【古代の謎】世界最古の神殿?古代遺跡ギョベクリ・テペの謎

人類史最古の神殿遺跡ギョベクリ・テペ

 ギョベクリ・テペという名前を聞いたことがありますか?

 なんだか呪文のような名前ですが、ギョベクリ・テペとは、トルコ南東部にある古代遺跡のことです。
 直径300メートルほどの丘に、高さ6メートル、重さ20トンにも及ぶ巨大なT字型の石柱が円を描くようにして、何本も立てられているのが見つかっています。

Göbekli Tepe

(Teomancimit – 投稿者自身による作品, CC 表示-継承 3.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=17377542)

Göbekli Tepe

(Zhengan – 投稿者自身による作品, CC 表示-継承 4.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=34568404)

(画像出展: ギョベクリ・テペ – Wikipedia

 この遺跡が、人類の歴史を全く新しく塗り替えるのではないかと注目されています。

 なぜ、それほどまでにギョベクリ・テベが注目されているのかというと、その理由は、この遺跡の年代にあります。

 なんとこの遺跡、紀元前1万2000年頃まで遡るとみられているのです!

 1996年からドイツの考古学者クラウス・シュミットにより発掘調査が開始され、放射性炭素年代測定による正確な年代の特定が行われました。
 その結果は驚くべきもので、この石柱群は、紀元前1万年から8000年の間の構造物と特定されたのです。

農耕文化以前の巨大建築物

 紀元前1万年といえば、従来の学説では、地質学的には更新世にあたり、旧石器時代です。

 ギョベクリ・テペの発掘の第一人者であるクラウス・シュミットは、この遺跡を新石器時代の文化として捉えていました。つまり、この遺跡は、石器時代の年代に大きな変更をもたらす可能性があるのです。

 しかし、最も驚くべきことは、この遺跡が農耕が始まる以前の石器時代、つまり、狩猟採集文化の中で作られたということです。
 巨大構造物の建築には、組織的な社会の存在が前提となります。強大な権力者による統率の取れた社会が、巨大建築物の建設には必要なのです。

 従来の一般的な説では、強大な権力者を中心とした社会は、農耕文化の結果として生まれたものだと考えられていました。農耕により、定住が始まり、余剰生産力が生まれたことで、食糧生産に従事しないさまざまな職業や分業が生まれ、社会が形成されていったと考えられていたのです。

 石器時代の狩猟採集文化では、血縁を中心とした小さな家族的な集まりしかなく、集団的な行動はごく限られたものと思われていました。
 しかし、この遺跡は、農耕文化が生まれる前にできたものです。つまり、定住せず、狩猟採集を行っていたある一部の人々が、一つの目的のために集まり、組織的な社会を形成していたということになります。

人類史における社会発生の歴史

 ギョベクリ・テペは、狩猟採集民にも巨大建造物の建設が可能であったことを示しています。それは、農耕に先立って、社会が存在していたということでもあります。
 これが正しいとすると、人類における社会の発生の歴史は、全く異なるものになります。

 クラウス・シュミットは、この建造物をなんらかの宗教的な儀式を行うための神殿と考えていました。ギョベクリ・テペに建てられている巨大なT字型の石柱には、さまざまな動物の彫刻が彫られ、レリーフが描かれています。

 ここに描かれた動物たちは、食料とされた動物よりも、むしろ人々を襲う猛獣などがより多くなっています。人々に恐れを抱かせるような猛獣などを対象として描くことで、その恐れを乗り越えよう、あるいは、その力にあやかろうとする何らかの宗教的、精神的な世界を表現しているのかもしれません。

・石柱に掘られた動物の像

Göbekli Tepe

(Teomancimit – 投稿者自身による作品, CC 表示-継承 3.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=17377759)

Göbekli Tepe
Göbekli Tepe

(Zhengan – 投稿者自身による作品, CC 表示-継承 4.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=34568403)

(画像出展: ギョベクリ・テペ – Wikipedia

 ギョベクリ・テペがなんらかの宗教施設だったとすると、人類における社会の発生の歴史として、考えられるものは、次のようなものになるかもしれません。

・狩猟という不安定で常に身の危険を感じている生活から、広い意味での自然に対する「畏れ」のような感情が生まれる。

・この畏れの感情が、協力関係の必要性を生み、人々に集団的な生活を促していく。

・自然や運命の意図を知りたい、あるいは、それらを制御可能なものとしたい、といった精神活動が、宗教的な儀礼を生む。

・集団で宗教的な儀礼を行うための場所の建設が始まり、社会が形成されていく。

・社会の中で、協力関係や分業が生まれた結果、食料採取に従事しない集団が形成され、文化的なものへの生産に余剰労働力を割けるようになった。

・この余剰労働力が、文化、ひいては、農耕技術をも生んだ。

 実際、人類で最初の農耕は、この地域周辺で起こったのではないかとみられています。遺伝学のある調査では、現在栽培される小麦の一種は、この地域が原産であることを示しています。

 社会はもしかすると、生活の必要性の中から生まれてきたというよりも、人間の精神活動の結果として生まれてきたのかもしれません。

 ギョベクリ・テペの研究はまだ始まったばかりです。まだ、今後さらに新しい発見や新たな学説が生まれてくるかもしれません。
今後、どのような説が出てきたとしても、ギョベクリ・テペは、人類史を塗り替える可能性を持った、今、もっとも注目されている遺跡であることには、変わりありません。

 今後の研究の成果が楽しみですね!