農業大国としての出発
1775年、ボストン茶会事件をきっかけにして、アメリカ独立戦争が勃発、1783年にパリ条約を締結して、アメリカは、正式にイギリスから独立しました。
アメリカは大規模農場経営によって、農業大国として発展します。しかし、1812年に起きた米英戦争により、ヨーロッパとの交易が一時中断。そのため、国内での工業発展に力を入れます。
アメリカの工業は、1861年の南北戦争によって南部の大土地所有者が没落、解放奴隷たちが北部の工業地帯に流れて、より発展していきます。
工業大国への変貌
19世紀末から20世紀初頭にかけて、アメリカをはじめ、カナダ、オーストラリア、アルゼンチンなどの農業大国が著しい経済発展を遂げていきます。
特に、アメリカは農業を大規模経営によって効率化して、大量生産し、国際的な競争力をつけていきます。
農業国が台頭した背景には、ヨーロッパ諸国の疲弊があります。ヨーロッパは、1914年に第一次世界大戦が勃発したことで、経済と産業が壊滅的な打撃を受けます。1920年代、アメリカは、ヨーロッパへの農産物の輸出で資本を蓄積し、それを工業へと投資していくことで、工業大国として発展していく契機をもつかみました。
第一次世界大戦によるヨーロッパ経済の疲弊で、農産物価格は高騰していました。農業大国であるアメリカは、この農産物価格の上昇によって資本の蓄積に成功します。しかし、20年代末にもなると、ヨーロッパの農業生産も徐々に回復して行ったことで、アメリカでは農産物の生産過剰が起きていました。
これが、農産物価格の暴落を引き起こし、アメリカ経済の混乱を招きます。そして、これが遠因となって、1928年の金融恐慌につながっていきます。
しかし、この金融恐慌の対策として取られたニューディール政策は、アメリカの工業発展に非常な貢献を果たします。国家主導による工業インフラへの投資が進み、その後の工業発展の基盤となったのです。
1930年代に入ると、フォードに代表される工業製品の大量生産技術が飛躍的に進歩し、アメリカの工業大国としての地位が確立されていきました。
なぜアメリカは大国へと発展したのか
アメリカは、18世紀に農業国として出発しました。アメリカが他の農業国と最も違ったのは、農場経営に大規模工業生産方式を導入して、生産を効率化した点でした。プランテーションと呼ばれる単一の農作物を大規模農場で画一的に生産することで、価格競争力を付け、世界の市場で優位に立ちました。
そして、農産物の輸出によって稼いだ外貨は、国内資本の形成に寄与し、それが工業生産へと投資されて、次の新たな産業の発展につながっていくという好循環を形成しました。
外資への依存を減らし、国内資本を蓄積して、それを次の投資に向けていくことが国家経済の発展には最も重要になります。19世紀から20世紀のアメリカは、国内資本形成がにいかに国家の発展に寄与するかを最も端的に示した事例だと言えるでしょう。