騒音に違和感を覚えない国
これは、ある花火大会だけの話、というわけではない。
たとえば、ある年に訪れた都内の燈籠流しでも、似たような場面があった。
夜が更け、日もすっかり沈んだ川面に、ゆらゆらと揺れる燈籠の灯。日常の喧騒をふと忘れさせてくれるような、幻想的で静かな光景だった。
……のはずだった。
そこでもまた、絶え間なく聞こえてきたのは拡声機からの指示だった。
今回は警備員ではなく、祭りの実行委員と思しき男性が、燈籠を流す人々に向けてマイク越しに誘導を続けていた。
「はい、立ち止まらないでください」「前へ進んでください」「燈籠の火はこちらで付けてくださーい」「写真は撮らないでください、前へ進んでくださーい」「撮影は流した後で、こちらでお願いしまーす」「立ち止まらないでくださーい、後ろがつかえていまーす」
そんな声が、会場全体に響き渡っていた。静けさと幻想に包まれるはずの時間に、拡声器のアナウンスだけが終始耳に残るという、なんとも言えない違和感があった。
***
最近では、都内の祭りはどこに行ってもこうした雰囲気があるように感じる。
来場者のほとんども、もう慣れっこなのだろう。拡声機の声にいちいち反応する人は少なく、むしろ「これが普通」と思われているようだ。
無理もない。東京という街自体が、そもそもスピーカーや拡声機のアナウンスが日常的に飛び交う、音にあふれた都市だ。これくらいの音量、これくらいのアナウンスは、もはや「騒がしい」とさえ感じないのかもしれない。
そんな中で、私のようにこの「音」が気になってしまう人間の方が、今では珍しいのかもしれない。
さて、冒頭で投げかけた問いに戻ってみよう。
「東京の夏祭りに情緒はあるのか?」
——皆さんは、どう思われるだろうか?
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