読書案内
熊谷徹『ドイツ人はなぜ、1年に150日休んでも仕事が回るのか』(2015)
極めて低い日本の労働生産性
2015年の一人当たりGDPでは、日本は26位。G7の中では、28位のイタリアに何とか競り勝った!🎉🎉
失業率12.4%(2015年4月)で、何よりも家庭と私生活を優先し、南欧の温暖な気候のなかで、シエスタとかいいながら仕事しないで休んでばかりいるイタリア人にぎりぎり勝った。。。!
だが、日本のすぐ下には、ブルネイ(27位)が迫っているっ。ん?日本人って働き過ぎって言われてなかったっけか?なんで、こんな順位なんだ?
もともと勤勉なドイツやアメリカとは、はるかに溝を開けられている。。。
2023年の一人当たりの名目GDP(USドル)ランキングを掲載しています(対象: 世界、191ヶ国)。…
長時間労働、有給未消化、サービス残業、休日出勤あたりまえの日本人がなぜこんなにも生産性において低いのだろう。日本人が勤勉などというのは全くの都市伝説で、日本人は会社に来て、後は、ただぼーっとしてるんじゃないんだろうか。
そーいえば、以前、日本人が勤勉なのは、会社に「出勤」することに対してだけで、「業務」に対してではない、と揶揄している海外の記事を読んだことがあったなぁ。
じゃ、海外ではどうやって高い生産性を維持しているのか、という当然の疑問が湧く。本書は、ドイツの事例から、こうした疑問に答えようとしたものだ。本書の題に惹かれて、なんとなく手にとって読んでみた。
年間150日休むドイツ人
ドイツでは1963年に施行された「最低限の休暇に関する法律」で年間24日の有給が保障されている。だが、大半の企業が30日の有給を与えていて、その消化率はほぼ100%だ。
そのため、土日が100日、祝日と有給休暇を加えて、年間でおおよそ150日程度の休暇日数になる。
さらに、ドイツには、
・残業を年間10日前後まで代休として消化できる
・有給休暇中の病気は病休にすることができる
といった制度があるので、それ以上の日数の休暇を取る人も多くいる。1年の3分の1以上を休んでいることになる。
法と制度の厳格な適用
ドイツで短時間労働と長期休暇が実現できるのは、もちろんドイツ企業が人道的だからではない。法によって厳格に定められているからだ。
労働時間法(1994年施行)では、一日の労働時間は8時間を超えてはならないと定められている。一日10時間までの延長が認められるが、その場合でも、6ヶ月の平均が8時間を越えてはならない。
そして、この点が最も重要だが、この労働時間法を遵守しているかどうかを労働安全局が厳重に監視している。違反の場合、経営者は最高15000ユーロの罰金、最高1年の禁固刑が科せられる。
さらに、労使問題を専門に扱う裁判所として労働裁判所があり、この裁判での判例は、労働者の権利を保障するものが多く、それが企業の法令順守をさらに促すことにつながっている。
解雇要件も厳しく、従業員を解雇する場合も、まずは短時間労働(クルツ・アルバイト)を斡旋して、不用意な解雇を避けなくてはならない。この間、連邦労働庁が減給分の67%を補填する。社会保険料も政府が負担する。この制度は、原則半年まで適応できる。
もし解雇され、労働局に失業者として登録された場合でも、職業訓練を受けている間は、社会保障費と家賃を政府が負担する。
このような規則は、ドイツでは厳格に守られている。ただのお題目になっている日本の労働基準法や、人生を早期リタイアした人たちの養護施設になっている労働基準監督署とは、大きな違いだ。
法治主義というのは、このような国のことを言うのであって、決して日本のような国のことをいうのではない。(日本は限りなく中国に近い人治主義の国だ。)法律や制度を厳格に適応していく法治主義国家ドイツの姿が、労働問題を通して明確に見て取ることができるだろう。
会社経営に関与する従業員
労働組合が経営に関与しているのもドイツ企業の特徴だ。ドイツ労組連合(DGB)が金属産業労働組合など8つの産業別組合を統括しているが、その他に、企業別組合として、従業員数5万人以上の企業には、事業所評議会が設立することができる。
そして、労働者や株主の代表が取締役会を監視するための組織として監査役会Aufsichtsratが各企業に置かれるが、従業員数2000人以上の企業では、事業所評議会と従業員の代表が監査役会の半数参加することになっている。
この監査役会は、取締役の選任や大規模機構改革の承認を与える機関で、経営に関与する。これは、従業員との共同決定Mitbestimmung方式と呼ばれる。
特にドイツ企業において、労働者と企業との間の関係として重要な点は、一人ひとりの従業員が個別に企業と書面で雇用契約を結ぶということだろう。雇用契約書Arbeitsvertragは、個人個人内容が異なるもので、労働というのは、企業と労働者の契約であるという考えがはっきりしている。
企業は、家族でも共同体でも帰属意識を持つ場でもなく、個人と(法律上は)対等な立場で契約を結ぶ相手でしかないのだ。
好調なドイツ経済
では、ドイツ企業がこれだけ制約を受けている中で、ドイツ経済が国際的な競争力において劣っているとのかといえば全くそんなことはない。
2015年3月の失業率は4.7%。2014年の実質GDP成長率は1.6%、貿易黒字は2937億ドルに達している。税収は、2003年から10年間で、1775億4100万ユーロ、40%の増加だ。
そのため、2009年からの5年間で財政赤字を96%削減。2014年度は財政が均衡し、新規の国債発行を必要としなかった。
その間、財政支出の削減を続けたわけではない。むしろ、歳出は1990年が5852億円、2013年が7863億円で35%増加している。社会保障制度のために財政支出は恒常的に増加している。これは、日本のような景気刺激策としての公共事業への支出などでなく、国民の福利厚生のための支出だ。
つまり、ドイツでは好景気の中で国民の収入が増える一方、社会福祉制度の充実も同時に進んでいるということだ。
ドイツのこのような良好な労働環境と社会福祉制度は、社会民主党(SPD)の首相だったシュレーダーの改革によって実現したものだ。
1998年から2005年にかけて首相を務めたシュレーダーは、社会民主党(SPD)と緑の党の連立政権を率いて、意外なことに、新自由主義的な保守主義的ともいえる社会保障制度改革を行っている。
具体的には、
・社会保険料負担の削減
・派遣労働の規制緩和
・ミニジョブ制度などの低賃金部門の拡大
などだ。
ミニジョブ制度とは、月400ユーロ(2012年以降は450)未満の仕事には、所得税と社会保険料の支払いを免除する制度で、工場が海外などに移転して、産業が空洞化するのを防ぐために次善の策として設けられたものだ。
シュレーダーの改革は、過剰な社会福祉を抑制することで、制度の存続すら危ぶまれていた社会保障を持続可能なものに変えることが目標だったといえる。そして、彼の改革は、失業率の改善と社会保障制度の維持に一定の効果を挙げたのだ。
現在のドイツ経済の繁栄は、彼の改革の恩恵の上に成り立っている。
なぜドイツ企業は高い生産性を維持できるのか
ここまで書いてくると、ドイツの制度のすばらしさが、確かに良く分かってくる。ドイツの労働者は就労の上での権利が十分保障され、社会保障性も充実している。だが、それがなぜ生産性の向上につながるのかは、いまいちはっきりしない。
実はこの本、この点になるとかなり大雑把な説明しかなくなるのだ。
・業務と情報の社内共有化を進めて誰が休んでも対応できるようにする
・自分の業務と責任の範囲を明確にする
・効率と費用対効果を常に考える
・業務と私用を混同しない(勤務時間中の休憩や設備の私的利用は就業規則違反になる)
・仕事への高い集中と具体的な成果を要求する
・労働環境を整えることで、優秀な人材を確保する
・健全な労働と私生活(公私)の均衡で労働意欲を高める
といった点が指摘されているが、はたしてそれだけで一人当たり8511ドルもの生産性の差が出るのだろうか?(ドイツ40,996.51ドル、日本32,485.55ドル)
結局、本書の結論では、休日を増やし、労働時間を短縮して、短時間に集中して作業した方が、労働意欲も効率も上がるという、ごく一般的な解釈に収まっている。
確かにその通りだろう。しかし、ドイツ経済が好調なのは、このような国内の労働環境的な要素の他にも、多くの外部的な要因が働いている。
よく指摘されることは、ドイツの国力に対して、相対的にユーロが低く評価されてしまうため、ドイツの輸出企業にとって為替が有利に働いていること、移民によって多くの低賃金労働者を獲得できていることなど、EU圏の最大の恩恵を受けているのがドイツだという点だ。
しかし、こうした点を差し置いても、労働者の権利を最大限保障し、健全な労働環境を整えることで労働意欲を高めようというドイツの社会政策的な資本主義(これをライン型資本主義と呼ぶ)から学ぶ点は多いだろう。
特にかつてないほど、労働環境の悪化が社会問題化している現代の日本は、なおさらだ。
これから日本が見習うべきこと
では、日本の労働環境を改善するためには、まず何をするべきなのだろうか?
著者は、ドイツが労働者の権利を守るために、犠牲にしているものも多くあると指摘している。物事には表裏があり、良い点ばかりというわけにはいかない。
まず、税金と社会保障費が高く、可処分所得が低く抑えられてしまう点。
そして、店舗が土日に営業していない点。
これは、1900年施行という歴史ある古い法律、閉店法によって決められていて、勝手な営業は許されない。1996年と2003年に若干緩和されているが、それ以前は、店舗の営業は、月曜から金曜の7時から18時30分までに制限されていた。
また商店は、人件費と労働力を節約するために、接客的なサービスを行わない。接客的なサービスは無料ではないという考えが一般的だ。serviceをドイツ語では、Dienst, Dienstleistungというらしいが、dienenという「仕える」という動詞から派生した言葉で悪い印象の言葉らしい。
著者はこうした点をドイツ社会の欠点としてあげているが、私にはどうもこうした点が欠点のようには思えない。
365日24時間営業が全国で乱立する日本の社会を便利だと考える日本の消費者の方が、よっぽどキチガイじみて見える。それは単に日本の消費者が、計画的な賢い買い物ができないだけで、単に無能なだけなんなじゃないの?この点は以前の記事で書いたので、まぁ暇な方は参照してください。
最近良く話題になる日本の「おもてなし」も表面的な態度が丁寧なだけで、私には、心のこもらない慇懃無礼な態度に見える。
特に「ちぇーん店」や「ふらんちゃいず」の「まにゅある」化した機械的に同じ言葉を繰り返すだけの過剰なまでの挨拶を快いとは全く感じない。
私の個人的な印象では、始めて日本に来た外国人は、日本の丁寧さに驚いているが、長期で滞在している人は、日本の「まにゅある接客」に極めて否定的な意見を持っている場合が大半だ。日本のメディア、特に最近のテレビ番組は、こうした否定的な意見をすべて無視して、外国人(特に白人!)に日本を褒め称えるようなことばかり言わせている「にっぽんマンセー」番組ばかりでほんとにうんざりする。
ドイツ社会がこうした接客や利便性の点において日本より劣っているのかどうか、それを判断するのは個人の感性によるとしか言えないのかもしれない。
だが、労働条件の良し悪しは、客観的に判断し比較できるものだろう。この点では明らかに日本の労働環境の方が劣悪だといえる。劣悪な上に効率性も生産性もなく、個人の私生活を犠牲にしたうえで成り立っている。
「ドイツ見習え論」はもう古い、という意見が私には、もう古いものに見える。へたなナショナリズムの意識で見ると物事は全て歪んで見える。安易な「にっぽんマンセー論」を唱える前に、彼我の差を冷静に比較して、直すべき部分は直す、見習うべき部分は見習うという素直な姿勢が必要だろう。
本書は、ドイツの制度の基礎的な部分を紹介しているだけで、それほど深い考察にまでは至っていないが、考えるきっかけとしては十分意味のある内容だと思う。日本の労働環境に疑問を持っているようなら、ぜひ一度手に取って読んでみることをお勧めする。