読書案内
孫崎享『日米同盟の正体』(2009)
新・安保関連法制
2009年刊行。
2015年9月、平和安全法制関連2法が可決、成立した。この安保法制によって、従来の専守防衛という憲法解釈が大きく変更され、集団的自衛権を認めることになった。そして、安全保障に関して日米の一体化をより進める結果となった。
アメリカの安全保障に関する戦略は、すでに冷戦終結後の1990年から、アメリカ単独主義に変化しており、その戦略に沿って日米同盟のあり方も2005年の時点で決定的に変更されていた。
本書は、日本でほとんど報道されていなかったこの事実を指摘するところから始まっている。
2005年10月、日本の外務大臣は、「日米同盟:未来のための変革と再編」という外交文書に署名した。これによって1960年に改定した日米新安保条約の内容が大きく変化することになる。
まず、安保条約は極東条項によって対象地域が、極東に限定されていたが、この合意文書では、世界全体の安全へと変更されている。そして、国連重視の姿勢が消え、日米の共通戦略の下での安全保障が謳われている。
アメリカは軍事行動における日米の双務負担を湾岸戦争の頃から日本に強く求めていた。それがこの2005年の合意文書でさらに明確な方針となっているのだ。部分的にではあれ、集団的自衛権はすでに事実上、実現しているのと同じであり、この後、この方針はさらに深められていくことになる。
2015年の安保法制は、まさにその延長線上にあったといえる。本書を読むと、今回の安保法制への流れが、必然的なものであったことが非常にはっきりする。
戦略的思考の欠落する日本
日米の一体化を進めていく政府だが、日米の共通戦略といっても、実際、戦略を提示するのは一方的にアメリカのみで、日本はアメリカに政策提言する立場には全くなく、ただアメリカの戦略に従属するのみだ。そもそも日本に戦略的思考のできる人材がいないと言う著者の指摘は、厳しいものだ。
その具体的な例として、著者は、80年代のシーレーン構想を挙げている。
1981年、鈴木善幸首相が訪米時にシーレーン構想を支持し、その後、83年の中曽根内閣時代に具体的協議が行われたが、その戦略的意義を理解していた人物は日本側には誰もいなかった。シーレーン構想は、アメリカにとって、ソ連封じ込めのための安全保障戦略の一環だったが、日本には石油輸送の安全航路確保のためとだけ説明されていた。そして、日本はアメリカのその説明を全く鵜呑みにしていた。
アメリカの描く戦略の全貌や意図を理解できないまま、それにそのまま従属する姿勢は今でも全く変わっていない。日本側からの提言や協議は、常に運用の段階の「戦術」という局面に限られていて、決して「戦略」を論じる場面でアメリカと同じ土俵に立つことはない。
このような状況の下で、安全保障に関して日米一体化の強化のみが、進展している。要するに、日本はアメリカの手先として、アメリカの世界戦略に貢献しろ、というのが集団的自衛権の実態となっているのだ。
アメリカの新世界戦略への懐疑
では、アメリカの世界戦略は、信頼するに足りるものなのだろうか。著者はこの点に関して、強い疑念を抱いている。
アメリカの安全保障を中心とした世界戦略は、ソ連崩壊後の1991年に大きな転機を迎える。ソ連という脅威が消滅した際、アメリカが選択できる道は2つあった。一つは、軍の予算や人材を経済へ向けて、経済重視の政策へと舵を切ること、もう一つは、世界最強の軍隊をそのまま維持し、世界におけるアメリカの軍事的影響力を保ち続けること。
そして、アメリカが選んだ道は、後者であった。国防省を中心とした軍産複合体は、軍隊の削減を許さなかったからだ。
米国政府は、91年、ソ連という脅威の消滅後、国防政策の根本的な変更を迫られかねない状況にあった。アメリカ財政は、膨大な軍事支出に耐えられなくなっていたからだ。アメリカの財政赤字はレーガン政権以降膨れ上がり、92年にはピークを迎えている。
軍隊の維持を国民に納得させるためには、ソ連に代わる脅威が必要とされたのであり、それが、イラン、イラク、北朝鮮であった。世界の多極的な脅威の存在と大量破壊兵器の危険性が強調され、さまざまな世論誘導が行われていく。
だが、この脅威を強調することで国内世論を納得させることができたとしても、国際社会から支持を取り付けることは極めて難しい。
そして、ここからアメリカの単独主義が始まる。国連や国際社会からの支持とは関係なく、アメリカが「国際社会への脅威」と対峙するというのが、冷戦以降の現在まで続く、アメリカの基本的な世界戦略となった。
91年、ブッシュ政権の下、パウエルを中心とした国防省関係者によって、米軍が世界の多極的な脅威に対応できる能力を維持することが方針として決められた。続く92年には、さらに、米軍に匹敵する軍隊の出現を阻止することが方針に加えられた。
当時、ワインバーガー元国防長官やロバート・ケーガンなどネオコンがその理論的な支柱となっていった。
この方針は、その後の政権にも基本的に継承されていく。これはオバマ政権においても変わっていない。国民の期待とは裏腹に、オバマ統領は、国防省を中心とした軍産複合体の意向に基本的に沿う政策を行っている。
変質する日本外交
この冷戦後のアメリカの世界戦略の下、日米関係も新たな局面を迎える。
まずは、80年代以降、アメリカの脅威となりつつあった日本の経済力を殺ぐこと、自衛隊をアメリカの世界戦略の中で利用できるようにすること。この二点をアメリカは、日米関係の新たな課題としたのだ。
そして、日本の外交は、このアメリカの要求に沿うようにして変質していく。経済面では、市場開放と自由主義政策を、国防面では、極東地域に限定された日米安保から、全世界を対象とした集団的自衛権の承認へと舵を切るように政策の転換が行われていった。
現在の日米関係は、経済面でも国防面でも、著者が本書で分析した通りの方向性で進んでいる。
日本は冷戦後の世界戦略を描けないまま、アメリカへの依存度だけを高めている。資源や領土をめぐって不安定化する極東情勢の中で、アメリカとの一体化のみが、日本の唯一の道であるかのような態度を外務省と政権与党の中に生み出している。そこには陰に陽にアメリカの策略があったことは間違いないだろう。
こうして90年代以降、日本政府はアメリカの影響の下、国連を中心とした多極的な国家間交渉という政策から離れ、国際協調というヨーロッパ的枠組みから徐々に離脱していった。
日本がこのままアメリカの戦略に従属していくことは、果たしてどこまで正しい選択だと言えるのだろうか。
アメリカは、2003年のイラク戦争以降、泥沼化した中東情勢に引き込まれて、全く出口戦略が見えないまま、ISの台頭を招いてしまい、今や宗教戦争のような様相まで呈し始めている。
日本国民は、アメリカの戦略の下、自衛隊をこのような中東の戦場に派遣することにどこまで意義を見出せるのだろうか。
その一方、中国や北朝鮮の脅威から守ってくれるはずのアメリカは、日本を差し置いて、米中関係の強化を図っている。尖閣諸島など領有権をめぐって日中間で武力衝突が実際に起きたとき、中国との関係を深めているアメリカが、日本を本当に助けるという保証は一体どこにあるのだろうか。
アメリカをどう国際協調の枠組みに引き戻すか
かつてアイゼンハワー大統領は、国際機関の下における国際協調を主張したカント的な国際平和主義の精神の持ち主だった。各国の国益の違いを認めた上で、政治的な協調を模索するというもので、これはアメリカの外交史の上で一つの思想として確かに存在していたものだ。
しかし、現在のアメリカの外交思想は、全くこうした考えから外れたものになっている。今のアメリカは、国連を重視する姿勢よりもアメリカ単独主義が基本となっている。そして、世界の国々を同一の利益と価値観を共有できるものかどうかで二分し、共有できない国は世界秩序の中からの完全な排除を、一方の共有できる国に対してはより一層の一体化を求めるといった態度だ。そして、なお悪いことに、オバマ政権の戦略は、この傾向をより強めているように見えることだ。
日本は日米同盟を強化し、集団的自衛権を認める方向でまた一歩、歩みを進めることになった。だが、アメリカの世界戦略への一体化は、なんら日本の戦略でもなんでなく、単なる日本の政治力の衰退を示しているものでしかない。
日本は、自国の国益がどこにあるのかきっちりと見極めた上で、世界戦略を考えることのできる立場にならなければ、アメリカの戦争にただ巻き込まれていくだけという結果になりかねない。
日本にとって、日米同盟のこれからの最大の課題は、アメリカを政策的、思想的な両面から、伝統的なカント的国際秩序の枠組みにどう引き戻していけるのかということにあると思う。
果たして、日本にそれだけの政策的能力があるのだろうか。本書は、これからますますアメリカに従属していく日米関係を考え直す上で、非常に参考になる本だ。
現在の日米関係は、著者の分析の正確さをまさに証明している。今回の安保法制に賛成の者でも反対の者でも、右でも左でも、必ず一度は読んでおくべき本だろう。