市場を修正した20世紀
世界恐慌とケインズ経済学の登場
1929年10月のニューヨーク株式市場の大暴落に端を発した金融不安は、全世界へと波及し、世界恐慌を引き起こした。その後、世界経済は縮小へと向かう。市場経済の混乱は、政情不安へとつながっていく。
1930年代の市場経済は深刻な自己矛盾を露呈していた。
長期不況の原因は、深刻な需要不足にあった。だが、需要不足とは裏を返せば、供給過剰の状態である。つまり、不況は、生産能力の過剰が本質的な原因となって引き起こされていた。
しかし、これは考えてみれば非常に奇妙なことである。資本主義経済とは、生産能力を高め、経済を拡大発展させることこそが、その本質に他ならなかったからだ。
産業革命以降、生産技術は飛躍的に進歩し、生産力は向上した。その強大な生産力を背景に、市場を拡大し、利潤が増加することで、産業資本が蓄積される。その資本をまた市場へ投下することで、さらに技術革新がもたらされて生産能力が拡大していく。この拡大再生産こそが、資本主義の本質である。だが、その本質を十二分に発揮し、生産能力を高めた結果、供給過剰に陥り、需要不足が深刻化して世界的な長期不況に陥った。生産能力が豊富であるために、一度、需要が低迷すると、遊休設備と失業者が発生し、貧困層が増大して社会不安が訪れる。
資本主義によって市場が拡大し、生産能力が向上した結果、貧困が拡大する。これは、資本主義が内包している本質的な自己矛盾である。
1930年代の恐慌に直面して、資本主義経済の修正を図ったのがジョン・メイナード・ケインズである。1936年に、代表作である『雇用・利子および貨幣の一般理論』を発表し、古典派経済学が前提としていた市場の需給調整機能を批判した。彼の理論は、その後、ケインズ経済学として、経済学の一派として主流を形成する。
ケインズは、資源を適切に配分する市場が、需要や供給が最大限に稼働した局面では機能不全を引き起こすと考えた。需要を上回る過剰な生産力がある状況で、供給能力が最大限発揮されれば、商品価格の値崩れや過剰在庫を引き起こす。そのため、生産が抑えられる。
それまで市場は、資源を最適に配分するだけでなく、生産能力と資源の最大限の活用をも保証していると考えられていた。だが、実際には、資源の一部は使い残されて、生産能力が最大限、稼働していない状況が当時は起きていた。それは労働市場において深刻な影響を与える。生産能力が抑えられた不景気の状況下では、働き手の供給過剰、つまり大量の失業が生じる。市場は、完全雇用を実現しない。むしろ不完全雇用の方が常態だとした。
総供給に対して総需要が不足するため、資源の活用が最大限に行われないのだとしたら、ここで問題となるのは、経済活動全体の水準である。
ケインズはイギリス蔵相としての経験から、国家全体の経済指標を重視した。その水準を測る指標が、国民所得または、国民総生産である。ケインズは経済を国全体の活動として、巨視的に捉えた。そのため、彼の経済学はマクロ経済学と呼ばれる。そして、経済活動や市場の機能を研究をする際、最も重視しなければならないものの一つは、個人の利益、つまり所得だとした。古典派経済学が市場の価格調整機能を研究の対象とし、価格分析に焦点を当てたのに対し、ケインズのマクロ経済学は所得分析をその中心課題に据えた。
政府の役割の増大
では、全体としての経済活動を見た場合、総需要を喚起できるものは誰か?それは、個人ではなく政府のような巨大な組織だけである。そのため、マクロ経済学では政府の役割が重要になる。
ケインズ経済学の立場からは、政府は積極的に市場に介入し、総需要量を調節しなくてはならない。不況時には、政府は総需要を創出するために、財政出動を行って企業の経済活動を喚起しなければならない。さらに、減税と金融緩和が必要と考えられた。
当時、金本位制を採っていた国際経済の下では、均衡財政は原則であった。しかし、税収が減る不況時に均衡財政を維持しようとすれば不況はより一層深刻化する。そこで、ケインズは、均衡財政の原則を否定して赤字財政を積極的に是認した。
また、通貨制度に関しても改革を提唱した。金本位制下では、通貨供給量はその発行の責任を負う中央銀行が持つ金準備の量に応じて増減しなければならなかった。だが、金準備量はその国の国際貿易収支によっている。つまり、国際貿易収支を均衡させるために、国内の通貨発行量を制限する仕組みだった。だがそれは、国内経済の犠牲を意味した。そこでケインズは、金本位制を批判し、政府が必要な金融緩和を行えるようにするため、管理通貨制の立場をとった。
当時、総需要が喚起されない要因には、さらに根本的なものとして、所得分配の不均衡という事実が存在した。社会の圧倒的多数派である一般労働者に「生存水準」の賃金しか支払われなかったため、総需要のおおよそ7割を占めるとみられる個人消費は低迷した。総需要の増加のためには、所得分配の不均衡を是正することが不可欠だった。
そこで所得税の累進課税方式と社会保障制度の整備が進められた。ケインズによる経済政策で重要な点は、総需要と累進課税制度、社会保障制度とが一体として機能しているということである。
社会保障制度が整備、充実されると、所得の最低限が保障されることになり、失業による社会不安を抑えることができる。さらに、消費性向は一般的に低所得者層の方が高いため、累進課税により所得の再分配が低所得者に有利に働くと、総需要に底堅さが増して景気の下支えとなる。
また、累進課税制度と社会保障制度は、政府の経済政策という観点から見ると類似の効果を持っている。累進課税制度のもとでは、景気の悪化に伴って所得が減少すれば、それに伴って、政府の税収も減少する。それは、経済効果としては、減税と同じことになる。他方、社会保障制度が整備されていると、政府は不景気時に失業保険金等の社会保障費の支出が増える。それは財政支出の増加を意味する。
このように累進課税制度と社会保障制度を共に整えておくと、経済状況が悪化した際においても、自動的に減税と財政支出の増加という結果になり、不況対策としての財政政策を発動したのと同じ効果が得られる。これを自動安定化因子(built-in stabilizer)という。
このように政府の介入によって、市場の危機は20世紀後半、徐々に克服されていった。
市場不信に対する二つの答え
第二次世界大戦後は、ケインズ学派が経済学の主流となる。政府による市場管理によって、市場は徐々にその安定性を取り戻し、市場経済への信頼は回復していく。
市場はそれ自体では正しく機能しない、という市場経済への不信感がマルクス経済学を生んだ。マルクスが直面した問題とケインズが課題としたことは、本質的には同じものだった。市場経済は恐慌、あるいは不況を定期的に引き起こし、その際に大量の失業者を生み政情不安を招く、という問題だった。
マルクスが『資本論』を最初に刊行したのが1867年。ケインズの『雇用・利子および貨幣の一般理論』が発表されたのが1936年。約70年の間がある。
マルクスは市場の機能そのものを否定したが、ケインズは市場経済を前提としながらも、市場の働きを政府によって修正することで、その問題に対応した。全く異なる方向であったが、その問題としたところは同じだったのである。
参考図書
飯田経夫『経済学誕生』(1991)