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預貯金という怠惰 —— 公共性を取り戻す投資のすすめ

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極めて高い日本の預貯金率

 総務省が2014年度の家計調査報告を発表した。それによると、貯蓄に占める預貯金の割合は63.3%で、有価証券はわずか14.0%にとどまっている。有価証券の比率はアベノミクス効果により2年連続で増加しているものの、依然として銀行預金の比率の高さが際立っている。

 仮に銀行で資金を運用したとしても、2015年時点における一年もの定期預金の全国平均金利は0.025%。100万円を預けても250円にしかならない。一年間の運用益が250円なら、自販機のつり銭取り忘れでも探した方がよっぽど儲かりそうだ。一方、普通預金の金利も0.02%程度であり、定期預金との差はほとんどない。ATMの時間外手数料でそんな利益、簡単に吹き飛んでしまう。

 銀行預金はデフレ下では相対的に価値が上がるが、インフレ局面では、購買力で実質的に目減りしていく危険性がある。確かに、株式などの有価証券は元本割れする危険性があるが、預貯金もインフレ率が金利を上回れば実質元本割れする。預貯金なら元本保証されるという認識は、厳密には誤りだ。

預貯金という怠惰な姿勢

 なぜ日本人の間では、こんなにも預貯金好きの傾向が見られるのだろう。逆に言えば、なぜ株式投資に対する拒否反応があるのだろう?
 そもそも銀行にお金を預けるというのは、堅実であると同時に怠惰な態度のように感じる。銀行や郵便局にお金を預けた場合、自分の預けた資金がどこに投資されて、どのように社会に役立っているのかが全く分からない。そして、それを知ろうともしない態度だからだ。

 現在、銀行の主な投資先などは、ほとんどが国債だ。今の銀行は、「優良な投資先を見極め、育てる」という公共的な役割を放棄して、安易な国債投資ばかりを選んでいる。結果として、国民の預貯金は官僚の裁量に委ねられ、財政圧迫と官僚機構の肥大化を招いている。
 小泉前首相の郵政民営化は、巨額な郵便貯金が財政投融資にばかり回っている現状を改革するためのものだった。その成果が上がらないまま有耶無耶になっているうちに、金融機関による国債購入だけが膨れ上がっている。

 官僚機構の肥大化とそれに伴う財政支出の拡大は、やがて増税という形で国民に跳ね返ってくる。個人がどこにお金を預けるかは自由だが、その選択が結果として増税の一因になっているとすれば、それはいい迷惑だ。(私のようにエンゲル係数が高い生活を送っている者にとっては、削れる支出などもうなく、税金が生活を最も圧迫している。)日本の歪な金融資産の構成比をもう少し見直すべきだと思う。

公共投資としての株式投資

 株式に投資するという行為は、自分のお金をどのように社会で活用させるかを、自ら選び、意思表示することでもある。

 銀行に預けた自分の資金が、知らないうちにどこか分からない場所で勝手に使われているという受動的な姿勢ではなく、「こんな商品やサービスがあったらいい」「こうした事業に使ってほしい」と自分が価値を見出した対象にお金を投じる——それこそが株式投資の本質的な意義だと思う。
 銀行預金が勝手に国債へと投資され、その資金が天下りの温床として使われているとすれば、これほどバカバカしい話はない。

 その意味で自分にとって株式投資は、公共的な意味のあるものだと思っている。どうせ銀行で眠らせている資金なら、株式投資にまわして、意味あることに使ってもらいたいと思う。それが本当の意味での公共投資だろう。

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