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なぜ日本の街並みは絶望的に醜いのか

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都市計画不在の国が生んだ「雑然」の美学

 世界中から多くの観光客を惹きつける日本。しかし、観光地を一歩外れると、そこに広がるのは混沌とした景観、無秩序な都市空間である。歴史的建築や自然美に恵まれながら、なぜ日本の都市はここまで醜く、雑然としてしまったのか。

 その核心にあるのは、「都市計画の不在」と「区画整理の失敗」である。

都市計画が機能していない国

 多くのヨーロッパ諸国では、歴史的景観の保存と一貫した都市計画によって、街並みの美しさが維持されている。通りの幅、建物の高さ、看板の大きさ、色彩までもが行政によって厳しく管理されており、街そのものが美術館のような統一感を持つ。

 一方、日本では都市ごとの整然とした「マスタープラン」よりも、個々の土地所有者や開発業者の意向が優先されてきた。戦後の急速な復興と経済成長のなかで、都市景観の美観よりも利便性と経済効率が重視された結果、無秩序な建設が進み、今日に至るまでそのツケが残っている。

「景観を壊す」象徴たち

 以下に、日本の街並みを特に醜くしている要素を挙げてみたい。

1. 電柱と電線の無法地帯

 歩道の上空に張り巡らされた電線の束。電柱は景観を破壊するだけでなく、視界を狭め、街を窮屈に感じさせる。地下化はコストがかかるという理由で進まず、景観保護に対する意識の低さを象徴している。

2. 雑多なのぼり旗とネオン看板

 あらゆる店舗が「自店だけは目立とう」と競い合った結果、通りには色彩もデザインも統一感のないのぼり旗やネオンサインが溢れかえっている。「情報」が過剰になりすぎて、逆に何も伝わってこない。

3. 街路にはみ出る看板と構造物

 歩道にせり出した店舗の看板や仮設構造物は、街の一体感を損なうばかりか、通行の妨げにもなる。これらも規制が緩いため、店舗側の自由な判断で設置され、都市の「美意識」よりも「商魂」が優先される。

4. 至る所にある自動販売機

 街角、路地裏、住宅街、公園、どこにでもある自動販売機。日本独自の便利さの象徴である反面、統一感のないデザインと鮮やかな照明が、街の調和を著しく乱している。

なぜ美しく整えられないのか?

 このような景観の問題は、日本では「個人の自由」と「経済活動」が優先されすぎており、街という「共同体の空間」としての意識が希薄なことに起因する。景観を整えるためには、行政による強力なルールと、市民の美意識が必要だが、日本ではその両方が決定的に不足している。

 加えて、区画整理の歴史的遅れも深刻だ。入り組んだ私道、用途不明の空き地、不規則な建物配置は、都市の美観だけでなく防災面でも問題を孕む。

美しい街をつくるには

 街を「風景」としてとらえ、意識的に整えていくこと。それは単なる「外見の良さ」ではなく、人々の生活の質にも直結する重要な公共政策である。都市計画の再設計、景観条例の強化、そして市民の意識改革こそが、真に美しい街づくりへの第一歩だ。

 観光パンフレットではない、日常の風景こそが「その国の美意識」を表す。日本は今こそ、自らの街並みに本気で向き合う時ではないだろうか。

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