熊谷徹『ドイツ人はなぜ、1年に150日休んでも仕事が回るのか』(2015)
極めて低い日本の労働生産性
2015年の一人当たり名目GDPにおいて、日本は世界27位という順位だった。G7諸国の中では、30位のイタリアをかろうじて上回っている。
イタリアは2015年4月時点で失業率が12.4%と高く、家庭や私生活を重視する国である。温暖な気候の中で、3時間近くもの!昼休憩を取り入れながら、比較的ゆったりとした働き方をしている。そのような国と僅差で競っているという事実には、驚愕だ。
日本のすぐ下には、中南米のバハマ(28位)が迫っている。日本は長時間労働や有給休暇の未消化、サービス残業、休日出勤といった「働きすぎ」が常態化していると指摘されるが、それにもかかわらず労働生産性は高くない。
なぜ、これほどまでに働いているにもかかわらず、日本の労働生産性は低いのか。日本人の「勤勉さ」は長らく美徳として語られてきたが、それが必ずしも生産性の高さと直結しているわけではないようだ。かつて、ある海外メディアが「日本人は出勤することには真面目だが、業務に対してはそうでもない」と皮肉交じりに評していた記事を読んだことがあるが、今の状況はその指摘を思い出させる。
そうなると当然、「海外ではどのようにして高い生産性を実現しているのか」という問いが浮かび上がる。本書は、その疑問に対し、ドイツの事例を通して一つの答えを提示しようとするものだ。タイトルに惹かれて、手に取って読んでみた。
年間150日休むドイツ人
ドイツでは、1963年に「最低限の休暇に関する法律」が施行され、年間24日の有給休暇が労働者に保障されている。それに加えて、多くの企業が30日程度の有給を認めており、消化率はほぼ100%だ。
この有給に加え、土日(約100日)や祝日を合わせることで、年間およそ150日の休暇が確保されている。
さらにドイツには以下のような制度が存在する。
- 残業時間を年間10日前後まで代休として取得できる
- 有給休暇中に病気になった場合、その期間は「病休」として扱われ、有給とは別に数えられる
これらの制度を活用することで、年間の3分の1以上を休暇として過ごす人も少なくない。
法と制度の厳格な適用
ドイツで短時間労働と長期休暇が実現できるのは、もちろんドイツ企業が人道的だからではない。法によって厳格に定められているからだ。
労働時間法(1994年施行)では、一日の労働時間は8時間を超えてはならないと定められている。一日10時間までの延長が認められるが、その場合でも、6ヶ月の平均が8時間を越えてはならない。
そして、この点が最も重要だが、この労働時間法を遵守しているかどうかを労働安全局が厳重に監視している。違反の場合、経営者は最高15000ユーロの罰金、最高1年の禁固刑が科せられる。
さらに、労使問題を専門に扱う裁判所として労働裁判所があり、この裁判での判例は、労働者の権利を保障するものが多く、それが企業の法令順守をさらに促すことにつながっている。
解雇要件も厳しく、従業員を解雇する場合も、まずは短時間労働(クルツ・アルバイト)を斡旋して、不用意な解雇を避けなくてはならない。この制度のもとでは、減給分の67%が連邦労働庁によって補填され、社会保険料も政府が負担する。原則として、この措置は最長6か月間適用可能である。
もし解雇され場合でも、労働局に失業者として登録され、職業訓練を受けている間は、社会保障費と家賃を政府が負担する。
このような規則は、ドイツでは厳格に守られている。日本の労働基準法のように、あっても形骸化していたり、労働基準監督署がほとんど機能不全を起こしているような状態とは全く異なる。
法治主義とは、こうした実効性ある制度運用が伴ってこそ成立するものだ。ドイツの事例は、労働環境の改善には制度そのものの設計だけでなく、その運用体制の厳格さが不可欠であることを示している。
会社経営に関与する従業員
労働組合が経営に関与しているのもドイツ企業の特徴だ。ドイツ労組連合(DGB)は、金属産業労働組合など8つの産業別組合を統括しているが、その他に、企業別組合として、従業員数5万人以上の企業には、事業所評議会が設立することができる。
労働者や株主の代表が取締役会を監視するための組織として監査役会(Aufsichtsrat)が各企業に置かれるが、従業員数2000人以上の企業では、事業所評議会と従業員の代表が監査役会の半数参加することになっている。
この監査役会は、取締役の選任や大規模機構改革の承認を与える機関で、経営に関与する。これは、従業員との共同決定(Mitbestimmung)方式と呼ばれる。
また、ドイツの雇用関係において重要な点は、各従業員が企業と個別に書面による雇用契約(Arbeitsvertrag)を結んでいることである。契約の内容は個々に異なり、労働とはあくまでも個人と企業との間に交わされる法的な契約行為であるという意識が強い。企業は家族的な共同体でも帰属先でもなく、契約に基づく対等な関係の相手として捉えられているのである。
好調なドイツ経済
では、ドイツ企業がこれだけ制約を受けている中で、ドイツ経済が国際的な競争力において劣っているとのかといえば全くそんなことはない。
2015年3月の失業率は4.7%。2014年の実質GDP成長率は1.6%、貿易黒字は2937億ドルに達している。税収は、2003年から10年間で、1775億4100万ユーロ、40%の増加だ。
この経済成長により、2009年からの5年間で財政赤字を96%削減。2014年度は財政が均衡し、新規の国債発行を必要としなかった。
注目すべきは、こうした経済的成果が、緊縮財政による支出削減によって達成されたわけではないという点だ。むしろ、歳出は1990年が5852億円、2013年が7863億円で35%増加している。社会保障制度のために財政支出が恒常的に増加している。これは、日本のような景気刺激策としての公共事業への支出などでなく、国民の福利厚生のための支出だ。
つまり、ドイツでは好景気の中で国民の収入が増える一方、社会福祉制度の充実も同時に進んでいるということだ。
シュレーダー改革とその影響
ドイツのこのような良好な労働環境と社会福祉制度は、社会民主党(SPD)の首相だったシュレーダーの改革によって実現したものだ。
1998年から2005年にかけて首相を務めたシュレーダーは、社会民主党(SPD)と緑の党の連立政権を率いて、意外なことに、新自由主義的な保守主義的ともいえる社会保障制度改革を行っている。
具体的には、
・社会保険料負担の削減
・派遣労働の規制緩和
・ミニジョブ制度などの低賃金部門の拡大
などだ。
ミニジョブ制度とは、月400ユーロ(2012年以降は450)未満の仕事には、所得税と社会保険料の支払いを免除する制度で、工場が海外などに移転して、産業が空洞化するのを防ぐために次善の策として設けられたものだ。
シュレーダーの改革は、過剰な社会福祉を抑制し、制度そのものを持続可能な形に再構築することを目的としていた。結果として、ドイツは失業率の低下と社会保障制度の安定を同時に実現することに成功した。
今日のドイツ経済の安定と繁栄は、こうした制度改革の成果の上に成り立っているといえる。
なぜドイツ企業は高い生産性を維持できるのか
ここまで見てきたように、ドイツでは労働者の権利が制度的にしっかりと保障されており、社会保障制度も充実している。たしかに、このような制度の素晴らしさは理解できる。だが、それがなぜ生産性の向上に直結するのかについては、必ずしも明確ではない。
実際、本書でも、この点に関してはやや大雑把な説明にとどまっている。挙げられているのは以下のような点だ:
- 業務や情報の社内共有化を進め、誰が休んでも対応できる体制を構築する
- 各自の業務と責任の範囲を明確にする
- 常に効率と費用対効果を意識する
- 業務と私用を明確に区別する(勤務時間中の休憩や設備の私的利用は就業規則違反になる)
- 仕事への高い集中と具体的な成果を要求する
- 労働環境の整備によって優秀な人材を確保する
- 健全なワークライフバランスによって労働意欲を高める
これらはいずれも合理的な指摘だが、果たしてこれだけで一人当たり6909ドルという日独間の生産性の差(ドイツ:41,914.93ドル、日本:35,005.66ドル)を説明できるのだろうか。
結局、本書の結論も「休日を増やし、労働時間を短縮し、短時間に集中して作業すれば効率が上がる」という、一般的で抽象的な説明に留まっている。
外部要因と制度の相乗効果
もちろん、ドイツ経済の好調には、国内の労働制度だけでなく、外部的要因も大きく関わっている。
たとえば以下のような点が指摘される:
- ドイツの経済力に対して、ユーロが割安に評価されており、輸出産業にとって有利な為替環境があること
- EU域内から多くの低賃金労働者を受け入れることで、労働力を安定的に確保できていること
このように、ドイツはEUという共同体から多大な恩恵を受けている。
だが、それでもなお注目すべきなのは、労働者の権利を守り、健全な労働環境を整えることを経済政策の柱に据えるというドイツのスタンスそのものである。このような政策モデルは「ライン型資本主義」とも呼ばれ、日本が学ぶべき点も多い。
特に、労働環境の悪化が社会問題化している現代の日本においては、こうした姿勢から学ぶ必要性はますます高まっている。
これから日本が見習うべきこと
では、ドイツを参考にした上で、日本の労働環境を改善するためには、まず何をするべきなのだろうか?
著者は、ドイツが労働者の権利を守るために、犠牲にしているものも多くあると指摘している。物事には表裏があり、良い点ばかりというわけにはいかない。
まず第一に、税金と社会保障費が高く、可処分所得が低く抑えられてしまう点。
そして第二に、店舗が土日に営業していない点。
これは、1900年施行という歴史ある古い法律「閉店法」によって決められていて、勝手な営業は許されない。1996年と2003年に若干緩和されているが、それ以前は、店舗の営業は、月曜から金曜の7時から18時30分までに制限されていた。
第三に、これが最もドイツらしいが、過剰な接客サービスを行わない。接客サービスは無料ではないという考えが一般的だ。serviceをドイツ語では、Dienst, Dienstleistungというが、dienenという「仕える」という動詞から派生した言葉で悪い印象の言葉らしい。
著者はこうした点をドイツ社会の欠点としてあげている。確かに、こうした制限を「不便」と感じる人もいるかもしれない。しかし、私にはむしろこれが「正常な社会」に思える。
365日24時間営業の店舗が全国に乱立する日本社会を「便利」だと考える消費者の姿勢は、むしろ異様にさえ映る。これは、日本の消費者が計画的に買い物をする能力を欠いている結果とも言えるのではないだろうか。要するに、利便性に依存しすぎて、無計画さに対して無自覚なのが問題なのだ。この点については以前の記事で述べたので、興味のある方はそちらも参照していただきたい。
最近話題となる日本の「おもてなし」についても、表面的には丁寧に見えるが、私にはむしろ心のこもっていない、形式的で不自然な態度——いわば「慇懃無礼」として映る。
特に、チェーン店やフランチャイズにおけるマニュアル化された接客は、どこでも同じ言葉を機械的に繰り返すばかりで、過剰な挨拶にすら感じられ、少なくとも私はそれを快く思えない。
私の印象では、初めて日本を訪れる外国人はその丁寧さに感銘を受けるが、長期滞在者の多くは日本の「マニュアル接客」に対して否定的な印象を抱く傾向が強い。
にもかかわらず、日本のメディア、特に最近のテレビ番組は、こうした批判的な声を一切取り上げず、外国人(特に白人!)に日本を礼賛させるばかりの“ニッポン万歳”番組を量産しており、正直うんざりする。
ドイツ社会が接客や利便性の面で日本より劣っているかどうかは、結局のところ個人の感性によるだろう。
しかし、労働条件の良し悪しについては、客観的な比較が可能だ(さまざまな経済統計の数字がそれを示している)。その点において、日本の労働環境は明らかに劣悪である。非効率かつ非生産的であり、個人の私生活を犠牲にすることでかろうじて成り立っているのが実情だ。
「ドイツを見習え」という主張が古いという意見こそ、もはや古びて見える。安易なナショナリズムに基づく視点では、物事を正しく見ることはできない。
日本をむやみに持ち上げる前に、冷静に他国と比較し、改めるべき点は改め、見習うべき点は素直に取り入れる姿勢こそが求められるのではないか。
本書では、ドイツの制度の基礎的な部分が紹介されており、決して深い考察がなされているわけではないが、それでも考えるきっかけとしては十分に意義ある内容だと思う。
もし日本の労働環境に疑問を感じているのなら、一読を強くお勧めしたい。
熊谷徹『ドイツ人はなぜ、1年に150日休んでも仕事が回るのか』(2015)
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