第三者委員会による報告
2018年に発覚した東京医科大学の不正入試問題を受け、第三者委員会が発足し、複数の調査報告書が公表された。以下に各報告書の要点を整理する。
第一次報告書(2018年10月23日公表)
- 二次試験での不正は2006年度から始まっていたと認定。
- 2017〜2018年度の一般入試(一次試験)では、女子55人が不正に減点され、不合格となっていた。
最終報告書(2018年12月29日公表)
- 2013〜2016年度の一般入試で、109人(うち女性66人)が不正に不合格とされていた。
- 二次試験の小論文では、現役男子に一律で加点し、女性や浪人生には得点を低く抑える操作が行われていた。また、特定の受験生に対して、理事長幹部らが個別に加点を行っていた。
- 国会議員から合格依頼の文書が見つかり、政治的関与が示唆された。
- 得点操作の主導者は、歴代3人の学長(伊藤・臼井・鈴木)であり、彼らに主な責任があると結論づけた。
- 背景として、附属病院(東京医科大学病院)の人員確保を理由とした女性制限があった(結婚や出産で離職する割合の高い女性の入学を制限)と指摘。さらに縁故や寄付金による合格操作も確認された。
追加報告書(2019年3月4日公表)
- 大学と受験生との間で、合格発表前に寄付金に関する具体的なやり取りが確認されたと報告。
臼井前理事長が作成したメモには、受験生11人の名前と寄付金額が示されていた。この11人全員が合格、うち7人に得点操作が行われていた。
実際に寄付を行った10人のうち5人は寄付の額とメモに記された額が一致していた。
第三者委員会報告書の問題点
報告書は、大学側の不正行為の全貌を一定程度明らかにした点では意義がある。しかし、いくつかの重要な論点については調査が不十分だった。
まず、東京医科大学同窓会が合否の優遇を求める受験者リストを臼井前理事長に提出していたこと、さらに政治家による「口利き」を示す文書も確認されている。それにもかかわらず、第三者委員会は、大学側の受託収賄の構図には踏み込んだが、贈賄側―つまり受験生の親族や関係者―に対する調査はほとんど行っていない。
政治家や財界人、官僚、医療関係者などが贈賄側として関与していた可能性が高いにもかかわらず、委員会は「ある特定の政治家の関与が疑われる」といった曖昧な表現にとどめている。
結果として、委員会の報告には「忖度」が働いたと見なされてもやむを得ない。公正性と中立性を求められるはずの第三者委員会の報告としては、不十分な点が多く残されたと言わざるを得ない。
東京医科大学の対応とその欺瞞
東京医科大学は、入試での得点不正操作が発覚したことを受けて、不正に不合格とされた受験生への救済措置として、追加合格を実施した。(17年度と18年度の入試について再判定した結果、不合格となっていた101人に入学の意志を確認し、うち49人が入学を希望。そのうちの44人を追加合格とした。しかし残り5人に関しては定員に達したとして拒否している。)
大学側はこの追加合格措置に加え、さらに人事を刷新、再発防止策に取り組むとしている。大学側はこうした対策で問題の幕引きを図ろうとしているように見える。
だが、問題は、収賄に関わった大学側だけではなく、贈賄側の学生とその親族にもある。不正に不合格にされた学生だけに注目が集まっているが、本当の問題は、不正に合格した学生にこそあるはずだ。
医者および医療制度への信頼性というより大きな観点から、この一連の事件を考えたとき、問題となるのは、努力、学力、資質を欠いたまま、不正に入学した学生たちの方だ。
今回の入試不正は、単に女子受験生への差別や一部の不正減点にとどまらず、寄付金や人脈によって合格が左右されるという、大学制度の根幹を揺るがすものだった。学力や適性を持たないまま医師養成課程に進んだ学生が、将来医療現場に立つとすれば、それは医療全体の信頼を著しく損なう。
国家試験によって医者としての資質が担保されるという考えには、現場の医者からも疑問が呈されている。
それにもかかわらず、東京医科大学は不正に合格した学生に対する調査も処分も行っておらず、設置された第三者委員会においても、贈賄側の追求は全くと言っていいほど、おざなりにされていた。
加えて、大手マスメディアもこの点について沈黙を守り、論点を男女差別問題に限定するかのような報道姿勢を取っている(もちろん、性差別の問題も看過できない重大な論点であるが、それだけでは全体像が見えなくなる)。
コネと金で医師になれる構造が放置されたままでは、教育機関としての大学の責任も、医療制度全体の正当性も根底から揺らぐ。東京医科大学は、多額の寄付を行った贈賄側を守り抜こうとしているのかもしれないが、そのような欺瞞的な姿勢こそが、大学の信用、そして社会の医療に対する信頼を損なう最大の要因である。
大学は、自らの組織防衛を優先するのではなく、医療の公共性と倫理に対して真正面から責任を果たすべきではないか。
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