大沢仁・石渡嶺司『就活のバカヤロー 企業・大学・学生が演じる茶番劇』(2008)
狐と狸の化かし合い——日本の就活の不合理
企業は、職業経験のない学生を評価しようとするため、結果として学歴だけが判断材料となってしまう。一方の学生も、経験がないにもかかわらず自己PRを求められるため、職業能力や意欲とは関係のない「自己分析」という自己批判めいた作業を強いられる。
本来、企業にとって必要なのは、利益を生み出す能力を持つ人材である。特に、変化の激しい経済環境に対応し、新たな価値や仕組みを生み出せる力が重要視されるはずだ。しかし、企業も学生もその本質を理解していながら、性格診断のような自己分析を通じて、経済活動とは無関係な情報のやり取りを続けている。学生はマニュアル通りの“理想像”を演じ、企業はそれを見抜くふりをしつつ、結局は学歴で選考している。両者がこの構図を茶番だと分かっていながら、あえて演じ続けている現状は滑稽である。
大学の姿勢もさらに滑稽だ。採用活動の早期化に対しては「学業の妨げになる」と声を上げる一方で、大学が本来果たすべき「専門性の育成」の機能を果たしていない現実には無関心だ。海外では大学での専攻や研究内容が就職に直結するが、日本では依然として「どの大学を出たか」が重視されている。大学もそれを理解しているからこそ、就職支援は企業紹介や面接マニュアルの提供にとどまり、教育機関としての責任を放棄している。
こうした茶番は、大学、学生、企業の三者すべてが違和感を覚えながらも、誰も抜け出せないまま続けられている。
面白いが、建設的な視点はない
本書は、就活に対する三者三様の不満をユーモラスに描き出している。確かに、著者の言う通り、今の就活は「狐と狸の化かし合い」であり、突っ込みどころが満載だ。各立場から互いを批判する様子は滑稽で、読んでいて笑える——が、その笑いはやがて虚しさへと変わっていく。
本書の限界はそこにある。日本の就活に対して疑問を投げかけることはしても、それ以上の視点がない。制度の構造的問題に踏み込み、建設的な提言を行う姿勢が見られない。結局は愚痴の応酬に終始しており、問題を「面白く語ること」が目的になってしまっている。
解決に向けて必要な改革とは
では、何が問題で、何をどう変えるべきか。
第一に、学生には大学在学中から職業経験を積ませるべきである。最低でも卒業前に1年以上のインターンシップを義務づけ、社会との接点を持たせる。その上で、学生は自身の専門性を深める努力をする必要がある。
第二に、企業は新卒・既卒・中途の別を問わず、職業経験を評価基準とし、「利益に対する生産性」を重視して人材を選ぶべきだ。人材の教育コストの低さや帰属意識ではなく、成果を生む力を基準とする採用に転換しなければならない。
第三に、大学は面接対策やエントリーシートの書き方といった“受験産業的”な就職支援から脱却し、専門性の養成や職業経験の支援へとシフトすべきだ。そのためには、大学自身が「学びの場」であることを再認識し、専門教育の質を高めることが前提となる。
最大の問題点——定期一括採用という制度
現在の就活が抱える最大の構造的問題は、大学新卒者を対象とした「定期一括採用」という、日本特有の雇用慣行にある。この制度は、個人の職業経験を無視し、一斉に“新人”として採用する仕組みであり、世界的に見ても極めて稀かつ非合理的である。
この制度は、終身雇用や企業内教育が機能していた時代に生まれたものであり、会社が疑似家族的な共同体であった時代の名残である。しかし、もはやその前提は崩れているにもかかわらず、多くの企業は依然として「未経験だが教育しやすい若者」を求め続けている。その結果、日本では採用の合理性が損なわれ、不毛な茶番が延々と繰り返されている。
おわりに——笑って終わらず、変えるために考えるべきこと
本書は現状の就活の問題を笑いに変えて提示している点では意義がある。しかし、それを変えるための提言や議論が欠けているのは残念だ。単なる「文句の言い合い」で終わるのではなく、「どのように変えるか」という建設的な視点こそ、いま求められている。
佐藤孝治『<就活>廃止論 – 会社に頼れない時代の仕事選び』(2010)
結局は、新卒一括採用を温存するだけの提言
本書の著者は、就職・採用活動のコンサルタントであり、いわゆる「就活ビジネス」に関わる立場の人物である。そうした立場上、就活制度そのものの廃止を提言することなど端から不可能であり、本書の過激なタイトルも実態としては単なる煽りにすぎない。
たしかに、著者は終身雇用の崩壊や企業の採用方針の変化を踏まえ、従来の新卒一括採用が企業・学生双方にとって非合理であることを指摘している。しかしその後に提示される「改革案」は、現行制度を前提とした小手先の調整に過ぎず、問題の本質に切り込むものではない。
著者が挙げる「今後の就活のあり方」は次の五つである。
- 選考試験を大学1年次から始めること
- 複数年入社パスの発行
- 入社意思表示を大学4年の10月に統一
- 選考結果に対するフィードバックの実施
- 新卒通年採用の導入
一見、柔軟な仕組みに見えるが、これらは実質的に「早期化」「長期化」を促進するだけで、新卒一括採用という構造自体を否定するものではない。選考開始時期を早めたところで、結局は「新卒」という枠に学生を押し込める点では、従来の就活と何ら変わらない。
本当に必要なのは、米国のように職業経験者を中心とした採用制度への転換であり、学業と就労の間を自由に行き来できる仕組みの整備である。しかし、本書ではそのような本質的な制度改革には2ページ程度しか触れておらず、踏み込みが極めて浅い。
さらに本書では、学生に対して「早めの準備」や「インターンの活用」を推奨し、5%の“勝ち組”に入ることを目指せと説く。だが、これは自己啓発系の就活マニュアルと本質的に変わらず、「制度そのものをどうすべきか」という視点は決定的に欠けている。
著者の立場からして、就活制度そのものを根底から問い直すことは困難なのかもしれない。しかし、少なくとも就職支援業界の利権構造——現在の制度が固定化されている大きな要因のひとつ——については、批判的に触れてしかるべきだった。それを完全にスルーしている点に、本書の限界が如実に現れている。
もっとも、これから就活に直面する学生にとっては、参考になる部分もある。アルバイトで学生生活を浪費するのではなく、著者が勧めるようにインターンシップなどキャリアに直結する活動に取り組む意義は大いにあるだろう。
しかしながら、本書に対して「就活という日本独特の制度を根本から見直す提言があるのでは」と期待した読者にとっては、その内容はあまりに物足りない。著者は結局、「就活屋」の枠を超えられず、制度温存の論理を補強するにとどまっている。
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