(画像出典: Sam Cooke – Wikipedia)
サム・クック (Sam Cooke) – Soul MusicのRoots
教会音楽として発展してきたゴスペル(Gospel)を、一般大衆向けのポピュラー・ミュージックへと架橋したミュージシャンのひとりに、サム・クック(Sam Cooke)がいる。
彼は、もともとゴスペル・グループ「ソウル・スターラーズ(The Soul Stirrers)」のリードシンガーとして活動していたが、1957年にソロに転向。敬虔な宗教音楽であったゴスペルのスタイルを保持しながらも、リズム・アンド・ブルース(R&B)やポップスの要素を取り入れ、新しい音楽ジャンル──ソウル・ミュージックの礎を築いた。
クックはそのわずか7年間(1957年〜1964年)の活動期間中に、30曲ものシングルを全米Top 40に送り込むという驚異的な成功を収めている。「You Send Me」「Cupid」「Chain Gang」「A Change Is Gonna Come」など、いまなお多くの人々に愛される名曲を世に残した。
歌手としてのカリスマ性に加え、彼は作詞・作曲・編曲にも秀でており、音楽的センスとビジネス感覚の両方を備えた稀有なアーティストであった。その影響力から「ソウルの王(The King of Soul)」とも称されている。
彼の革新的な音楽は、のちのスティーヴィー・ワンダー(Stevie Wonder)、マーヴィン・ゲイ(Marvin Gaye)、ジェームズ・ブラウン(James Brown)といったアーティストたちにも大きな影響を与えている。彼の存在がなければ、ソウル・ミュージックの発展はまったく違ったものになっていたかもしれない。サム・クックこそ、ソウル・ミュージックの「起源」と評す人も多い。
黒人の権利と音楽ビジネスへの貢献
サム・クックの偉業は、音楽面にとどまらなかった。彼は、音楽事業に関わった最初の黒人歌手としても知られている。自らレコード会社「SARレコーズ(SAR Records)」と音楽出版会社を立ち上げた、初期の黒人起業家のひとりである。
当時、音楽業界では黒人アーティストが搾取されるケースが非常に多く、才能があっても公正な契約や報酬を得ることが難しかった。こうした状況に対し、クックはアーティストとしてだけでなくプロデューサー、起業家としても立ち上がり、黒人音楽家の自立と権利擁護を目指した。
彼のレーベルでは、若い黒人アーティストの発掘と育成にも力を注ぎ、多くの才能あるミュージシャンがその後のキャリアを築く足がかりとなった。ビジネス面でのこの先見性と実行力は、後のブラック・ミュージックの隆盛に向けての道を切り拓いたといっても過言ではない。音楽的業績と並んで、むしろこの社会的・経済的な貢献こそ、サム・クックの真の功績だと評価する声もある。
また、彼は1960年代初頭の公民権運動にも積極的に関与していた。黒人差別や不平等に対する抗議の声を、音楽という手段を通して社会に訴え続けたのである。代表曲「A Change Is Gonna Come」は、その象徴的な一例であり、アメリカにおける人種平等の願いを音楽に込めた、時代を超えたアンセムとして今なお高く評価されている。
しかし、1964年12月、彼はロサンゼルスのモーテルで銃撃され、33歳という若さでこの世を去った。その死には今なお多くの謎と議論が残されている。もし彼が生き続けていたら、音楽史、そしてアメリカの社会運動の歴史そのものが、まったく異なる様相を呈していたかもしれない。
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