古谷経衡『若者は本当に右傾化しているのか』(2014)
統計から読み解く若者の右傾化
2013年末に公開された映画『永遠の0』の大ヒットや、2014年2月の東京都知事選において田母神俊雄候補が20代有権者から24%の得票を得たことなどを背景に、近年「若者の右傾化」が盛んに議論されている。しかし、そうした議論の多くは、統計的な裏付けを欠いた信頼性の低いものであった。本書は、この「右傾化」が実際に起きているのかどうかを、内閣府の社会意識調査などの統計データをもとに検証している。
著者の分析によれば、愛国心そのものは日本全体で徐々に高まりつつあるが、若者だけが特に右傾化しているという明確な事実は存在しない。若者全体のうち約2割において、やや保守的な意識の増加が見られる程度である。
では、なぜネット上では保守的・右派的な言論が目立っているのか。この点について著者は、ネット上でいわゆる「右翼」とされる言説を発信しているのは、主に30〜40代の層であり、職業としては自営業者などが中心であると指摘している。ネット右翼と呼ばれる人々の平均年齢は38歳であるというデータも示されている。個人的には、2ちゃんねるの利用者に関する統計——40代が29%で最多、次いで30代が28%——が特に興味深かった。
このように、若者の右傾化は一部にとどまり、社会全体としての大きな傾向とは言えない。ただし、だからといって若者が政治に無関心であるわけでもない。右傾化傾向を持つ若者が約2割存在する一方で、それと同程度、あるいはやや多い割合で左傾的な若者も存在しているという。
本書の中で特に印象的だったのは、靖国神社への参拝や戦没者への哀悼の意の表明、国旗・国歌への敬意の表現といった行為が、若者の間ではごく自然なものとして受け入れられつつあり、もはやイデオロギーとは切り離された行動になっているという点である。戦争で命を落とした人々に哀悼の意を示すことに、右も左もない。これこそが若者の「正常化」と言える現象であり、こうした行為をイデオロギー的に利用してきた従来の右派や左派の方が、むしろ不自然であったとすら言える。
社会的弱者に寄り添う保守思想へ――若者の視点から考える
本書の現状分析は、世間で語られがちな「若者の右傾化論」に対して、統計データに基づく具体的な反証を行っており、非常に興味深いものである。しかし、真に注目すべきは、そうした現状認識を踏まえたうえで、著者が提示する「これからの保守思想のあり方」である。
著者は、保守派の主張が若者層に十分届いていない原因を、これまでの保守が資本主義の「勝者」の立場に偏った主張を展開してきた点に求めている。生活者の視点が欠け、国家観や道徳観ばかりが語られる中で、若者が直面している格差や労働環境の問題に、十分な配慮がなされてこなかったというのが著者の指摘である。
そこで提案されるのが「ソーシャル保守」という概念である。真に愛国的な立場に立つのであれば、国内の格差や貧困の問題にこそ目を向けるべきであり、そうした課題を「左派的」として切り捨ててはならないという。誰もが競争の勝者になれるわけではない。むしろ、資本主義のもとで困難を抱える人々や少数者に対して、同胞として寄り添い、支援の手を差し伸べることが、保守の責任ではないかと主張する。
こうした主張は、決して突飛なものではない。たとえば大川周明など戦前の国家社会主義的な思想の一部に見られるように、伝統的な保守思想の中にも社会的連帯や弱者への配慮を重視する立場は存在していた。もちろん、著者が統制経済を唱えているわけではないが、現在の保守派が直面する信頼の低下や、ネット上での保守的言論が揶揄されがちな背景、若者の一部で左傾化が見られる理由などを考える上で、十分に検討すべき視点である。
自分自身としても、現在主流となっている保守の議論には、真の意味での愛国心があまり感じられない。むしろ、既得権益層の利益を代弁するかのような印象を受けることが多い。本当にこの国の未来を憂うのであれば、若者が安定した職に就けず、労働条件も整っていないという現実に正面から向き合う必要があるだろう。また、国民の暮らしを脅かし、国土の安全性を損なうリスクを孕む原発政策についても、再考の余地がある。なぜなら、人材や国土こそが、未来の日本を築くための最も重要な資産だからだ。
本当の愛国心とは
本書では原発問題には直接言及されていないが、著者が示す論理に立脚すれば、本来であれば愛国的な立場からこそ、この問題にも目を向けるべきであったのではないかと感じる。日頃から「国土の保全」を重視すると語る保守の立場が、原発事故によって人が住めなくなった土地、すなわち実質的に国土が失われている現実に対して、十分な危機感や問題意識を示していないように見えるのは残念である。
これから家庭を築き、子どもを育てていこうとする若者たちにとって、環境や健康に関わる問題は極めて重要な関心事であるはずだ。そうした視点からすれば、経済効率を最優先し、環境や暮らしの安全を後回しにしているかのように見える一部の保守的な主張に対して、違和感や不信感を抱く若者が多くても不思議ではない。
また、保守派が経済界の意向に沿って、労働者の立場を弱める法案に賛同したり、原発政策を推進しようとする背景には、政治と利権の構造があるとも指摘されている。そうした状況を見ると、果たして本当に国民全体の利益や将来を見据えた「愛国心」に基づいた判断がなされているのか、疑問を持つ人がいてもおかしくはない。
「保守」とは本来、国の伝統や文化、人々の生活を守る思想のはずである。しかし現状では、特定の層の利益を守ることに重点が置かれ、広く国民の暮らしや若者の将来に寄り添う姿勢が見えにくくなっている。若者に自己犠牲を求めながら、自らはその負担を回避しようとするように見える態度は、共感を得にくいものであるし、保守の理念としても再考が求められる。
「愛国心」とは、決して他国に対して敵意を向けるための感情ではなく、まずは自国の人々を大切に思う気持ちの延長にあるべきものだ。格差や環境問題、労働条件といった現代の課題に向き合いながら、共に暮らす人々への思いやりを原点とするような保守思想こそ、今の社会に必要とされているのではないだろうか。
本書の価値は、まさに後半で示されるこうした新しい視点にある。いわゆる「ネット右翼」的な過激な言説に違和感を持っている人、あるいは「社会の右傾化」という一面的なメディア報道に疲れてしまった人、愛国心そのものには共感しながらも、現在の保守的な主張に納得できないという人にとって、本書は多くの示唆を与えてくれる一冊である。
古谷経衡『若者は本当に右傾化しているのか』(2014)
コメント