年功序列制度は、極めて閉鎖的かつ硬直した労働市場を形成している。勤続年数を基準に労働者を評価するという不合理な慣行は、昇進・昇給の「横並び」を生み、個人の能力や適性よりも「社内での年次」が優先される非合理な文化を支えている。多くの企業がこの制度を維持するために、新卒一括採用など、制度に都合のよい人事手法を固持している。

 たとえば採用段階においては、求職者を「新卒」「既卒」に明確に分け、既卒者や中途採用者には不当に低い評価が下される。これは、年齢や入社時期の異なる人材が加わることで、社内の横並び人事の整合性が崩れることを恐れる企業側の都合によるものだ。こうした背景から、「第二新卒」といった日本独特の概念まで生まれている。結果的に、いったんこの制度から外れた人が、再び正社員として企業に戻ることは極めて困難になる。

 採用から定年に至るまで、あらゆるプロセスが「横並び」で構成されているのが日本企業の特徴である。そして、その枠から外れた者に対しては、非常に排他的な対応がなされる。本書は、このような閉鎖的な企業文化に背を向けた、あるいは排除された人々の働き方を紹介しており、それぞれの生き方が持つ意味を丁寧に描いている。

 「働く」とは本来、自己表現のひとつであり、その形は多様であるべきだ。労働観や働き方の哲学は人それぞれ異なるはずであり、それが自然に受け入れられる社会の実現こそが、今後の課題である。本書に登場する人々の生き方は、そうした社会を考える上での重要なヒントとなるだろう。

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